1-3 わび、さび、もえ
誰もが『怪物』と呼ばれる特殊な能力を持っていると、フェルミャは言った。
もちろん、自他ともに認める普通の高校生である星河にそんな生まれつき持っている特殊能力など無い。だから星河は正直に「そんな能力持ってないよ」と答えるのだが、フェルミャにはそれが納得いかないようでしばらく考え込んでいた。
「『怪物』が無いなんてありえないと思うから、たぶんあなたの言語だと違う概念で呼んでいるんだと思う」
フェルミャの口ぶりからすると、その『怪物』は誰もが当然のように持っている能力であるようだ。この世界で暮らす人たちなら当たり前の事なのだろう。
不思議な力の存在すら知らない人間などいるはずが無い、と思える程度には。
「実は私の能力で会話をした場合、お互いに言ってる事が正確に伝わっている訳じゃないの。相手の言語に無い概念を指す言葉を伝えようとすると、似たような意味の同じ言葉で置き換わっちゃっているみたいなのよ。だから、きっと『怪物』の事はあなたも知ってるハズだと思う」
どうやらフェルミャの能力には欠点もあるらしい。
フェルミャは伏し目がちに釈明する。
自分の能力に欠点がある事が恥ずかしいのか、どことなく気まずそうだ。
「いまいちよく分からないな」
「そうね……。乾燥した土地で暮らす人たちと話をした時なんだけどね。
『泉』と『泉』と『泉』と『湖』と『湖』が全部同じ言葉に聞こえてたようなの」
フェルミャは別の単語として喋っているようだ。
しかし星河には『泉』と『湖』という単語にしか聞こえなかった。
「泉と湖だけしか言ってないじゃないか。どう違うんだ?」
「飲んじゃいけない危険な水が溜まっているのが『泉』。『泉』は飲めるけど魚のいない小さな水場。『泉』は魚が取れる小さな水場よ。『湖』は魚が取れて安全な大きい水場の事。でも魔物が住んでいたり氾濫する事がある『湖』は『湖』と呼ぶの」
「……ほとんど一緒に聞こえるんだけど」
だがなんとなく星河はフェルミャの言わんとする事が分かりつつあった。
星河にとって魚が取れようが取れなかろうが泉は泉だし、湖は湖なのだ。 見た目の大きさなどでせいぜい呼び方が変わる程度に過ぎない。
だがこのケモノ耳少女の暮らす環境に置いては、その水が飲めるか、食料が取れるのか、危険は無いのか、といった違いが生活に大きく関わっているため、呼び方が変わってくるのだろう。
こういった事は地球でも珍しくない。
似たような話だと、アイヌ語には川や水に関する単語が数多くある。
例えば川の流れ一つとっても、すぐに氾濫してしまう危険な川を「ベツ」、洪水に強い川を「ナイ」と呼ぶ。また飲める水を「ワッカ」、飲めない水を「ベ」と呼ぶ。つまり、「ワッカナイ」という土地名は「飲み水のある洪水の恐れの無い安全で暮らしやすい土地」という意味が込められているそうだ。
そして、星河には川や水をそのように分ける発想が無いし、ましてや泉や湖をさらに細かく分ける概念も無い。そのため、フェルミャの持つ「言語が違っていても意志疎通ができる能力」を使って会話をした場合は、文化の壁を超える事ができずに、すべてが『泉』や『湖』として聞こえてしまうようだ。
ようは、文化の違いのせいで、お互いに言っている事が正しく伝わらない事があるというだけの話である。
フェルミャの言う『怪物』という能力も、日本語で一番近い単語がそれであるだけで、本当は全然違う言葉なのだろう。
「ごめんね。私の『怪物』のレベルがまだ1なばかりに、迷惑かけちゃってるよね」
再び申し訳なさそうにするフェルミ。
頭のケモノ耳もペタンとしおれていた。
怪物Lv1。
いいぞ、RPGっぽい。グッと分かりやすくなった。
つまりは、フェルミャという少女は翻訳の能力を持っているが、そのスキルレベルが1であるために精度に欠けているのだと星河は理解する。
