1-6 伝説の『恵みの島の物語』
星河は歩き疲れた体を仰向けにした。
天を見上げた時に最初に目につくのはやはり二つの月。
青空の中に白く輝く月たちは、いつの間にか頭上にまで昇っていた。
それぞれ大きさが違い、大きいほうの月は地球の月と比べて10倍はあるだろうか。
クレーターの跡が散見される月面が星河の目にもしっかりと見えた。
フェルミャによると二つの月は『照らす月』と『陰の月』と呼び分けるらしい。
大きい月が『照らす月』であり、太陽が沈んだ後も地上を照らす事からそのような名称が付いたそうだ。小さい月の『陰の月』は地上を照らす事もなく、『照らす月』の裏に隠れてしまう事から来た名称らしい。
「太陽があるのか」と星河が訪ねると、メゥがしばらく二つの月を眺めた後に「あっちにある」と森の一方を指さした。
そこには鬱蒼とした森が広がっている。
さきほどまで星河たちが歩いてきた茂みだ。
どうやら、木々に隠れて見えなくなっているだけで、この世界にも太陽(と翻訳される恒星)はあるらしい。
「半分に欠けた月が頭上に昇っている。もうじき日が沈むな」
メゥが苛立たしげに吐き捨てる。
予想以上に移動が滞っているため、焦っているようだ。
「今日は『灯りの夜』になるだろ。遅れを取り戻すためにも、できる限り歩くぞ」
メゥによれば、『照らす月』が出ている間は『灯りの夜』と呼ばれ、昼間ほどでは無いにせよ歩くのには支障が無い程度の薄明りが地上を照らすという。
最もそれはこの世界での生活に慣れたメゥたちにとっての話であり、いままで夜も街灯の下で生活していた星河にも可能なのかどうかまでは分からない。
「待ってよ、メゥ。セイガは疲れてるの。無理をさせちゃダメよ」
フェルミャがメゥを嗜める。
本心から星河を心配しているような素振り。
それがメゥを一層呆れさせる。
「あたしにはミャ姉がその貧弱男に入れこむ理由が全く分からないよ」
「セイガの悪口を言わないで!」
「そうは言ってもなぁ、さっきからそいつのせいで休んでばっかじゃないか」
メゥの言っている事は最もだった。
森を歩くことにした3人は、あれから何度も休憩を取って足を止めていたのだ。
そして足を止める理由は決まって星河だった。
「メゥ、違うの! 私が疲れたから休もうって言っただけで、セイガは関係ない!」
「ミャ姉、またそれか。あたしはミャ姉の体力は把握してる。ミャ姉がこれぐらいで疲れるハズが無いって事もな」
フェルミャとメゥは長距離を歩き通す方法を心得ており、誰かに少しでも疲れた素振りがあればその度に休憩を挟んだ。とはいっても、大抵疲れるのは星河か、あるいはフェルミャだった。そのフェルミャも星河の様子を見て、星河を休ませるためにメゥに対して自分が疲れたからと言って休息を進言しているだけのようだ。
つまるところ、実際に疲労が溜まっているのは星河だけだった。
「ミャ姉は、自分で疲れたって言う事すらできない、その貧弱男を庇ってるんだろ」
事実だった。
星河は最初の頃は疲れたから休ませて欲しいと提案していたものの、次第に自分からは休もうと言う事が無くなっていった。そして明らかに疲弊した表情を浮かべても意地でも歩こうとするので、見かねたフェルミャが休憩を確保するようになったのだ。
「なぁ、あんた。自分で体調管理もできないのか? 長旅になるって言っただろ。無理をせず疲れたら体を休めながら進む。これが長距離を移動する場合に最も早くたどり着く方法だ。途中で倒れたらどうしようもないんだぞ?」
メゥが苛立ちながら星河を責める。
星河のせいで移動に時間がかかってしまっているのが不満なのか、あるいは星河の態度が不快なのかは分からない。もしかしたら、メゥはとにかく星河という存在が気に喰わないのかもしれない。
「なぁ、黙ってないで何か言ったらどうだ?」
星河が疲れても口に出さない理由は単純だった。
ようは、星河は自分だけが何度も疲れたから休みたいと言っていたのでは恰好が悪いと思ったのだ。
そして、そういった意地を張った事でさらに二人に気を遣わせている事が、星河にとっては更なる屈辱となっていた。
