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打ち上げにて

 ゾロゾロと、道を歩いて連れて行かれたのが個室の居酒屋さん。

 西のターミナル駅をはさんで、私の住んでいるマンションの反対側。ここからなら、歩いて三十分。バスもまだあるし。何より、実家じゃないから、門限がない。

「知美さん、何飲む?」

 右隣に座った朔矢さんが、ラミネートされたドリンクのメニューを渡してくれた。

「ウーロン茶で」

「MASA、ウーロン茶頼んで」

「了解」

 私の返事に彼は、戸口に一番近いMASAに注文の取次ぎをしてくれた。他の皆は、食べ物のメニューを見ながら、好き勝手なメニューを言っている。職場の忘年会とかは、コースで決まっているから、こんなのは初めて。

「知美さん、うれしそうだな」

「はい。職場の忘年会とは雰囲気が違いますし、門限の心配がないので」

「俺と食事する時って、実は門限まずかった?」

「約束が土日だったので時間も早かったですし。大丈夫ですよ」

 くー、と唸って、朔矢さんが頭を抱える。

「だから。そういうことは、言えって」

 門限はともかく。『家まで送ってこない』と、父は文句を言っていたけれども。

 西のターミナル近くに住む彼に、実家まで送ってもらっていては帰宅が何時になることか。

「おい、SAKU」

 私から見て左斜め向かいの席の、YUKIが声をかけてきた。

「お前、いつもと言葉がちがうやん? 顔、作っとんの?」

「作ってないぜ。俺はいつもこうだろうがよ」

 その答えに、朔矢さんの向かいに座ったJINがクックックと笑いながら

「SAKU。化けの皮が剥がれてるぞ」

「JIN、それ猫じゃねぇ?」

「猫ははがれない。かぶるけどな。帰って、愛用の辞書読んでみろ」

 くそー。負けた。と、朔矢さんがテーブルを叩く。



 ふっと朔矢さんとJINが顔を見合わせたかと思うと、それぞれがかばんからノートを出して何かを書き始めた。

 そんな二人に唖然としているいると、左肩を軽く叩かれた。

「少しは飲まれます?」

 ビール瓶を持った”あやさん”に尋ねられた。いつの間にか飲み物が届いていた。

 忘年会では『飲めないから』って言っても、『形だけ』ってビールを入れられるからそのつもりでグラスを手に取ろうとしら、

「ああ、知美さんは、飲まないから」

 ノートから顔を上げた朔矢さんが横から言った。”あやさん”は、ああそう、って顔でうなずいて向かいのYUKIにビールを注いでいる。

「いいのですか? 形だけでも入れなくって」

「いいって。飲まなかったらもったいないだろう。一滴も飲まないやつも居るし」

 手にしたペンで指す方を見るとJINがウーロン茶を受け取るところだった。JINって、ザルっぽく見えるのに。

「JINって、飲まないんですか?」

 私にも回ってきたウーロン茶を受け取りながら朔矢さんに尋ねると、

「飲むのは二十歳で止めた」

 聞こえていたらしいJINが、けろっとそんなことを言う。朔矢さんが、

「二十歳になってなかっただろうがよ」

 と、突っ込むと、少し考えながらJINが答えた。

「んー、そうか? まぁ、一生分飲んだし」

 未成年! 一生分飲んだってどれだけ。

「知美さん。信じないようにね。本人が酒を好きでないだけだから」

 くすくす笑いながら朔矢さんが言わなかったら信じていた。



 職場の飲み会とは違って乾杯の音頭があるわけでなしに、誰からともなく『乾杯』『お疲れ』の声が上がった。


「で、SAKU。紹介しろよ」

 ”あやさん”のさらに左隣からのRYOの言葉に、みんなの視線が集まった気がした。

「俺の彼女。生田 知美さん」

 あっさりとした朔矢さんの言葉に、私は頭を下げた。

 歳だの、出会ったきっかけだの、いろいろ尋ねられて。それに答える私たちを、向かいの席の女の子は黙ってビールのグラスを片手にチラチラ見ている。クラスに一人くらいいる。こういう子。話しかけられるのを待っているような子。



 質問が一段落したところで、朔矢さんが順番に皆を紹介してくれた。

「知美さんの隣が、綾さん」

「山岸 綾子です」

 綾さんのその言葉に、一同がよくわからない盛り上がりを見せて、拍手が起きる。

 先週、その隣に座るキーボードのRYO― 山岸 (とおる) ―と婚姻届を提出したそうで。私たちと会ったのはその帰りだったらしい。

 そして、RYOの向かいがMASA― 中尾 正志 ―で、その隣がYUKI― 野島 和幸―。

「知美さんの向かいが、JINの彼女の美紗ちゃん」


 知美”さん”で、美紗”ちゃん”?

