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誓いの月  作者: 園田 樹乃


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14/17

帰省

 年が明けた。

 実家ではお雑煮を食べる習慣がなかったので、朔矢の実家にあわせた澄まし汁のお雑煮を二人で食べる。

 そして、元日の午前中に二人で朔矢の実家へ向かった。



 電車を降りて改札に向かう私たちの前を、大柄な男性が背中を丸めるように歩いていた。

 JIN?

 朔矢も気づいたらしい。

「おい、今田!」

 なぜか苗字で呼んだ朔矢に、振り返った顔はやっぱりJIN。

「ああ。あけましておめでとう。お前も戻ってたのか」

 JINはアーモンド形の目を細めるように笑うけれど、元の声とは似ても似つかない、かすれたような声になっていた。

「おめでとー。今年もよろしくー。今日は、一人?」

「ん? 美紗か? あいつも今日は実家に戻ってるよ」

「美紗ちゃん、実家どこだっけ?」

「西隣の県。大晦日から行ってるから、今夜には戻ってくるけどな」

 JIN、朔矢、私の順番に改札を通る。

「お前は、正月にかこつけて、両親に結婚の挨拶?」

「いいや」  

 ニヤって、笑った朔矢は左手で私の左手首をつかんだ。二人の指輪を見せるように顔の前にあげさせられる。駅前広場みたいなところで、立ち止まって、って、恥ずかしい。乗降客の少ない駅でまだよかった。


「もう、夫婦だもーん」

「うそ。いつの間に」

「クリスマスに。お前んちに”結婚しました”って年賀状も出したぜ」

「俺が出てくる時には、まだ年賀状届いてなかったな。……てことは、俺、もしかしてビリ?」

「だな。俺、最初っから結婚前提だったし」

「RYOだけじゃなくって、原口にまで抜かされた……」

「ひっでぇ。俺には抜かされない自信があったのかよ」

 朔矢がJINの肩を小突く。それを笑いながらかわしたJINが、表情を改めて私の顔を見た。

「知美さん、ごめんな。迷惑をかけて」

「いいえ、気にしないでください」

「だけど、式、出来なかったんじゃないの?」

「それはお前のせいじゃなくって、こっちの事情」

 な、と同意を求める朔矢の顔に頷く。

「去年は嫁さん連中全員、厄年だったからさ。いろいろ有ったんだよ。きっと」 

「ん? 女の大厄は三十三だよな?」

「三十六歳もだぜ」

「マジ?」

「マジ。あとの三人、俺たちと同級生だからさ。去年、数えの三十七だったろ? 後厄だよ。知美は本厄だったし」

 あれ? 朔矢が五歳上だから……去年って、数えの三十八じゃないのかな?

 指を使って数えかけたら、手をつながれた。顔を見上げると、目で叱られた。

「そうか、厄年か」

「そうそう。今度YUKIが帰省から帰ったら、お祓い行こうぜ。みんなで」

「ん。それもいいな。今年は、美紗が前厄だし」

 JINのその返事に、目じりにしわを寄せて笑う朔矢。

「厄年の集中攻撃受けたみたいなREも祓ってもらわねぇとな」

「厄年の集中攻撃って?」

 つながれた手を軽く引くようにして、尋ねる。


「去年の六月に、綾さんに男の子が生まれたんだけど。産休に入る直前、仕事中に眼を怪我したって」

「え?」

「楽器の修理の仕事していて、はじいた破片が眼に刺さったらしい」

 聞いただけで、自分の目が痛む気がする。怖い。

「幸い、妊婦に外回りは……って、持ち込み修理の部署に移動になってたから、すぐに病院に行って、大事には至らなかったらしいけど」

「そのあと、産休中に俺の声が出なくなったから、RYOが一番きつかったかもしれない」

 JINの声が、小さくなる。なんだか、尻尾を丸めた大型犬みたい。

「お前、まだ一生分歌ってねぇだろ」

 朔矢が、JINの頭を軽く叩くように撫でる。

「きっと、すぐそこまで来ているよ。お前の歌は。美紗ちゃんも待ってんだろ?」

 クーンと、鳴き声の聞こえそうな顔でJINが笑った。

  