星河はゆっくりと体を起こし、誰に向けてという訳でもなく独白する。
「……俺だけ疲れてたんじゃ、みっともないと思ったんだよ」
「ハァ? あんた、それで体力が無くなったらどうする気だったんだよ。格好つけるために死ぬのか? アレか、プライドで飯が食えると思ってるタイプなのか? なんで男って皆そうなんだよ! 惨めに泥まみれになって生きるより、見栄張って死ぬほうがいいってのか!?」
星河の台詞が逆鱗に触れたのか、メゥは怒涛のごとくまくしたてる。
だが、それをフェルミャが制止した。
「メゥ、やめて!」
メゥはフェルミャから今までとは違う雰囲気を感じ取る。
フェルミャの瞳にはメゥに対する敵意が潜んでいた。
「メゥには、できない人の気持ちなんて分からないのよ」
「……ミャ姉?」
「メゥは小さい頃から何でも出来たもんね。それで皆から褒められて。私がいままでどんな気持ちで過ごしてきたのかなんて知らないでしょ。周りの皆が当然のように出来る事が自分には出来ない事が、どんなに悔しいか知らないでしょう。そりゃそうだよね。メゥはそんな経験した事ないもの」
それは、今まで押し殺してきたフェルミャの気持ちなのだろう。
故郷では役に立たない能力を持って生まれてきたがために、今まで里の者たちに無能扱いされてきたフェルミャの抑圧された感情。
「セイガはね、私の能力が凄いって言ってくれたの。私が必要だって言ってくれたのよ。嬉しかった。ようやく自分の居場所ができたって思えた。メゥには分からないでしょ、この気持ち。私、里から出てきてよかったって思ってるのよ」
「ミャ姉、本当にそう思ってるのか?」
「あそこには私の居場所は無かったもの。私は何でも出来るメゥとは違うの!」
「ふざけんなよ!」
売り言葉に買い言葉なのだろうか。
不快感をあらわにするフェルミャに対してメゥが激昂した。
「あたしが何でも出来る? そんな訳ないだろ。だったらなんで今あたしたちは森の中を逃げ回ってるんだ! なんでネルンの連中に追われてるんだよ!」
メゥの発言に星河は驚く。
森を逃げる。追われている。
星河には初耳だった。
「ああ、あたしには分かんねぇよ。なんで里を焼かれて、命からがら逃げてきて、それでよかったなんて言えるんだよ。皆死んだんだぞ。父さんも、母さんも、他の兄弟たちも、大戦士バルディも、他の戦士たちも、皆、みんな」
メゥの頬を涙が伝う。
「分かってないのはミャ姉の方だ。ミャ姉は戦火が広がる前に里から逃げる事ができたんだろ? 戦いに敗れた戦士たちがどうなったかなんて知らないハズだ。逃げ遅れた人たちが残虐な連中に捕まってどんな目に合されたかなんて知らないハズだ。皆を逃がすために戦士たちがどうしたかも、ミャ姉は知らないんだ。だから、そんな事が言えるんだよ」
もはやメゥに先ほどのような憤怒は無かった。
ただ、悲しそうに俯いているだけだった。
だが、星河としては先ほどのメゥの台詞は聞き捨てならない。
「ちょっと待ってくれ、ネルンってなんだよ。逃げてるってどういう事だ?」
「驚いた、あんたそれすら知らなかったのか。てっきりあんたもネルンの侵攻から逃れるために故郷を捨ててきた流民の一人かと思っていたんだがな」
メゥが吐き捨てるように言った。
話によれば、日の沈む方角、星河たちが歩いてきた方向を戻ってそのまま進むと、そこにはネルンと呼ばれる民族が暮らしている土地があるらしい。ネルン民族は非常に好戦的な性格をしており、様々な国を征服してきた西の覇者なのだそうだ。そして彼らの矛先はフェルミャとメゥ達マルル族にも向けられた。マルル族は団結して抵抗したが、ネルンの軍事力の前に敗れて故郷を捨てて逃げる事にした。
ネルンに敗れた民族はマルル族だけでは無く、他にも様々な国や部族がネルンの前に敗北していったという。
「それじゃあ二人は故郷を去って、どこに行こうとしていたんだ?」
「……古い伝承でな。東の果て、海の向こうに、戦の無い平和な土地があるらしいんだ。『恵みの島の物語』と呼ばれている。あたしたちの目指しているのはその島だ。ま、本当はこの話は、子供に聞かせるおとぎ話の一つにすぎないんだがな」