 なんか、胸がチクッとした。


 美紗さんは、JINとちらっと顔を見合わせたあと、

「本間 美紗です。よろしく」

 軽く頭を下げてそう言うとにっこり笑った。

「で、最後がJINな」

「今田 (ひとし)。JINです」

 JINの自己紹介に、いつだったか朔矢さんが言ったことを思い出す。

「朔矢さん。JINの本名が、ダイマジンって言いませんでしたか?」

「だから、冗談だって」

「誰が、”大魔神”だ。俺は、ダイマじゃなくって、イマダ!」

 テーブル越しに、JINが朔矢さんの頭をわしづかみにする。目が笑っているけど。

「お前、いつまでそのネタやるんだよ。JIN」

 イカリングをつまみながらRYOが言って、自分でゲラゲラ笑う。それに向かってJINが吼える。

「うるさい。”手下その一”」

「大魔神”コンビ”が、”手下”に格下げか」

 JINの言葉に、MASAが笑い声で応じる。それを聞いて大笑いしている綾さんをRYOが小突いて、二人が叩きあいを始めた。大人っぽい夫婦だと思っていたけど、まるで男女の区別なくじゃれあっている小学校低学年だ。



「手下って、なに?」

 掴まれた手をはずしながら、朔矢さんがJINに尋ねると

「美紗の甥っ子が、RYOのことを『大魔神の手下その一』ってな」

「なんだ。美紗ちゃんの甥も、大魔神って思ったんだ」

 朔矢さんが、こめかみをさすりながら言い返す。

「正直なところ。実は初対面で美紗ちゃんも思った、とか?」

「朔矢さん。私にとっては初対面から”JIN”です」

 そう言って美紗さんはJINの目を見て笑った。JINはそんな美紗さんを、慈しむように眺めている。 

 二人の光景は、うらやましいくらいホノボノとしているけど。


 ”朔矢さん”で、”JIN”?

 もうひとつチクッとした気がした。



「それはそうと。初めてのライブはどうだった? 知美さんがこの前CD買ったって言ってたから、それにあわせてちょっと曲目を変えたんだ」

 手酌でビールを注いだ朔矢さんが、私の顔を覗き込むように尋ねてきた。 

 朔矢さんのほうに意識を向けて、胸のチクチクを無視する。

「生の音ってすごいですね。音とか声とかのパワーを感じました」

「だろ? あの曲が一番わかってもらえそうだなって思ったんだ」

「はい。朔矢さんが音楽をするのは天職ですね」

 そう言うと、朔矢さんはうれしそうに笑った。

 そんな彼を見て、JINが声をかけてきた。

「SAKUが妙にあの曲を推すと思ったら。そういうことか」

「いいだろうが」

「悪いって言ってないだろ?」

 わいわいと言いあう二人を眺めていた美紗さんが

「客席のみんなも喜んでたわ。久しぶりにJINのシャウトが聞けたって」

 と、ひと事のように言う。一番うれしそうだった子なのに。

「美紗さんも、すごくうれしそうに聞いていましたよね」

 私が話しかけたら、美紗さんが一瞬、固まった気がした。

「美紗と知美さん、近くで見ていたんだ」

 JINが話しに寄ってきた。

「えーと、私の前で壁にもたれていたので、顔が見えていて」

「美紗、そんなにうれしそうだった?」

「はい。筋金入りのファンなんだろうなって」

「筋金は入っているよな。美紗?」

 JINが話をふると、今度は美紗さんはにっこり笑った。さっき、固まった気がしたのは気のせい?

「高校生の頃からですから……十年以上、ですね」

「美紗ちゃんの定位置の後ろの緑のワンピース、やっぱり知美さんだったんだ」

「朔矢さん、定位置ってほどいつも同じ場所に居るわけじゃないですよ?」

「壁際にもたれているのは、昔っからの定位置だろ? 俺、美紗と知り合う前から『今日は壁際の子、きているな』って見てたし」

 そう言いながら大皿の生春巻きに箸を伸ばしたJINの右手の中指の指輪と、両手でグラスを握るようにしている美紗さんの左手の薬指の指輪。結婚指輪とか婚約指輪にしては存在感があるけど、ペアのような気がする。

「で、美紗もあの曲、うれしかったって?」

「だって。なかなか、聞けないでしょ? あの曲、最近歌わないじゃない」

「言ってくれれば、毎晩でも歌ってやるのに」

「やめて。家であんな声出したら、お隣から叱られるわ」

 JINと二人で、そんな会話をしている美紗さん。あれ? 一緒に住んでいるような内容に聞こえたのは気のせい?

