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厄年

途中、数行ですが地震関連の話題が出てきます。苦手な方は注意してください

 兄一家と別れた私たちは、初詣のために電車で朔矢さんの住む通称”学園町”へ移動した。朔矢さんの通っていた大学を始めとして、外国語大学とか看護大学とか。いろいろな大学が集まっている地域で、私の住む西のターミナルから三駅、東になる。


「兄の高校と織音籠(オリオンケージ)は、何か関係があるのですか?」 

 電車の中で、さっきの兄との会話で気になっていたことを尋ねてみた。

「市外の出身の俺と、県外の出身のYUKI以外の三人が、柳原西の卒業生。この三人が高校の文化祭でやっていたのが、織音籠のはじまりな」

 右手を私に向かってパーの形に広げた朔矢さんは、話しながら親指と人差し指を折って見せた。

 織音籠のジャケットのいつもの五人の並び方。右端の朔矢さん、その隣のYUKI、だ。

「JINとは、中学の同級生って」

 市外なら、校区外のはず。

「あいつは、全県学区の英語コースだから」

 兄のさらに上をいく人だったんだ、JINって。柳原西の英語コースといえば、県内最高レベルの偏差値だったはず。

 その人に歌わせる(うた)を作るために、朔矢さんは国文に入って、同じ大学の法学部にRYOがいてって。あれ?

 なんだか、順番が変? また、どこかでだまされているのかな?

「どうした? 百面相になっているぞ」

「織音籠って、どうやって誕生したんですか?」

「高校のときにあいつらが三人で演ってるのを見て、『俺も仲間に入れてくれー』って言ったら『じゃぁ、一緒の大学にいこうぜ』ってな。で、RYOとMASAと俺が一緒の大学になって、JINが隣の外大。それから、お兄さんの言っていた大学の学祭を見たYUKIが入って、今の形になった」

「じゃあ、楽器って最初に決まっていたのですか」

「まぁな。MASAがギターやっているところに俺がギターで乱入する腕はなかったから、あん時はベースで良かったって真剣に思ったな。YUKIも地元でドラム習ってたらしいし」

「朔矢さんは、どうしてベースを始めたのですか?」

「中学の授業でちょっとギターを触ることがあってな、おもしれーって」

 それは、自由裁量の時間とかかしら?

「高校でギターをしたくって軽音部に入ったら、そんな奴ばっかでさ。誰がギターで、ベースでって決める時に、部長が『原口、バスケしてたならベース』って。ドリブルのリズムで弾いたら良いからとか言う理由でベースになった」

「そんなものなのですか?」

「部長だって素人なんだし、とりあえずのきっかけ作り、だな。そこで止まるか、レベルアップするかは本人の練習だろ。もともと、ピアノ習ったりとかの下地がねぇから、俺。音楽の授業がやっとの人間にはそれ位が適当なレベルだったんだろうよ」

 ピアノを習ったけど、年に数回授業で弾くことがある程度の私と、習っていなくっても音楽を仕事にしている朔矢さんと。

「それがめぐってプロになるって。本当に天職、ですねぇ」

「英語じゃCallingって言うらしいぜ。天からお前の道はこっちって、呼ばれるんだ」

 俺の場合、呼んだのは天じゃなくってJINの声だったけどな。

 そう言って朔矢さんは笑った。


 快速から乗り換えの普通電車を待つ間に、もうひとつ気になっていたことを訊いてみる。

「病気ひとつせずにって、さっき言ってましたけど」

「うん?」

「秋に、風邪を引いたこと、JINから聞きませんでした?」

「なんで、JINから聞くわけ?」

「薬を貰いに行ったら、美紗さんの職場でした」

 ちょっとの間考えていた朔矢さんが言ったのは、思わぬ言葉だった。

「それ、個人情報じゃねぇ?」

 ”個人情報”。そうだ。忘れていた。

 学校で怪我をした子を病院に連れて行っても、教師には保護者の同意がないと詳しい話をしてもらえなくなっている。

「JINは、完全に第三者だろうがよ」

 美紗さんを見くびっていた自分に気づいた。JINに何でも話していそうって。

 薬局で私を見たときの、初対面の相手を見るような彼女の表情。

 彼女は自分の力で立っている。職業倫理に忠実な”プロ”。

 両親や朔矢さんに寄りかかっている自分が恥ずかしかった。

 


