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月に誓う

 急ごしらえの舞台にもかかわらず、彼らは上手のほうから回りこむようにして私たちのところに戻ってきた。朔矢が言うには、客席まで直線に突っ切るのは『生理的に気色悪い』そうで。


 カフスボタンを嵌めなおす朔矢が、

「ジャケットのポケット」

 と言うので探ってみると、四つ折にした便箋が出てきた。『開けてみ?』と表情が言っているので開くと、あの美しい彼の字で詩が書いてあった。

「さっきの歌は、今回限りだからな。記念にお前が持っておいて」

 袖口の具合を確かめながら、にっと笑う。

「あれは、あいつのモンだし」

 朔矢が頭でクイっと指し示すほうを見ると、同じように美紗さんが青い紙を手にしていた。織音籠の作詞は朔矢とJINが分担しているけれど、英語の歌詞はすべて、”作詞 JIN”。と、いうことは。

「一番の日本語は、朔矢が?」

「わからなかったか?」

 慌てて、首を振る。満足そうに笑う彼にジャケットを手渡していると、慶子さんが近づいてきた。

「知美さん、一緒に写真を撮ってもいい?」

「はい。お願いします」

 かず君、写真良いって、と声をかける慶子さんの声に、近くにいたRYOが、カメラマンをかってでてくれた。

 兄一家と、私たち夫婦で写真に納まる。


「そういえば、兄さん」

「なんだい?」

「RYOの言っていた”時効”って?」

 デジカメの画面を確認するために頭を寄せ合っている兄とRYOを見ていたら、さっきの会話で気になっていたことを思い出してしまった。

 兄が、RYOの表情を伺う。RYOがぐるっと会場を見渡してから、兄にOKのサインを出して立ち去った。


「ジンさん、怪我でバレーができなくなってね。それが最後の総体の直前だったんだ。ジンさんが出ていたら、全国も夢じゃなかったかもしれなかったから。どうしても、僕たち周囲の人間が彼の力を惜しんでしまう。それで亮さんが『ジンの前で怪我のことは絶対口にするな』って、キャプテン命令をだしたんだよ。それがまだ、有効ってこと」

 朔矢の顔をなんとなく見ると、『しょうがねぇな』って顔だった。

「朔矢は、知っていた?」

「やつが松葉杖を突いているところに逢ったから、怪我のことは知っていた。『一生分バレーはやったから』っつって割り切ってたけどな。再始動前のナーバスな時期に、いらん古傷をほじくる必要はねぇってことだろうよ」

 RYOって昔っから、JINには過保護だし。

 彼はそう言って、少し離れた所からこちらを伺うように見ていたRYOに手を振った。



 そして、それから十日ほどして。結婚式の日にJINが言っていたように、六月の下旬にアルバムが出ることが公式に発表された。


 ”RE-birth”。再生。

 織音籠が再び生まれる。



「本日のお土産」

 六月のある月曜日。職員会議で遅くなった私が家に着くと、朔矢がクラフト紙の袋を差し出した。どこか懐かしい記憶に触れる、折り紙くらいのサイズで固い手触りの包装。

「CD?」

「うん。一足お先にどうぞ」

 そっと、テープをはずして袋から取り出す。MASA、RYO、YUKI、そしてSAKUのいつもの順番に並ぶ四人。だけど、真ん中のJINがいないジャケット。

「どうして? 四人?」

「裏返してみ?」

 裏返すと、こちらに背を向けた男性。腰の高さでお祈りをする形に指を組み合わせた両手首を、五線譜のデザインのリボンで括られている。顔は写っていなくっても、右の中指の指輪はJINだ。