 そのJINの後ろから、声がした。

「もしかして、原口君?」

 JINと朔矢が視線を交わす。

「知美、手袋しとけ」

「原口、誰?」

「奥野だな。お前、もう行け」

 小声で会話が交わされ、JINが背中を丸めるように立ち去る。一度も声をかけてきた女性のほうを見ないまま。

「やっぱり、原口君だ」

「久しぶりだね、奥野さん」

「やぁだ。とっくに結婚して名前変わっているわよぉ」

 現れたのは、お化粧の濃い女性。馴れ馴れしく朔矢の腕に触れる。

「原口君は?」

「ノーコメント」

 朔矢はコートのポケットに手を入れたまま、答える。


「さっきのは、『おっさん』の今田? 相変わらず、暗いのね。茶髪にしたって、あんなネクラに似合いっこないのに、馬っ鹿みたい。原口君たら、あんなのと付き合いあるの?」

「時々、一緒に呑みに行ったりね」

「ええー。『おっさん』のせいで疫病神がついたんじゃないの? 今、大変なんでしょ? 縁、切りなよ」

「それはそれ。これはこれ。今田のせいじゃないよ。奥野さん、電車乗るんだったら、急がないと来ちゃうんじゃない?」

 俺も、そろそろ行かなきゃ。

 そう言って、朔矢はステージで見せるような顔で彼女に笑いかけて、視線で私を促した。



 郵便ポストの角を曲がって数メートル歩いたところで、朔矢が頭を掻きながらため息をついた。

「あー。うっとおしい」

「今のは、誰?」

「中学の同級生。JINをいじめてたヤツの筆頭」

「だから、JIN……」

「織音籠のことは知っていても、JINが誰か気づいてないわけだ。教えることもねぇし、顔を合わせてあんなこと言われる義理もねぇだろ」

 正月から験の悪い、と吐き捨てるように言って、コートのポケットから取り出した手袋をはめた。



「この道をあっちに曲がったら、JINのうち」

 クリーニング屋さんの角を指差す朔矢に、JINの名前が出たついでと、さっき目で叱られたことを尋ねてみる。

「去年、朔矢たちは数えの三十八歳よね?」

「ああ。JINは早生まれだから、三十七な。あいつ、年齢の話は自分基準に考えるクセがあるから、時々ずれるんだよ。だから、気づいて突っ込まれるかなって思いながら、ワザと言ってみたんだけどな」

「JINは気付かなかったのね」

「うーん。どうかな? 気づかなかったのか、ノッたのか微妙だな」

 あいつのボケは、どこまでがノリでどこからがマジか判らんし。

 朔矢は、右手で繋いでいた私の手の甲を、リズムをつけながら左手でポンポン叩いた。 




「あけまして、おめでとうございまーす」

 朔矢が声をかけながら玄関を開けると、奥からバタバタと足音が聞こえて、小学生位の男の子が二人現れた。

「さくら ちゃん、あけおめー」

「お年玉ちょうだい!!」

 さく”ら”ちゃん?

