教えて! エルフ先生!
私は、恋をしている。叶わない片思いを。
「魔法歴千五百十二年、魔法管理局が設立されました。魔法を管理する団体はこれまでにもいくつか存在しましたが、我が国での魔法管理局は……」
低く静かで、しかしハリのある声が教室に響く。お昼ご飯を食べたあと、三限目の魔法歴史学の授業は修行に近いと思う。現に教室の八割の生徒は船を漕いでいる。真面目に板書をしているのは、私と優等生の委員長くらいだ。
「では、ウィステリアさん。この魔法管理局の初代局長の名前は分かりますか?」
ウェステリア、とは私のラストネーム。名前を呼ばれた私は立ち上がって、はっきりとした口調で答えた。
「ローデン・エディンバリアンです」
「正解。よくできました」
そう言って褒めてくれたのは、オリバー先生だ。去年から赴任してきた新しい先生だけど、実はこの学園でいちばん年上。なんたって、オリバー先生は長寿のエルフだから。
「ちゃんと授業を聞いていた良い子には、面白いことを教えてあげましょうか」
先生は私を見て、パチンとウインクをして見せた。先生は何百年も生きているエルフだけど、その見た目は二十代後半くらい。亜麻色の長い髪を後ろで縛り、長い耳が覗いている。通った鼻筋に、長いまつ毛に縁取られた琥珀色の瞳。全てが美術品みたいで、心が蕩けてしまいそう。
「ミスター・エディンバリアンは、非常に優秀な魔法使いでした。しかし、重大な秘密があったのです」
そして教科書の中央に描かれている肖像画を示して、茶目っ気たっぷりに言う。
「彼、とてもフサフサな髪をしているでしょう? しかしね、実は彼の頭は、冬の森のように寂しいものだったのですよ」
ぷっ、と誰かが吹き出す音がする。それが自分だと気づいて、慌てて口を抑えた。
「どうして先生は、そんな秘密を知っているんですか?」
生徒のひとりが尋ねる。
「演説中に風が吹いて、カツラが飛ばされてしまったのを見てしまったからです。ですが彼は気付かずに演説を続けるので、その場の観衆はとても大変でしてね。笑いを堪えるのが精一杯でしたよ」
「っ、ふふ……!」
つまり、歴史上の偉人はハゲだったってことだ。そう思ったら、なんだか笑いが込み上げてしまって必死に隠した。
こんな裏話、歴史書には載っていない。けれどオリバー先生は知っている。だって先生は、これまでの長い歴史をこの目で見てきたのだから。
「おや、もうすぐチャイムが鳴りますね。少し早いですが終わりにしましょうか」
先生は教科書を閉じて、終わりの挨拶をした。みんな、眠気まなこを擦って気だるげな挨拶をする中、私のハキハキした声だけが浮いている。前の席にいたリズは大きな欠伸をしながら、こちらを振り向いた。
「フィオナ、また授業起きてたんだ? オリバー先生っていい人だけど、あの声のせいで眠たくなるんだよね」
リズの相変わらずの様子に、私は肩を竦めた。
「先生の話、面白いのに。ノート見せよっか?」
「たっすかるー! さっすが優等生っ! 持つべきものはマジメな親友だね!」
「もう、リズったら」
私は笑いながら、リズにノートを見せてあげた。ここだけの話、私は魔法歴史学だけは成績がトップだ。そのノートのおこぼれを貰えると、リズは喜んでくれる。
私は、オリバー先生の授業が好きだった。お話は面白くて、わかりやすい。それに歴史について話すオリバー先生を見ていると、なんだか私まで楽しくなる。オリバー先生の話は教科書どおりじゃない、生きた物語をきいているようで不思議な感覚だった。
「ほんと、フィオナってオリバー先生のこと好きだよね」
リズの言葉に息が詰まる。頬がかあっと熱くなって、俯いた。リズはそれ以上からかうことはなくて、ぽんぽわと頭を撫でてくれる。持つべきものは、理解ある親友だ。
そう、私はオリバー先生に恋をしていた。
その日の放課後、私はオリバー先生の部屋に向かっていた。教科室に向かうまでの廊下の鏡で前髪を直して、スカートの裾を正す。曲がった襟も整えた。よし、これで完璧。
「オリバー先生、失礼します」
夕日が差し込む部屋には、古い羊皮紙と、ほんのりハーブティーの香りが漂っている。オリバー先生はいつも通り、笑って受け入れてくれた。
「あぁ、ウェステリアさん。今日も勉強熱心だね」
「先生に質問したいところがあって」
「いいよ。見せてごらん」
切れ上がった涼しげな目元。おまけにエルフ特有の気品まで纏っている。全女子生徒の憧れの的である……と思っているのは私だけだってリズが言っていたけれど、絶対そんなことない。先生はこんなにも魅力的なんだもの。
「先生って、彼女いるんですか」
あ、しまった。
「あ……えっ、えっと、そのぅ」
私の口から勝手に飛び出してしまった質問に、慌てて口を抑えるけれどもう遅い。言葉はもう二度となかったことにはならない。たとえどんなに願っても、時間は巻き戻らない。
先生はティーカップを傾けていた手を止め、困ったように眉を下げて微笑んだ。優しく、そして美しい笑みだった。
「うーん……。今は、いないよ」
「そ、そうですか」
ちゃんと真面目に答えてくれたことが、嬉しくてたまらない。きっと誰も見ていなかったら、ダンスを踊っていただろう。でも今は先生がいるから、我慢我慢。
でも、やっぱりおかしい。
これだけの美貌、これだけの優しさ、そして人間より遥かに長い寿命を生きているエルフだ。過去に何百件のプロポーズを蹴ってきたか分からない先生に、恋人がいない?
