表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

第五章 ありのまま、という選択

――それでも、出すと決めた――

その年のみかんは、最初から不安を抱えていた。

梅雨明けまでは、悪くなかった。

樹の状態も安定し、実のつきも例年通り。

「今年は、いけるかもしれん」

誰かがそう口にしたのを、山野は覚えている。

だが、夏が変わった。

強い日差しの裏で、ハダニが増えた。

九月に入ると、カメムシが一気に出た。

葉が食われ、光合成が思うように進まない樹も出た。

さらに追い打ちをかけるように、お盆以降の長雨。

水を含んだ実には、細かな傷が残った。


見た目だけなら、はっきりと「訳あり」と言われるレベルのものも混じる。

選別場で、五人は黙り込んだ。

甘さはある。

香りもある。

だが、すべてが揃っているわけではない。

「これ、どうする」

誰かが言った。

市場に出せば、評価は下がる。

見た目を重視する流れは、今も強い。

無理をして出せば、信頼を失うかもしれない。

一方で、すべてを加工に回すほどの量でもない。

畑で育ったみかんが、行き場を失っている。

山野は、実を一つ手に取った。

皮に、小さな擦れがある。

だが、剥いて口に入れると、はっきりと伊木力の味がした。

斜面の甘さ。

潮風のコク。

そして、今年の苦労。

「今年は、今年の味です」

その言葉を口にしたとき、空気が変わった。

「嘘は、つかん」

「盛らん」

「言い訳もしない」

自然条件を正直に伝える。

見た目のことも、甘さにばらつきがあることも。

そのうえで、選んでもらう。

それが、はなまる果樹園の答えだった。


発送が始まった日、山野は不思議な落ち着きを感じていた。

怖さがないわけではない。

だが、やれることはすべてやった、という実感があった。

数日後、一通のメッセージが届いた。

「見た目に少し傷はありました。でも、家族で食べたら、すぐになくなりました」

別の人は、こう書いていた。

「今年の伊木力みかんは、ちゃんと“今年”を感じました。また来年も、楽しみにしています」

山野は、その文を何度も読み返した。

評価ではない。

点数でもない。

ただ、受け取った人が、向き合ってくれた。

それで、十分だった。


夕方、斜面に立つ。

大村湾は、いつものように光っている。

二百年前と、同じ海だ。

斜面は相変わらずきつい。

楽になることは、きっとない。

それでも、ここには続きがある。

伊木力みかんは、完成された商品ではない。

毎年、違う。

その年の天気と、人の判断が、そのまま味になる。

だからこそ、誰かが手に取ってくれたとき、物語は続く。

これは、みかんを売る話ではない。

斜面を、歴史を、次の世代へ渡す話だ。


はなまる果樹園は、今日も登る。

評価されるためではなく、「また作れるようにする」ために。

その一箱を選んだあなたも、この物語の、続きの一人だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
本作の核心。 完璧ではない年、傷のある実、それでも出すという決断。 「盛らん」「嘘はつかん」「言い訳もしない」 この三つの言葉に、二百年分の矜持が凝縮されています。 届いたメッセージが、評価ではなく“…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