 お参りする神社は、土地の氏神さまらしい。”学園町”にも氏神さまがあるのがちょっと不思議。

「俺の住んでるあたりは、古めの住宅街だから。あるだろ、それくらい」

 神社を目指して手をつないで歩きながら、朔矢さんは言う。

「今年、厄除け行った?」

 鳥居をくぐりながら、思い出したように訊かれた。

「いいえ?」

「お前、今年本厄だろ」

「三十三歳ですよね。まだ三十一です」

「数えの三十三、だろうが」

 常識、常識、と節をつけて歌われた。

「誰の常識ですか。それ」

「神社の常識だぜ。室町時代からのな」

 笑いを含んだ目で見下ろされた。いつも言われている仕返しをしたの、ばれたかしら。


 手水舎で、手を清める。

「せっかくだから、お祓い受けとくか? ここ、厄神様だし」

 うーん。どうしよう。 

 受けなかったら、何かあったときに嫌な気がする。社務所の窓口に書いてある料金もそんなに高くないし。

「そうですね。受けます」

 受け取った用紙に住所とか名前とか書いて。財布を出そうとした朔矢さんを止めた。

 食事は割り勘にしてもらっているけれど、映画のチケットとか細かい出費はいつも彼がすっと出してしまう。

「これは、私の厄なので。私が出します」

「それは、常識?」

「いいえ。神様に失礼だと思うので」

 そう答えた私の顔を、軽く握った右のこぶしを口元に当てて、じっと見た朔矢さん。今日の指輪、三日月のデザインだ。なんて関係のないことを思いながら、彼を見返す。

「OK。わかった」

 そう言って目を細めるように笑った。 


 お祓いをしてもらって、お札とおさがりを頂いた。初めておみくじも引いた。


 小吉。

 縁談 波乱あり。熟考をすべし。


 横から覗いた朔矢さんが顔をしかめて、アイタ、とつぶやいた。



 おみくじを枝に結んでから、彼の手をとった。初めて、私のほうから手をつないだ。クリスマスのように、ドキドキする。でも、神様が見えない手で背中を押した気がした。

「大丈夫ですよ。神様も『自分で考えて決められるようになりなさい』って言ってくれただけですから。もう一頑張り、なんですよね? 朔矢?」

 ”さん”という音を飲み込むように、彼の名前を呼び捨てにした。


 夏からの宿題、終わらせます。もう一頑張りして、あなたと同じ位まで気持ちを育てるために。


 そっと見上げた彼の顔は、心持ち赤い気がして。

「ありがとう。俺の一番近くに来てくれて」

 身をかがめるようにした彼は、耳元でそう囁いた。



 一月半ば。織音籠はYUKIのふるさとでコンサートをするとかで、旅の空。

 帰ってきたら、月末に地元でのライブがあるから、その日を楽しみに過ごす。


 三ヶ月ぶりに行ったライブはすっかり曲を覚えていたので、さらに楽しめた。定位置に美紗さんの姿も見える。

 何曲目だっただろう。JINの横にスタンドマイクがもう一本、準備された。美紗さんが、視界の隅で身じろぎをした。もたれていた壁から離れて、しっかりと立っている。他のお客さんも、それまでの熱狂がうそのように、静まった。いったい何が始まるのだろう。


〈 さて、一月です。しばらく会えないでいる人、もう会えなくなってしまった人。そんな人が、もし心の中にあるのなら、その人を思い出してください 〉

 そう話すJINに柔らかくライトが当たる。隣に、YUKIがドラムセットから降りてきた。

 客席がほのかに明るくなり、イントロが始まった。

 今まで聞いたことのない曲だった。JINだけじゃなくって、YUKIも歌っている。


 それは、鎮魂歌だった。


〈 明日の朝が来る保証は、誰にも、どこにもありません。もし、先延ばしにしていることが何かあるなら。ためらわずに行動してください。後悔だけはしないで 〉

 曲のあと、YUKIがそう言った。方言じゃないYUKIと、ステージでJIN以外の人がしゃべったのを初めて見た。



 後で聞いたところによると。

 十年ほど前にYUKIの出身地で大きな地震があり、その経験から生まれた曲だった。織音籠で唯一の、”作詞 YUKI”。CDには収録せず、一月のコンサートとライブでのみ演奏される幻の曲。