「やつの新しい声のインパクトを効果的にってな。REのアイデア」

 うちの企画部長様ったら、イケズだから。と、ひそひそ話をする雰囲気で彼が言う。誰も他に聴いてなんていないのに。

「ぜんぜん違う声になったから、いっそ誤解させるのもありじゃね?ってよ」

「誤解?」

「うん。歌詞カード見りゃ、”作詞 JIN”だし、年季の入ったファンなら裏の後姿とか、指輪でわかるけどな。ぱっと聴き、『ヴォーカルが変わった?』作戦」

「指輪でわかるものなの?」

「俺みたいに色々着けてねぇから、あいつは。ここ数年、ずっとそれだけだぜ。アクセサリー。試しに、由梨さんとか、悦子さんにも見てもらっても判ったから、GO!って」

「美紗さんと、おそろい、だったよね? 結婚式の時には美紗さんの指輪が変わっていたけれど」

「おそろいっつうか、美紗ちゃんの方が先だな。あいつ片思いのクセに、男除けに着けさせたらしいぜ。”JINのもの”って名前が書きたかったんだとよ」

 ご飯とお味噌汁を並べながら、何かを思い出したように笑う。CDをカラーボックスの上に置いてきてから、私も箸を並べる。今日の夕食は、昨日作っておいたアジの南蛮漬け。


「今日は、仕事もって帰ってるのか?」

「うーんと、作文を少々。先週の金曜日に体験学習に行ったから」

 今日のたまねぎは、ちょっと辛い。

「朔矢、たまねぎよろしく」

「確かに、塩もみが足りなかったな」

 箸を伸ばして、私のお皿からたまねぎをつまんでいく。

「あ、ちょっとは食べたいから、半分残して」

「言うようになったねぇ」

 くすくす笑いながら、たまねぎを私のお皿に戻す彼。

「作文だけだったら、そんなに時間かからないか」

 話も戻った。

「そうねぇ」

 頭の中で、時間配分。片づけをして、お風呂でしょ? あと、五人ほどだから……。

「授業準備ほどにはかからないと思う」

「皿、洗っとくからとっとと片付けちまえ。で、CDを聴く時間を作ってくれると、うれしい」

 自信作、なんだろう。子供みたいなキラキラした目で見つめてくる。

「判った。さっさと済ませる」


 仕事も終わらせて、お風呂に入ると九時を少し過ぎたころ。朔矢のCDコンポでは、音が……どうだろう。ボリュームを絞れば大丈夫かな?

「聴くんなら、ヘッドフォンがお勧め」

 入浴の準備をしながら彼が言う言葉に従って、ヘッドフォンを繋ぐ。

「では、ごゆっくり」

 にっと笑って、お風呂場へ姿を消す彼の声をきっかけに再生ボタンに手をかけた。



「どう、だった?」

 CD丸々一枚分聞き終わるまで、朔矢がお風呂から出てローテーブルの前に座っていることに気づかなかった。

 彼は、ゆるく握った右手を口元に当てて、いつものように私の顔を観察してたみたい。

「お茶、淹れたから飲むか? って、冷めたけど」

 私の湯飲みを押しやるように手元に置いてくれるのを、半分ぼんやりとしながら受け取って口元に運ぶ。口をつけて、喉が渇いていたことに初めて気が付いた。 

「結婚式で聴いたのと、ぜんぜん違う」

「だろ? 耳元で聞くとヤラレルだろ?」

 あの日、サビの部分で変わったJINの声。あの滴るような色気の歌声が、延々十曲分。それを、耳元でって。

「声を見つけたって日に、いたずらで耳元でしゃべられたら、男の俺も『どうしよう』だったぜ」

 指先で空のCDケースを撫でながら、笑いを含んだ声が言う。そんな彼の顔を、眺めながらお茶を飲み干す。

「知美、目が潤んでいる」

 節高い手が頬に伸びてくる。猫の子が甘えるようにその手に擦り寄る。

「全部終わらせてから聴いて良かった。これから、仕事とかってできそうにない」

 ふっ、と笑いを零した彼に肩を抱き寄せられる。

「お前も、JINの”魅了のハスキーボイス”にやられたな」

 それはそれで、なんだか悔しいけど。

 耳元でそう囁く朔矢の声のほうが私には魅惑的。

 持て余す熱を伝えるように、朔矢に体重を預けた。



 再生した織音籠は、今までにない売れ方をした。

 JINの新しくなった声に”ヤラレた”ファンが一気に増えた。

 朔矢の言う『セーブのかかっていない忙しさ』なのか、東京での仕事も入ってくるようになって泊りがけの仕事の日も増えた。

 けれど、夫婦。

 『今日は、帰ってくる』と彼の帰りを心待ちに日々の仕事をこなし。

 朝起きた時に彼の寝顔を見て、彼の”好む”朝食を用意して。

 夜、遅く帰ってきた彼の気配を夢の中で感じる。

 一緒に住んでいるからこそ得られる空間と時間。

 そして貴重なオフは、今までと変わらぬ二人の時間を過ごした。



 秋からのツアーが始まって、私は三十四歳の誕生日を一人で迎えた。


「せんせー。僕のところ、昨日赤ちゃん生まれた」

 給食の時間にそう報告してくれたのは、山下くん。

 二年一組では、四人ずつのグループで給食をとる。そして三日ごとに担任の私がグループを移動する形で、子供たちと一緒に食べる。今日は五班。

「そう。弟? 妹?」

「妹。今日帰ったら、おばあちゃんと病院行ってくる」

「そうかぁ。お名前は決まった?」

「ううん。今日、お母さんと相談するって、お父さんが言ってた」

 箸が止まってしまっている山下くんに、食事を促す。

「せんせーは? 赤ちゃん、まだ?」

 山下くんの隣の小林さんにたずねられる。去年六年で担任したお姉ちゃんがいるからか、ちょっとおマセさん。

「まだだねぇ」

「新婚なのにねぇ」

 井戸端会議の口調で言う彼女に笑う。笑いながら、頭の中でカレンダーをめくる。

 あれ? 先月、いつだったっけ?

