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気持ちよく目が覚めた。
ベッドに寝転がったままの体制で、つけっぱなしにしていた腕時計を確認する。
銀色のアナログ時計。
その針は四時を指していた。
上体を起こすと、大きく息を吐く。
頭が回らない。
午前四時なのか、午後四時なのか。
今日なのか、明日なのか。
閉じられていたカーテンを大きく開け放つ。
傾いていた日の光。
それが部屋の中を満たした。
携帯を取り出す。
まだ土曜日。
時間は夕方。
二桁にも及ぶ着信。
何があったのか、少しづつ頭が回り記憶を取り戻してゆく。
……そうだった。
大きくため息をついた。
これからが大変なんだ。
患者に死の宣告をする医師のように。
犯罪者に死刑の判決を言い渡す裁判官のように。
僕は告げなくてはならない。
お茶を一口、口に含んだ。
渇いた喉は中々に潤いを取り戻さない。
残った全てを飲み干した。
「佐藤さん。」
まだベッドで寝ている女性。
僕は携帯を操作しながら呼び続ける。
着信履歴を確認すると、二種類の電話番号が記されていた。
片方は会社から。
もう片方は……
強い鼓動。
決して力強くあるわけではない。
ただの緊張。
僕自身が悪い事をしたわけではない。
しかし、死の宣告しなくてはならない医師や裁判官の。
そんな彼らの気持ちが理解できた気がする。
携帯を操作し、会社へと電話を掛ける。
わずか数回の呼び出し音のあと、すぐに小さなスピーカーから声が聞こえてきた。
「はい、小野田です。」
山村さんではない。
彼はは、もう帰宅したのかな。
自分の名前を名乗った後、彼について尋ねてみた。
「そうですね、深夜の担当なので結構前に帰宅してるはずです。」
「ところで今、どちらにいらっしゃるのですか?」
「今日の朝から何回か、北条と名乗る方から電話があったみたいですが。」
「監督に変わって貰いたいと……」
分かったとだけ答えて、自分の言葉を続ける。
「キャラクターネーム、ライゼルについて現在ログインしているのか調べてくれないかな?」
「キャラクターネームはライゼル、プレイヤーネームはLixel。」
少々お待ちくださいの後、電話は保留状態に切り替わった。
僕はゆっくりと部屋の中を移動し、佐藤さんの眠るベッドの端へと腰かける。
「お待たせしました。」
保留状態が解除された。
「ライゼルは現在ログインしていますね。」
「このプレーヤーがどうかしましたか?」
もう聞こえていなかった。
これから起こるであろう物事を、ありったけ予想しながら電話を切る。
佐藤さんはまだ寝ているのか。
ホテルに来る前に購入した下着類を手に、僕は軽くシャワーを浴びる。
最も楽であろう解決方法は、彼自身がログアウトする事だ。
だがもしそれが出来ないのであるならば、誰かに倒される事が次に楽な方法となるだろう。
しかしチートを使っているのだ、簡単にはやられてくれるはずがない。
弱いから力にすがるのだ。
当然強い力を手に、片っ端から殺し歩いているはずだ。
シャワーを止め、服を着る。
まだ濡れた頭をふきながら、佐藤さんの眠るベッドの端に腰掛けた。
再び大きくため息をつく。
全く、面倒な。
「どうかしましたか?」
いつの間にか起きていた佐藤さんは、後ろに手をついてこちらを見ていた。
「いや……。」
これまでの、あまりの出来事に言葉が出てこない。
物事は悪い方向へと進んでいる。
「全く面倒な、そう口に出ていましたよ。」
自分でも気が付かない内に呟いていたのか。
僕は立ち上がると、ライゼルについての状況を説明した。
「そうでしたか……。」
「出来る限り私もお手伝いします。」
「貴方の性格上問題ないとは思いますが、独りで抱え込まないようにだけはしてください。」
軽く聞き流しながら、入浴するように勧める。
まだ寝ぼけたようなその顔で、佐藤さんはバスルームへと移動した。
彼が戦っている内はまだいい。