 夜明けの街を襲った、自然災害。


 『明日の朝が来る保証は、ないんです』


 YUKIのその言葉が、なぜか印象に残った。



 それからも何度かデートを重ねて。”朔矢”と呼ぶことに、少しのテレが残るまま、春休みを迎えた。

 今年はお花見に行けたらいいな、と思っていたけれども、三月の通知表シーズンと入れ替わるように、朔矢のほうが忙しくなって、またメールだけの日が続く。


 引越しから、ほとんど存在を忘れていたような固定電話が鳴ったのが、始業式の前日だった。

〔もしもし?〕

〔知美? あなた、ちゃんと電話に出たら名乗りなさいって〕

 迷惑電話があるから、名乗らないほうがいいって教えてくれたのは朔矢。かけたほうが名乗るべきだよって。

〔ちょっと、聞いているの?〕

〔はい〕

〔今日、市役所に行ったら、あなた勝手に住民票を移して。何考えているの、子供のクセに〕

〔移さないと、法律違反になるらしいので〕

〔そんな法律、聞いたことないわ〕

 母は、法律をいつ勉強したのかしら。

〔あるそうですよ。仕事先の事務さんに教えていただかなかったら、前科者になるところでした〕

 ”前科者”の言葉に母が息を呑むのがわかった。

〔とりあえず。そういうことはきちんと言いなさい〕

 そう言って、電話が切れた。

 実家からの初めての電話だったのに気づいたのは、夜、ベッドに入ってからだった。



 今年の担任は五年生。

 GW.のあたりから、私も五月下旬の自然学校に向けての準備とかで忙しくなってきた。


 朔矢から『体がやっと空いた』とメールがきたのは、五月の半ばを過ぎていた。自然学校に出発する前の週末だった。

 会いたい。けれども自然学校は次の土曜日までの四泊五日。休養をとっておかないと、持たない。帰ってきた直後も、きっと寝不足でダメ。

 考えて。決めるのは私。 ここで流されたら、成長できない。

 

 帰ってきた翌週にあう約束をした。

 手帳に書こうとして気が付いた。約束の日はもう六月になっていた。 



 約束の前日、朔矢から電話があった。

〔もしもし〕

〔こんばんは。朔矢だけど〕

〔はい〕

〔明日な、そっち行っていいか?〕

 そっちって、どっち?

〔ちょっと、マジな話をすることになるから、知美の部屋へ行っていいか?〕

 その言葉に、携帯を片手に部屋をウロウロしてしまう。

 掃除、はとりあえずOKだけど。どうしよう。男の人を部屋に上げるなんて。

〔知美?〕

〔はい。大丈夫です〕

〔じゃ、そういうことで。明日な。お休み〕

 そう言って、電話が切れた。


 翌朝は早起きをして、朝食のあと掃除をして彼を待つ。

 インターフォンの音に飛び上がって、足の小指をぶつけながら開錠する。

「おはよう、知美」

 そう言って、玄関ドアをくぐってきた朔矢は。

 なんだか、やつれて見えた。 


 コーヒーを淹れて、ローテーブルの前に向かい合って座る。

「朔矢、疲れてませんか? 仕事、大変なのでは」

 いつかとは逆に私が覗き込むようにして訊いてみた。あれ、年寄りジワ? 朔矢が最近笑っていない?

 言葉を捜すように、コーヒーカップを手に口を開いては閉じるを数度繰り返した彼は、カップをテーブルに戻した。

「悪い。知美」

「なにがです?」

「お前と、音楽。秤にかけたら、やっぱり音楽をとっちまう」

「それはそうでしょう? 天職なのですから」

 そう言った私を、泣きそうな顔で彼は見返した。


 JINの声が、四月の終わりに出なくなって。手術を受けたんだけどな。声、嗄れたらしいんだ。一昨日、RYOに電話がかかってきて。

 本人は歌いたいらしいけど、正直、売り物になるかは誰にもわかんねぇ。RYOは、心中覚悟で付きあう、っつってるけど。この先、織音籠がどうなるかも定かじゃない。

 知美のことを考えたら、お前のご両親に仕事、世話してもらうべきなんだろうけど。ごめん、俺、音楽やめられそうにない。


 それだけのことを言って、彼は床に手を突いた。


 厄年、だ。

 縁談 波乱ありだ。 


 ほんの半年前に見たステージ。五人誰もが楽しそうで、客席も幸せそうで。

 それが、一瞬で壊れた。


『明日が来る保証は、どこにもない』

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