「メゥ、そんな事言わないで! ……恵みの島は、絶対にあるんだから」
「そんな訳でな、あたしたちはこの童話を頼りに東に進んでるに過ぎないんだ。だけど不思議なもんでな。初めは誰が言いだしたかは知らない。でも、いつの間にかこの話がネルンから逃げる流民たちに伝わって、皆が東へと向かい始めたんだ」
子供におとぎ話を語るかのように、メゥは静かに言葉を紡ぐ。
「そして流民たちは引き寄せられるように集まっていった。その中には様々な部族が混じっていた。もちろん、あたしやミャ姉も入っていた。誰もが東を目指して歩いていった。東の果てにある理想郷の物語は人々の間で語り継がれるうちに、現実のものと言われるようになっていったのさ」
「それで、どうなったんだ?」
「あんたの目にはいろんな部族たちがいる一団が見えるのか? ここにはあたしとミャ姉とあんたしかいないだろ? ……流民たちは、ネルンの追撃部隊に襲われて散り散りになったよ。あたしたちはたまたま森に食べ物を探しに一団から離れていたから逃げられた。あそこにいた人たちがどうなったかは知らない。わき目もふらずに逃げたからな。そして森の中であんたに出会った」
話が繋がった。
つまり、フェルミャとメゥはネルンと呼ばれる国の侵攻から逃れるために東へ逃げている最中らしい。
「さあ、次はあんたの番だぞ。ネルンから逃げてきた訳じゃないとなると、あんたは一体何者で、森の中で何をやっていたんだ?」
メゥは星河をにらみつける。
「俺は……この世界の人間じゃないんだ。別の世界からやってきた」
星河が異世界から来たと聞いても二人は驚かなかった。
不思議な力が蔓延しているこの世界では、それぐらいの事なら起こり得る事だと思われているのかもしれない。
「そりゃ酔狂な事だ。なんで好き好んでこんなクソみたいな世界にやってくるんだか」
「……逃げてきたんだ。前の世界から」
そう。
星河は逃げてきたのだ。
今いる世界を捨てて、遠くに行きたい。
それが星河の元々の願い。
確かにその願いだけは叶ったと言えよう。
「前にいた世界では、俺の居場所はどこにも無かった。家でも、学校でも除け者にされていたんだ。だから、遠い世界に行きたかった。そして、アパートの屋上から飛び降りて死んだ。気が付いたら、この世界に居たんだ」
星河は静かに独白する。
メゥは星河の行動原理が理解できないようで、変な人を見るような目つきをしていた。
「ハァ? 自分から死んだのか? あんた何考えてるんだ、生きたくても生きられないヤツだって世界には沢山いるんだぞ?」
だがフェルミャには通じる所があるのか、星河の手を優しく握った。
「私はその気持ち、分かる気がする。自分が誰にも必要とされていないと思うと、消えてしまいたくなるの。そして、どこか遠くに、自分の居場所があるような気がしてくるのよ」
一緒だね、とフェルミャは笑った。
そしてフェルミャはメゥと向き合う。
「メゥ、さっきはあんな事言ってごめんね。私も皆が死んでしまって悲しい。でも、やっぱり私はどこか遠くに行きたかったの。自分を必要としてくれる人の所に、ね」
「いや、あたしも言いすぎたよ。ネルンの連中が追ってくるんじゃないかと不安でイラついてたみたいだ。何を言っても死んじまった人たちは戻って来ないからな」
そう言うメゥはどこか寂しげだった。
「よし、休憩はもういいだろう。先を急ごう」
言い出したのは星河だった。
いままで星河が休憩を打ち切った事が無かったので二人は驚く。
「セイガ、もう大丈夫なの?」
「無理して後で倒れるなんてのはやめてくれよ」
「ああ、これからは疲れてきたら遠慮なく言う事にするよ。二人とも、心配かけてすまなかった」
皆が自分の心を吐露したからだろうか。
星河は心なしか二人との距離が近くなったように感じていた。
そして一同は東へ向かった。
――――伝説によれば。
東の果て、雲の向こう。星の河のほとりに、約束の地があると言う。
既に2万文字近く行ってるのに、まだ最序盤なんですが^q^;