運よく誰かが殺してくれるかもしれない。
バグが新しく発生してさえいなければ、ログアウトするだろう。
だが戦意を消失してしまったのならば……。
お茶を飲もうとペットボトルを手にしたが、異様な軽さに空であったことを思い出す。
壁際のゴミ箱へ、片手で容器を投げる。
投げられたそれは、壁に当たると中へは入らなかった。
★☆★☆
揺れる列車は黒煙をまき散らす。
それは綺麗な空へと霧散し、消える。
間もなく駅に到着するという時、アッシュによっておこされた。
「君はよく寝るね。」
「ここでの時間が本当に24時間に感じるよ。」
星空を反射する海を横に、列車はホームへと侵入してゆく。
徐々にスピードを落とし始めるそれは、ようやく休める事を期待しているのかのようだった。
ゲーム内の一日は一時間と半分。
即ち、90分ごとに一日が回っている。
そして使ったコードは16倍速。
丁度ゲーム内の一日が、私の一日であるのだ。
私たちは列車を降りた。
アッシュに連れられ構内を歩く。
「なんだか、現実みたいだ。」
思ったことを口にした。
灰色のタイルが敷き詰められたその場所は、実在する駅を連想させる。
「この街は現実をモデルにしているみたいだよ。」
「だからほら、周りをよく見てごらん。」
歩きながら話すアッシュの言う通り、確かにいくつものガラスのディスプレイがあった。
行きかうNPC達も、実際にありそうな衣装になっている。
「どう?」
「ここは港湾都市、近くに浜辺があるけど。」
「少し遊んでいく?」
駅の外へと出た。
遠くの空が、青から赤へと変色をはじめていた。
「そうだね。」
「少し、見てみたいかな。」
アスファルトの道路に、全面ガラス張りのタワー。
そして馬車の代わりに、自動車が走っている。
目の前の信号が変わり車の流れはせき止められた。
「じゃあ、水着買わなくちゃ、だね。」
そうだった。
今の身体は女性そのもの。
なら、水着は女性用を着用する必要があるのだろうか。
はしゃぐアッシュを見ながらも、正直迷い始めていた。
横断歩道を渡り切ったその瞬間、近くの看板に興味をひかれた。
「転職所?」
思わず立ち止まる。
転職には特別な施設とか必要なかったはず。
それに、既にレベルはカンストしている。
ステータスだってもう気にしなくてもいい状態だ。
転職は出来ていないが……
「アッシュ、転職するには何が必要なの?」
そばにいる彼女に尋ねる。
しばらく考えるそぶりを見せつつも、すぐに答えた。
「転職したい先の武器を手にしている事かな?」
「あ、でもでも最初にここでNPCに話しかけないとダメだった気もするよ。」
そうだったんだ……
バグでなくてよかった。
「先、ここによってもいいかな?」
「いつでも転職できるようにしておきたいな。」
海よりも先に、折角見つけたこの場所を尋ねておきたい。
その考えはアッシュにも伝わったようで。
「分かった、いいよ。」
その言葉を聞いた私は、目の前の扉を大きく開け放った。
☆★☆★
同じ港湾都市の一角。
全ての都市に設けられている闘技場の中に、ランキングバトルの掲示板は掲げてある。
それに表示されているはリアルタイムでのランキング。
集まった人ごみの中に彼はいた。
現在は20位。
なかなかいい感じではあるが、まだまだ足りない。
今回は1位を目指す彼にとって、20は納得のいかない数字だった。
最強を証明するために、俺よりも強い奴を狩る。
自分よりも上のランキングを見てゆく。
いつも並んでいる見慣れた名前の中に、見たことがない名前が混じっていることに気が付いた。
11位ライゼル、混沌に浮く星々。
常連にはもう覚えられるほどに、喧嘩を売ってきた。
だがそこに、昨日までは無かったはずの名前が刻まれている。
これは面白そうだ。
流星の如く現れた新参者。
そいつの強さが一体どれほどなのか。
俺は掲示板に背を向けた。
20位。
そこに刻まれた名前は。
信玄、パーフェクトゲーム。