「美紗ちゃんもJINも。痴話ゲンカはその辺にしておいて。知美さんが驚いている」

「朔矢さん、痴話げんかって」


 ”美紗ちゃん”で、”知美さん”で。”朔矢さ ん”で、”JIN”で。

 美紗さんと朔矢さんが話す度に、私の胸の辺りのチクチクがムカムカになってきた。


「朔矢さん」

 ムカムカが噴き出したように、私は彼の名を呼んでいた。

「何?」

「何で、美紗さんは『美紗ちゃん』で私は『知美さん』なんですか?」

「?」

「美紗さんも。何で朔矢さんを名前で呼ぶんですか。JINは名前を呼ばないのに」

 初対面の美紗さんにまで言ってしまった。座が静まりかえった。

「知美さん。どうした?」

 テーブルに右肘をついて軽く握った拳を口元に当てて、朔矢さんが私の顔をのぞくようにしながら尋ねてくる。さっきまでのにこやかな顔がうそのように、すごく真剣な顔で。

「聞いていて、なんだか嫌で」

 勢いが止まらず、言い募ってしまう。

「何が嫌か、言えるか? 言葉にできるか?」

「美紗さんの方が私より朔矢さんに近いようで、嫌です」

 こんなみっともないことを言っている自分がもっと嫌。


「『J』と『仁』で俺の人格が違うみたいに美紗は区別して呼んでいるから、今日はたまたま『j』だっただけだろうと思うけど。俺のことは普段、『仁』で呼んでいるから、そんなに気にしなくっても」

 JINが美紗さんをかばうように言う。けれど、釈然としない。

「そこに引っかかった彼女は、初めてだな」

 MASAの言葉に、また一つ胸が痛む。

 会ったこともない”今までの彼女”。

 朔矢さんの呼ばれ方一つにいちいち難癖をつけるような私とは違う、大人の彼女。

「綾さんは、RYOが本名で呼ばれるのは気になった?」

 そんな私の思いに気づく訳もないMASAの問いかけに、考えるように綾さんが答える。

「うーん。亮自身が喜んでいるから、私からはなんとも。めったにお会いしないけど、MASAの奥さんも『亮くん』だし」

「ああ、それもそうだな」

「でしょ? 『亮くん』で『ゆり』だからねぇ。『亮さん』『美紗ちゃん』より近いし」

「ンなもん、同級生だからしかたねぇだろ。いまさら『ゆりさん』『ゆりちゃん』なんか呼べるか。気色の悪い」

 RYOが、反論する。

 その言葉に、綾さんが肩をすくめ、MASAと顔を見合わせて笑う。

 配偶者が、同級生とはいえ異性を名前で呼んだり呼ばれたり。それを笑って流せるこの人たちとも、これから付き合っていかないといけないのか。朔矢さんと一緒にいるのなら。

 私はそこまで、大人になれそうもない。


 ちょっとの間、黙って考えていたらしい美紗さんが

「すみません。気が付かなくって」

 私の顔を窺うように上目遣いで言った。『みさちゃん』って、みんなが呼ぶのもわかるような、謝り上手、甘え上手な子。

 私がなれない素直な子ってこんな子だろうか。両親も、美紗さんみたいな子がいいのだろうか。

 私の思考が一瞬よそにずれている間に、美紗さんが首をかしげながら言った。

「じゃぁ、『さくさん』って今度から呼びますね」

「美紗ちゃん。それ、シーエッチスリー・シーオーオーエッチ」

 綾さんが笑いながら突っ込むけど。なに、それ。訳がわからない。

「あれ? そう、ですよね」

 さくさん? サクさん?

 口の中でブツブツと繰り返している美紗さん。

「綾、さっきの呪文なに?」

「CH3COOH。お酢の化学式。美紗ちゃんの言い方だったら、『SAKU』じゃなくって『酢酸』ね」

「それで話が通じるか。お前ら、本当に理系だな」

 綾さんの頭をグジャグジャ撫で回しながら、RYOがぼやく。

 何度も口の中で言い直している美紗さんを見かねたのか、JINが言う。

「知美さんが、俺を本名で呼ぶか? そしたら、あいこだろ?」

「それは、俺が嫌」

 それまで黙って話を聞いていた朔矢さんが、初めて口を挟んだ。


「だから。俺との”距離”が嫌なら、知美が変わってみな」

 知美?

 にやっと笑って、朔矢さんが言葉を続けた。

「呼び捨てにしてみろよ。『朔矢』って。誰よりも俺に近いところに来い」

 無理です。

 首を振る私の頭をひとつ叩いて。

「俺は、距離を縮めるぜ。『知美』って」

 さて、この宿題はいつまでの期限にしようかな。

 そう言って楽しそうに笑う彼の笑いジワを、こんなに恨めしく見たことはなかった。

未成年の飲酒は、法律違反です。

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