幕間 1-A メゥ/死なない事、生きる事
森の奥深く。
メゥは大木にはりつけられていた。
両手首と足には土が塗りたくられている。
ただの土では無い。
バンガルドが持つ硬化の能力によって、石のように硬くなった土だ。
メゥにそれを振りほどく方法は無い。
星河に能力を預けた今となっては、メゥはただの少女にすぎないのだ。
圧倒的な力の差を見せつけ、メゥを打ち破ったネルンの戦士は今も目の前にいる。
この様子なら、フェルミャと星河は無事に逃げられただろうと安堵する。
だが、メゥが冷静を取り戻すほどに、バンガルドの焦燥は強くなっていった。
「強情な小娘め。このままなぶり殺しにされるつもりか?」
バンガルドの言葉にメゥは沈黙で答える。
フェルミャの翻訳能力で全ての言語が理解できる星河には知る由もないが、バンガルドの使う言語はネルン語である。
そしてメゥはネルン語での会話が可能だった。
いつか使う時が来るかもしれないと、メゥは師匠に教え込まれたのだ。
そんな事にならなければいいが、と笑っていた師匠の消息は今はもう分からない。
師匠の教えに感謝しながら、メゥはネルンの戦士を睨みつける。
バンガルドはその瞳からメゥがまだ降服する気が無い事を悟る。
「『怪物』を寄こせば命だけは助けてやると言っているだろう」
この男は、まだメゥが『怪物』を持っていると思い込んでいるようだった。
メゥの『怪物』は今、星河が持っているというのに。
メゥは思考を巡らせる。
これまでの流れはメゥの予想通りではある。
フェルミャと星河がメゥを置いて逃げる事も。
バンガルドの反応も。
それだけに口惜しい。
せめてもう一人、戦士がいればこの程度の相手に後れを取る事は無かっただろう。
だがそれも捕らわれてしまった今となっては考えても仕方が無い。
この状況下で、どうやって生き延びればいいか思案する事が最優先だ。
――まさか、セイガに全てを託す事になるとはな。
メゥは心の中で笑った。
メゥは内心では星河を見下していた。
何の力も無い臆病者のクセに、自分の面子だけは守ろうとする。
思い上がりの夢想家。
戦場では真っ先に死ぬタイプの人間。
それが、メゥによる星河の人物評だった。
しかしながら、そんな星河だからこそ、
バンガルドに悟られる事無く、星河に能力を渡す事ができたのだ。
メゥは星河の人となりをなんとなく理解していた。
「自分を置いて逃げろ」なんて言われたら、
あの思い上がりは自分を助けようとするだろう。
事実、彼はその通りに行動し、倒れたメゥに駆け寄った。
その時にメゥはさりげなく能力を渡す事に成功したのだ。
そして。
星河たちは一度逃げたものの、また戻ってくるだろうとメゥは考えていた。
だいたい、そのために星河を煽ったのだ。
来てくれないと困る。
星河たちはメゥの能力が無ければこの森で生きていく事は不可能だろう。
そして、メゥが死んでしまえば、能力も失われる。
それぐらい、あの二人でも分かるハズだ。
だから、星河たちはメゥを助けに戻ってくるだろう。
メゥにとってはごく当然の理論だった。
よもや、二人で湖の藻屑になろうという話になりかけた事など想像すらしていない。
メゥの信条は「どんなにみっともなくても生きぬく事」である。
だから、自分を格好よく見せるために身を危険に晒したり、
自ら命を絶ったりというのは、到底理解できないし、
そういった行動は想定の範囲外だった。
どんなに危機的な状況でも、生きぬく事を諦めない。
そしてメゥは星河に賭けたのだ。
今、メゥができる事は、少しでも星河の勝率を上げる事だった。
メゥはバンガルドに向けて精一杯厭味ったらしく言い放つ。
「あいにく、ザコに仕える気は無いんでね」
「俺がザコだと……?」
バンガルドは露骨に不快感をあらわにする。
そうやってすぐに相手に乗せられる所が一番ザコっぽいと、メゥは内心思っていた。
「あんたは駆逐者だったよな。
じゃあなんで、たった一人でこんな森の奥にいるんだ?」
バンガルドは言葉に詰まる。
その質問を答えようにも、彼のプライドが邪魔をするのだ。
実際、森の奥で駆逐者と対峙している今の状況は異様だと言っていい。
駆逐者とは、大戦士のような誉れ高き称号ではなく、軍団内での兵科である。
名前こそ大層ではあるが、実際は主力として扱われない雑兵に分類される。
その任務は敗残兵への追撃や民間人の掃討などが主となっており、
最も栄誉ある任務でも、「主力戦士の護衛」という名の身代わり程度しか行えない。
機動力に優れるものの、火力が弱く決定力に欠けるのが一般的であり、
主力戦士とマトモに戦えるほどの実力を持たないため、
肝心の主力決戦の際には逃げ回るぐらいしか行える仕事が無い。
ようは駆逐者とは、弱い物イジメぐらいしか能が無い連中がする兵科だ。
軍団内でも補助兵員としての扱いを受けている役職であり、
まともな神経をした戦士ならば、とても威張る事の出来ないものなのだ。
だがその反面、報酬や性格などから自ら駆逐者を志願する者は一定数いる。
なにせ、戦利品を手にする可能性が一番高いのがこの兵科だ。
戦利品とはつまるところ人である。
敗残兵や敵の一般市民を捕らえ、自国に連れ帰る。
奴隷として仕えさせたり、あるいは売り払っても良い。
生まれ持った能力を選ぶ事は出来ないが、優れた能力を借りる事はできる。