「くぉら! 何べん言わせやがる。”さくら”じゃねぇ、っつうの!」

 朔矢の叱る声を聞いた小学生たちは、キャー、さくらちゃんが怒ったーと、歓声を上げて踊っている。

 そして

「おかえりー。さくら」

 奥から出てきた小柄な女性に驚いた。

 ワンレングスのボブなのだけど、顔を縁取る一筋だけ金色で、残りは真っ黒。前髪をかきあげると、その一筋の金髪がサラサラと流れる。

 ステージの朔矢と同じく、目を引く髪型の人だった。


「知美さんね。姉の芙美子です」

「はじめまして。知美と申します」

「さ、上がって。両親も待ってたのよ」

 スリッパラックに手を伸ばす芙美子さんに、朔矢が後ろで舌を出した。

「さくら、見えてるんだけど」

「だから、さく”や”だろうが。ボケたのかよ」

「だーれーがー?」

 振り返った芙美子さんは、朔矢との身長差を上がり框の段差で埋めて、彼の頬を両手でつまんだ。

「子供心を忘れないだけって言って欲しいわね」


 ゛子供心に溢れた゛芙美子さんは、小学生の罰ゲームのように縦だ横だと歌いながら朔矢の頬を縦横に引っ張ると、上がりがまちに二足のスリッパを並べた。

 奥へと子供たちを追い立てていく彼女の後ろ姿を眺めながら、

「子供心?」

 と尋ねる。

「俺が生まれる前にな、勝手に姉貴が妹だって思い込んでてよ。桜の季節に生まれるからって、おふくろのお腹に『さくらちゃん』って呼んでたんだと」   

 ところが、桜の盛りを少々通り越した新月の夜に男の子が生まれた。

 それで、ついた名前が”朔矢”。

「二歳半だった姉貴はそのまま『さくら』って呼びやがって。家では両親も『さっちゃん』。似合わねぇこと、この上ないだろ?」

 つねられた頬をなでながら苦笑した朔矢は、スリッパに足を入れた。



 芙美子さんのご主人の信二さんは、光の加減で紫に見える髪をした人で、夫婦で美容師をされているらしい。

 子供たちは、小四の皓貴(こうき)くんと小一の大輝(だいき)くん。

「そうだ。いい事、思いついた。今度、”さくら”って呼んだら、お年玉、漢字ドリルな。知美は先生だから、いくらでも難しいの貰ってくるぞ」

 お重の並んだ座卓の前で、勝手にそんなことを言いながらポチ袋を渡す朔矢に

「あ、それいい考え。じゃぁ、どんどん呼ばせて、一杯漢字ドリルもらおーっと」

 芙美子さんが、手を打ち合わせる。小学生が、おびえた顔で私を見る。

「お母さん、あんな事言ってるぜ。さぁ、お前らどうする?」

「もう、呼びません」

「ごめんなさい。さっちゃん」

 まだ、それが残っているか、と、朔矢ががっくり肩を落とし、お父さんが爆笑する。

「ねぇねぇ、知美先生っていうの? 僕のクラスは竹内先生」

「学校では、知美先生じゃなくって、いく……原口先生、です」

 大輝くんの質問に、四月から名乗ることになる名前を答えながら、朔矢と目が合ってしまってなんだか照れくさい。

「へー」

「さっちゃんのお嫁さんだから、原口なのはあたりまえだろ? お前、馬っ鹿じゃねぇ?」

 皓貴くんが大輝くんを指差して笑うものだから、取っ組み合いの兄弟げんかが始まる。


「こら」

 初めて、信二さんが声を出した。

「お前ら、けんかするなら向こうでやれ。埃が立つだろうが。食いモンのそばでバタバタすんじゃねぇ」

「はいはい、退場」

 朔矢が子猫みたいに子供たちの襟首をつかんで、隣の部屋に引きずっていった。


「朔矢、畳が傷む」

「俺、ベースより重いモン持った事ねぇし。こんなの持ち上げられない」

 叱る口調の芙美子さんに言い返した朔矢は、『育ちがいいもんで、ほほほ』と、しなを作りながら戻ってきて、私の横に胡坐をかいた。

「どうした? 俺の顔に何かついているか?」

「うーん。今のは、朔矢よりもRYOのほうが似合うと思う」

 その私の答えに声を立てて笑う朔矢。

「あれは、完全に営業用の顔だぜ。JINよりもRYOのほうが性格も言葉も荒いぞ」

「そういえば、今田君。どうしているの? あれから」

 お雑煮をみんなに配りながら、お母さんが尋ねた。

「さっき駅であったから、あいつも今日はこっち戻ってるよ。そろそろ歌えるようにはなってんだけど、営業戦略的にどういう方向で売るか、悩み中。とりあえずCD出すか、では、潰れるから」