だが、多少精度が悪くても翻訳能力はかなり重要だと言えよう。
「そんな事ないぞ。君の不思議な能力のおかげでかなり助かってる。君がいなかったら会話すらできなかったんだから」
「本当に? 本当に私、役に立ってる?」
褒められたフェルミャは露骨に顔をほころばす。
頭についているケモノ耳もぴょこんと起き上がっていた。
「ああ、多少の食い違が起きるって初めから分かっていれば十分対処できるだろ」
異世界に飛ばされた星河にとって、通訳の存在は本当にありがたかった。
見知らぬ土地で全く言葉が通じない相手と意思疎通しなければならない状況と比べれば、多少の言葉のズレが起きる事など些細な問題だった。
「となると、こっちの言っている言葉も別の単語で聞こえているのか?」
「ごめんなさい、私からだと分からないわ。何か知らない概念でもあれば分かりやすいんだけど……」
星河は思案する。
この異世界で存在していなさそうな概念。
あった。
――萌えだ。
フェルミの頭にあるケモノ耳を見た時から星河が感じていた気持ち。
これが異世界にあるはずが無い。
「フェルミャ、君は萌えキャラだ。特に君の頭にあるケモノ耳。俺はそれに萌えを感じる。感情に合わせて自在に動くその姿なんか、最高に萌えるぞ」
これで、フェルミャが俺の言葉を別の意味で捉えていたら、俺からフェルミャへの発言にも齟齬が起きていると分かるハズだ。
「フェルミャ、俺が言った事がなんて聞こえたのか教えてくれ」
だがフェルミャは顔を真っ赤にして押し黙ってしまった。
星河はもしかして自分の言葉が何か卑猥な単語聞こえたのかもしれないと焦る。
「フェルミャ、何か答えてくれないか」
「……私が、何もかも忘れて夢中になってしまうぐらい可愛いって。特に私の耳が愛くるしいって。私の耳が気持ちに合わせて動く姿は特にステキだって」
フェルミャは恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。
ケモノ耳もせわしなく動いている。
星河は自分の言葉がとんでもない意味で伝わってしまった事を理解した。
「本当に? 本当に私の事、そう思ってるの?」
フェルミャは期待と不安が混じった眼差しを星河に向ける。
星河は答えに窮してしまう。
どうしよう、なんか期待されてる。
それは勘違いだと言ったらどうなるか分かったものでは無い。
最悪、怒ったフェルミがどこかに行ってしまうかもしれない。
星河としては、今後もフェルミャの翻訳能力に頼っていきたかった。
ここでおかしな返答をしてフェルミャとの関係を台無しにしたくは無い。
そこで星河は嘘とも本当ともいえる無難な受け答えをした。
「……ケモノ耳が萌えるとは思ってるよ」
「本当の本当にそう思ってるの?」
「ああ、俺の言葉では嘘は言ってない」
フェルミャは星河の言葉を聞いて嬉しそうに破顔する。
星河は確かに間違った事は言っていない。
例えそれが、フェルミャにどう聞こえていようとも。
「フェルミャ、俺にはお前(の力)が必要だ。一緒に来てくれないか?」
「う、うん! 私でよければ、どこまでも付いていくよ!」
星河にとっては、翻訳者が欲しいから一緒に来てほしい、ぐらいの意味合いだった。
だがその言葉がフェルミャに何と聞こえたのか、そしてフェルミャがどう捉えたのか星河には知る由もないが、フェルミャは嬉しそうに星河の手を握るのだった。
「あの。ふつつかものですが、よろしくお願いします」
満身の笑みを浮かべるフェルミャ。
星河は大切な通訳と良好な関係を築けた事に安堵する。
メゥと呼ばれた赤毛の少女だけが、呆れたような表情を浮かべていた。
【設定集】
『怪物』とは、この世界の人々なら誰でも生まれつき持っている能力の事。
持っている能力は1種類であり、後天的に増やす事はできない。
しかし、精度や威力などは鍛錬により強化する事ができる。