 心臓がひとつ、大きな音を立てた。



 次の土曜日。期待と不安の入り混じった心持ちで、私は診察室にいた。

「おめでとうございます。六週目ですね」

 初老の医師は、そう言ってにっこり笑った。安心するような柔らかい笑顔で。

 母子手帳の手続きのことや次回の診察のことを説明してもらって、フワフワと帰宅する。


 朔矢が帰ってくるまで、あと一週間。

 どうしよう。

 すぐに知らせたい。でも、喜ぶ顔が見たいから帰るまでナイショにする?

 玄関を開けて、一人でクスクス笑う。

 どうしよう。

 すごく変な人みたい。



 いつもの手順で、家事をこなす。

 今夜は、九州でコンサートの本番だって言ってたから、彼からはメールは入らないだろうな。

 まだ始まる時間じゃないとは言っても、本番前だからこっちから連絡入れるのも迷惑かな。

 そんなことを考えながら、人参を切っていた包丁をまな板に置いた。


 『子供が生まれたときのために、危なくない習慣をつけるに越したことはねぇし』


 包丁の置き方を注意されたときの朔矢の声が耳に甦る。


 背中を、ゾーっと何かが通った。

 私は、ちゃんと母親になれるのだろうか。

 包丁の置き方ひとつ、身についていなかった私に。

 朔矢と一緒になるために、親を”殺した”私に。

 親になる資格はあるのだろうか。


 急に、不安と吐き気がこみ上げてくる。



 ガスを止めて、その場に屈みこむ。床につけたお尻から、フローリングの冷たさが伝わる。


『冷たい手だな、お前。女は、冷やすと色々具合悪いらしいぞ。子供、腹ン中で育てるには適温があるらしいぜ。』

 朔矢の声が聞こえた気がした。

 ズルズルと、畳の部屋へ這って行く。

 体操座りをして、自分を抱きしめるように丸くなる。


 『さすがに、子供のころから家の手伝いしてただけあるよな。手際いいじゃん。一人暮らし始めたころの俺とは、雲泥の差』

 『お前、あの高校生の教え子に言ったんだろ? ”女子供に手を上げるな”って。あれ誰に教えてもらった? 自分で考えたって? そうか。反面教師ってやつだな。嫌な経験もちゃんとプラスになってるじゃないか』


 すがるものを求めるように、脳裏に彼の言葉が浮かんでくる。

 『大丈夫。知美は、疑うことを知らなかった分、いろいろなことを乾いたスポンジみたいに吸い込んでいるから。絞れば、何でも出てくるって。困ったときには、とにかく脳ミソ絞ってみな』


 深呼吸、をする。

 肩の力を抜いて、顔を上げる。

 大丈夫。大丈夫。

 自分に言い聞かせる。

 三十年、”子供”をしてきたんだ。先生も十年以上してきた。

 子供が嫌なこと、嬉しいこと、子供に必要なこと、有害なこと。

 私には、経験の蓄積がある。吸収してきた財産がある。


 何よりも、朔矢がいる。

 『ごめんな、まだ、お前を迎えてやれる状態じゃなくって。いつかきっと。俺たちのところに来いよ』

 誰もいない私のお腹にそう話しかけるような、”おとうさん”が居る。


 いつの間にか、吐き気は治まっていた。


 彼は遠い九州に居て、そばに居ないのに。

 記憶の中の言葉だけで、不安に波立つ私の心をなだめた。


 それは、まるでその身の満ち欠けに関わらず

 絶えず地球に影響を及ぼし続ける月のように。

 姿を見ることが叶わなくても

 (かれ)の力は、地球(わたし)を包み込む。 




 病める時も健やかなる時も

 富める時も貧しい時も

 近くにいる時も離れている時も

 私たちは常に共に在る。



 目には見えなくても

 確かな引力を伴って闇夜に存在する


 朔の月に誓って。


 END

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