優れた能力を持つ人材を手にする事が、この世界で成功する上での一番の近道なのだ。
以上の知識を踏まえて、
ノルン軍の駆逐者を名乗る男を見ると違和感を覚える点が多い。
まず、なぜバンガルドはわざわざ森の奥までやってきたのか。
東へと逃げた一団はネルン軍の攻撃を受けて壊滅した。
その時に多くの者が捕らわれの身となった事だろう。
ネルン軍から見れば、奴隷という戦利品を大量に手に入れたハズなのだ。
戦果を上げる事ができなかったウスノロマヌケを除けば。
「あんたさ、もしかして。まだこの戦争で誰も捕まえてないんじゃないか?」
それに、星河やフェルミャがこの男から逃げられたのも変だ。
駆逐者という名前は、力無き市民や抵抗の意志を失った敗残兵を屠る事から由来しているのだ。だというのに、戦闘向きの能力を何一つ持たない二人をみすみす逃してしまう、その体たらく。持っている硬化という能力も、機動力を活かした追撃戦を得意とする駆逐者からはかけ離れている。
才能が無く、他に就ける兵科が無かったから駆逐者になったという解釈が一番しっくりくるのだ。
「先の戦闘で奴隷を捕まえられなかったから、わざわざこんな森の奥までやってきたんだよな」
それが、彼がここにいる理由。
恐らくは単独行動だろう。
ロクな戦果を上げられなかったバンガルドは、森に逃げ込んだ残党を探して、幸運にもメゥ達を見つけたのだ。
メゥは相手の返答が無いのを肯定と受け取る。
「なんだ、やっぱりザコじゃないか」
メゥの言葉にバンガルドの顔が真っ赤に火照る。
怒り心頭といったところだろう。
バンガルドは感情に任せてメゥの腹部を殴打した。
「うあ゛っ!?」
メゥに鈍痛が走る。
衝撃で息が止まる。
悶絶し、うずくまろうとするも手足の拘束がそれを許さない。
「ふぐっ……あっ……うぅ……」
苦悶の表情を浮かべて、メゥは力無く喘ぐ。
必死に歯を食いしばる。
言いようのない不快感。
頬を冷や汗が流れるのが分かった。
「口を慎め。今のお前は俺の気分次第でどうとでも出来るのだぞ?
立場を弁える事だ」
バンガルドが冷酷に言い放つ。
ようやく呼吸が落ち着いてきたメゥが肩で息をする。
完全に無意識だが、目には涙が溜まっていた。
大丈夫、殺される事はないハズ。
メゥは自分にそう言い聞かす。
この男は奴隷と『怪物』の能力を求めてわざわざ森の中を探索していたのだ。
せっかく捉えた自分を殺して台無しにするハズが無い。
だがそれでも、メゥは恐怖が自分の体を少しずつ支配していくのを感じた。
幸か不幸か、『怪物』を相手に渡す場合に必要なのは「渡す側の意志」だ。
相手がどんなに欲しがっても、
こちらが拒否してしまえば『怪物』は相手の手には渡らない。
だが、暴力的な手段を用いて無理やり能力を奪おうとする者もいる。
例えば、拷問。
ようは、相手に「能力を渡したい」と思わせればいいだけの話なのだから。
星河に自分の『怪物』を預けたのは正解だったとメゥは考える。
もし能力を持ったままだったら、
自分は生き残るためにこの男に『怪物』を差し出していたかもしれない。
「お前はネルン語を話せる。ネルンで暮らす事になっても、生きていく事はできるだろう」
そう。
メゥがネルン語を覚えた理由。
祖国がネルンに攻め滅ぼされても、なんとか暮らしていけるように。
自分と、頼りない姉のフェルミャぐらいなら生き延びる事ができるように。
メゥの信条は生き延びる事である。
皆の仇を取って雪辱を晴らしたいだとか、
戦場で歴史に名を残す活躍をしたいといったようなものでは無い。
だから、メゥとフェルミャが生き残る算段が付けば、
ネルンに降服する事も十分ありえた。
だというのに。
「なぜ希望を捨てない。誰かを待っているのか?
まさか、先ほど逃げた二人が戻ってくるとでも?」
なぜか、メゥが賭けたのは星河だった。
理由は彼女自身分からない。
何が何でも生きようとするメゥの無意識が取った行動なのかもしれない。
少なくとも、この決断がメゥの運命を分けたのは確かだろう。
そして、星河に全てを託したからには、
星河の勝率が高くなるよう最大限努力をする。
それがメゥのやり方だ。
「だから何度も言ってるじゃないか。
自分の能力もマトモに制御できないザコに仕える気は無いってね」
メゥは出来る限り、バンガルドの意識を自分に集中させようとする。
この男は硬化能力により攻撃を無効化してしまう。
いまこちら側にある能力でバンガルドに勝利するには奇襲以外にありえない。
それが、メゥの長年の経験から導き出した結論だ。
だからこそ、星河の奇襲が成功する確率を上げるために、
身体を張って、バンガルドの意識を自分に集中させているのだ。
そう。
身体を張って、バンガルドの意識を自分に集中させていたのだ。
それなのに。
「俺の名前は東雲星河! バンガルド、お前の好きなようにはさせないぞ!」
突如、星河の名乗りが辺りに響き渡る。
確かにメゥの予想通り星河は戻ってきたのだ。
それに気づいたバンガルドがゆっくりと振り返る。
森の奥で、両手に小石を持った星河が仁王立ちをしていた。
それはもう威風堂々と。
奇襲などという概念が全くないかのように。
その姿を見て、メゥは決意した。
――この状況がなんとかなったら、アイツ1回殴ろう。