第二章 斜面が人を試す
――甘さの裏側――
朝の伊木力は、静かだ。
大村湾から立ち上る白い靄が、山の斜面をゆっくりと包み込む。
遠くで船のエンジン音が小さく響き、やがて消える。
畑に立つ男は、しばらくその景色を見下ろしてから、ゆっくりと足元を確かめた。
一歩、踏み出す。
伊木力の畑に「平らな場所」はほとんどない。
体は常に斜めになり、気を抜けば足が滑る。
背中には肥料の袋。米ぬかと砕いた貝殻が混じった、有機肥料だ。
軽くはない。それでも機械に任せることはできない。斜面が急すぎるのだ。
男は息を整えながら、樹の根元に肥料を撒く。
樹の幹に手を当てると、冷たい。生きている感触が、はっきりと伝わってくる。
「今年も頼むぞ」
誰に聞かせるでもない言葉だった。
伊木力みかんが甘い理由は、教科書的には簡単に説明できる。
急斜面で水はけが良いこと。
日当たりが良いこと。
潮風がミネラルを運ぶこと。
だが、実際にこの斜面に立てば、その裏側が見えてくる。
水はけが良いということは、すぐに乾くということだ。
雨が降らなければ、樹はすぐに水を欲しがる。
日当たりが良いということは、夏の照り返しが容赦ないということだ。
潮風は、時に樹を痛めつけるほど強く吹く。
甘さは、自然が勝手にくれるものではない。
人が見極め、我慢し、手を入れ続けた結果として、ようやく残る。
肥料をやりすぎれば、実は大きくなるが味がぼやける。
水を与えすぎれば、甘みは逃げる。
何もしなければ、樹は弱る。
「ちょうどいい」は、毎年違う。
男は何度も失敗してきた。
天候を読み違え、実を落とした年もある。
害虫に気づくのが遅れ、葉を失った年もある。
それでも、この斜面を離れようとは思わなかった。
平地に移れば、作業は楽になる。
効率も上がる。
だが、同じ味は出ない。
伊木力の斜面は、人を甘やかさない。
だが、嘘もつかない。
手を抜けば、はっきりと結果に出る。
向き合えば、必ず返してくる。
男はふと、山の上を見上げた。
この斜面を、何代もの人間が登り降りしてきた。
江戸の頃も、昭和の頃も、そして今も。
甘いみかんの向こうには、いつもこの斜面がある。
それを知っている者だけが、伊木力でみかんを作り続けてきた。
そして、この厳しさが、次の世代にとっても試練になることを、男はまだ知らない。
――物語は、ここから動き始める。