「もしかして……」
私の脳裏に、ひとつの仮説が浮かび上がった。
先週の授業、先生は『歴史に名を残した男たちの熱い戦友愛』を、いつになく熱弁していた。
そして昨日。私は中庭で、オリバー先生が筋力派の体育教師のエイル先生と、親しげに肩を叩き合って笑っているところを目撃したのだ。
点と点がつながり、線になった。
私はカッと目を見開き、感極まって先生の両手をガシッと握りしめた。
「先生……! 私、そっちの趣味でも偏見なんて一切ありませんから!」
「……へ?」
先生が目を見開いて、口角がひくっと跳ねる。しかし、私の妄想暴走特急は止まらない。超特急ノーストップ、ブレーキは既に折れちゃった。
「先生が体育のエイル先生と恋仲だったなんて、知らなくて。でも安心してください、私、二人の恋を全力で応援します!」
こうして私の初恋は儚く散ったのだった。
涙目で親指をグッと立て、踵を返して走り去ろうとした、その時。
「……ちょっと待ちなさい」
背後から、聞いたこともないような低い、ドスの利いた声が響いた。
「へ?」
振り返ると、オリバー先生がいつも見せる優雅な笑顔を完全に消し去り、ものすごい形相で私の肩を掴んでいた。
「どこからどうしてそうなったんだい。僕は男なんか好きじゃない、恋愛対象は女の子だ」
「えっ、でも彼女は、『今はいない』って……」
「いない=男が好き、になる論理の飛躍を説明してくれないかい、ウェステリアさん?」
いつもは涼しげな琥珀色の瞳が、今は思いきりジト目で私を射抜いている。エルフの気品はどこへやら、完全に拗ねている男性の顔だ。
「だ、だって、先週の授業で『歴史に名を残した男たちの熱い戦友愛』について、あんなに熱く語ってたじゃないですか!」
「あれはただの歴史的事実だよ! 友情と恋愛の区別くらい僕だってつく!」
「じゃあ、昨日のエイル先生との密会は!?」
「来月の体育祭の魔法防壁の予算について、エイル先生が『頼むから歴史学の予算を少し回してくれ』って泣きついてきたのを慰めていただけ!」
「え、えぇえ?」
ってことは。私の仮説がガラガラと崩れ落ちる。
「先生、本当に、女の子が好き……?」
私が恐る恐る尋ねると、オリバー先生ははぁぁぁ……と、地球の裏側まで届きそうな深い深い溜息をついた。そして、私の肩を掴んでいた手を離し、乱れた前髪をさらりとかき上げる。
「当たり前だ。まったく、何百年も生きてきて、生徒にそっちの疑惑をかけられたのは初めてだよ」
「あ、あの……本当にごめんなさい……」
恥ずかしさのあまり消えてしまいたくて、真っ赤になって小さくなる私。そんな私を、先生はしばらく呆れたように見つめていた。
やがて、ふっと、いつもとちがう、意地悪そうで、でも甘い笑みがその綺麗な唇に乗る。
先生は少しだけ腰を落とし、私の目線に顔を合わせた。
「ねえ、フィオナ」
「ひゃいっ!?」
名前。今、初めて先生にラストネームじゃなく、ファーストネームで呼ばれた。
「そんなに僕の恋愛事情が気になる? 『今はいない』っていうのはね……」
先生は私の耳元に顔を近づけ、あの、教室中を眠りに誘うはずの、でも今は私の心臓を爆発させそうな低音で囁いた。
「実は人間の女の子を一人、好きになりかけているからだよ。でも、年の差を気にして、ちょっと足踏み中なんだ。彼女が大きくなってもまだ、僕のことを想ってくれていたら。その時は……ね」
「……え?」
パチン、と先生がウインクをする。いつも通り、完璧なウインクだった。
「さあ、質問の時間は終わり。早く戻らないと、下校チャイムが鳴りますよ、ウィステリアさん」
細いけれど大きな手に、頭をポンポンと叩かれて、私の頭は沸騰した。
「し、しつれい、しまひゅ」
噛んだ。最悪。
私は文字通り這う這うの体で教官室を飛び出した。バクバクと五月蝿い心臓を押さえながら、私は廊下でへたり込む。
「人間の、女の子……?」
それって、まさか。いや、でも。そんな都合のいいことが?
ぐつぐつ、ふわふわ、ぱちぱち。
頭の中が忙しくて、暑くて、沸騰しそう。頬に手を当てると、ジュッと火傷してしまいそうだった。私はそのまま、リズが迎えに来るまで廊下でへたりこんでしまっていた。
散ったはずの初恋の蕾が、さっきよりも大きな音を立てて花開こうとしていた。