 そこで、本人も足踏みしちゃてるし。

 そう言って、彼はお箸を手にした。



 小学生相手にトランプをしたりカルタをしたりお正月らしく過ごして、一日が過ぎる。実家で、こんなお正月した事なかったな。父方の祖父が元気だった、小学生のころ以来。

 夕食は、お鍋。クリスマスに食べられなかったから、朔矢がうれしそうに箸を伸ばす。

「おい。朔矢」

 お父さんがビールを差し出す。それに対して、彼はグラスを取らずに首をふる。

「なんだ、飲まねぇの?」

 お義兄さんが、皓貴くんの取り皿に野菜を山盛りにしながら、尋ねた。

「ちょい、酒断ち中」

「なに? 肝臓? あんたも年ねぇ」

 冷やかす芙美子さんを、朔矢が軽く睨んだ。


「るっせ。願掛けだよ」  

 種を明かした朔矢の言葉に、あーって感じで大人たちが、顔を見合わせる。私の向かいの大輝くんが

「知ちゃん、願掛けって何?」

 と尋ねてきた。すっかり懐いてくれて、いつの間にか『知ちゃん』。

「お願いがかなうように、好きなものを我慢することです」

「ふぅん。じゃ、僕は野菜を我慢する」

「そうか、”我慢して”いっぱい食え」

「やめてー。お肉入れてー」

 悲鳴を無視して、信二さんが大輝くんのお皿にも白菜を入れる。

 一家団欒って、こういう光景なんだな。

 実家で正月を迎えた兄たちは、どうしているのだろう。



 後片付けを芙美子さんと手分けして済ませてから、その日はお暇した。

 この家は、私の実家のある蔵塚市をぐるーっと周る形の路線のその先。南隣の笠嶺市に有るので、なかなか移動が長距離。けれども、途中には朔矢の通った高校とか兄の高校とかの最寄り駅があったり。

「あ、さっきの駅が、RYOと綾さんの実家のあたりらしい」 

 って、通過した駅を指差したり。

「綾さんたちって、実家ご近所?」

「幼稚園からの付き合いだとよ。家族ぐるみらしいから、今日なんか初孫を囲んで大宴会じゃねぇ?」

「綾さん、スタッフだったって言わなかった?」

「”スタッフみたいな人”な。RYOの楽器をメンテしていた楽器屋さん。幼馴染と職場で再会、ってやつ」

 そんな話をしながら、二人で快速電車に揺られた。 


 普通電車への乗換えの間に携帯をチェックした。メールが一件。慶子さんからだった。

【知美さんたちからの年賀状、届いていたようです。お義父さんが、破り捨てました】

 結婚を知らせる年賀状を両親にも出しておいた。年末の兄のアドバイスに従って。

 朔矢にも携帯の画面を見せる。

「お母さんの目に入ったかな?」

「どうでしょう? 見ているといいけど」

 無理、かな? 父が見せもせずに捨てていそう。

 なんだか急に寒くなって、朔矢の腕にしがみついた。



 翌日、昨日届いた分の年賀状を取りに自分の部屋へ一度戻った。

 留守電の件数は、三件。

 『連絡しなさい』『連絡しなさい』『もう一度見合いしなさい』!?

 付いて来ていた朔矢と顔を見合わせる。

〈 ジュウニ ガツ  サンジュウイチ ニチ  ゴゼン ジュウ ジ  ニジュウサン フン 〉

 機械の音声に、少しほっとした。年賀状を見る前だ。

「いまさら、お見合いって……何を考えて」

「俺から引き離しゃ、元通りって思ってんのかもな。本当に、何か『変なスイッチ』入っているな」

「昨日は電話なかったみたいだから、お正月の間にスイッチが切れるといいのだけど……」

 明後日から、仕事始め。来週には新学期が始まる。新居を見つけて引っ越すまでは、こっちの部屋で一人だ。

「お前が一人でいる時に押しかけてこられるのが一番怖ぇな」

「戸籍にバツをつけるような”みっともない”ことはしないでしょうから、年賀状を見ていれば、安心なのだけれど」

 父が破り捨てたのが痛い。

「まぁな。だからお兄さんも、結婚の事実を知らせておけって言ったわけだし」

「ですよね? たとえ見ていないとしても、こっちには印籠もあるし」

 右手の握りこぶしを口元に当てている朔矢に、本棚のすぐ出せるところにおいてある”婚姻届受理証明”を手にとって見せる。

 本来の使い道とは違うみたいだけど。これがあれば、私たちは国が認めた正式な夫婦だ。

「きっと大丈夫。あの日、合鍵は取り返したから、両親を中には入らせない」


 心配しないで。この部屋は、敵を侵入させないためのオートロック。


 私を見くびった母が選んだ部屋が、私を守ってくれる。

「とりあえず次の休みに部屋、探そうな」

「うん。そうね」

 引越しまでは、この部屋で母と再び戦う。

 がんばれ、私。

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