第28話 腕に閉じ込める 1.もう一度
最近、橘君がよく私の部屋にいます。どうやらまだ自室のエアコンの調子が悪いようです。雪が喜ぶので構わないのですが、正直緊張します。
という訳で、現在橘くんは私のベッドで絶賛お昼寝中なのです。
(・・・・・。良く寝てる。)
部屋で学校から出た課題をやっていた岬はふと横に視線をずらした。そこは自分のベッド。白いシーツが掛けられたそこには今聖が眠っている。更にそのお腹の上には体を丸めた雪もいる。
出会った時子猫だった雪もどんどん体が大きくなり、今では体重2キロ以上はある。そんな雪をお腹の上に載せるのは正直岬ではもう辛いのだが、聖は差して気にならないようだ。腹筋の差だろうか。
しばらく聖と雪のあどけない昼寝姿を眺め、岬は再び机の上に広げられた教科書と課題のプリントへ目を戻した。先程からこれの繰り返しで、正直課題の進みは遅い。
(だって、ねぇ・・・)
自分の好きな人がすぐ横で眠っているのだ。それも仕方がないと思う。思うが、リビングに移動する気にはなれない。聖と課題を天秤に掛けて聖を取ってしまうのだ。どうしようもなかった。
(私って、好きな人できるとこんな感じなんだなぁ・・・)
女子高校生にとって恋バナなんて日常茶飯事で、かつ最も盛り上がる話題だ。故に今まで友人達の悩みやら惚気やらは散々耳にしてきた。想い人が出来た途端性格が変わったように盛り上がる子もいれば、臆病になる子もいる。それまで真剣に好きな人がいなかった岬にとって、こんな自分は初対面だ。
聖といるとふわふわして落ち着かない。つい目で追いかけて、ふとした時に顔が浮かぶ。何を考えているのか知りたくなる。触れられると気持ちが良いと思うのは、・・・・・多分雪の感情だと思う。頭を撫でて欲しいだとか、体温を感じてほっとするだとか・・・・・・、これも雪だと思う。というか、思いたい。
(こういうの、橘君はどう思うんだろう。)
ただでさえ、学校のファン達を毛嫌いしている聖である。こんな身近に彼女達と同様の人間がいると分かったら、今まで通り仲良くして貰えないかもしれない。
(あれ・・・・、私もしかして結構マズい立場にいるの?)
正直、自分はポーカーフェイスが上手い人間ではない。むしろ真逆。親しい人に嘘が付き通せる程器用じゃないのだ。もし今聖の目が覚めて「俺の事好きなのか?」とか訊かれたら、うっかり「はい」とまでは言わなくても、間違いなく激しく動揺してしまうだろう。そうなったら完全アウト。ただでさえ今頭の中はふわふわで、脳みそ溶けてるんじゃないかと思う程なのに。
「ん・・・・」
「!!!」
飛び出しそうな程心臓がドキッと大きな音を立てる。聖が身じろぎしただけなのに、なんだか悪いことをしている気分だ。あぁ、冷や汗までかいてきた。
「・・・・。」
「・・・・・って、あ!起きたの!!?」
視線に気づいて横を見れば、うっすらと開いた目がこちらを見ていた。うわぁぁ、お、起きていらっしゃる。
途端に全身が緊張し、シャーペンを握っていた手が固まる。
「お、おはよう?」
「・・・・・。おはよう。」
すると再び聖は目を閉じてしまった。あれ?もしや寝ボケてただけ?
しばらくしてまたもぞもぞと動いたと思ったら、今度は一度欠伸をしてお腹の上の雪を撫でる。そしてそっと白い体をベッドの上にどかした。本格的に起きるようだ。その一連の流れを眺めていた岬は慌てて課題に取りかかる。
スプリングがきしむ音と共に、聖が立ち上がるのが視界の端に映った。あれ、なんて声をかければいいんだろう。いまだ緊張が解けないまま考えていると、視界に入ったのは机の左端に置かれた大きな手。
「・・どこまで終わった?」
「!?」
寝起きの低い声が岬の耳に入り込む。そのあまりに近い距離に咄嗟に体を引いてしまった。顔を上げれば聖が机に手を付いて、岬の課題を覗き込んでいた。
「あ・・・・えと、数学の・・・・、プリントはもうちょっとで終わる・・よ。」
「ふーん・・・・・」
興味あるのかないのか、よく分からないトーンで返事をされ、岬は再び固まってしまった。聖の視線が机の上から自分へと移動する。
「なんで逃げんの?」
「え・・・・、その、びっくりして?」
体を引いたままの体制だが、そう言われてはいつまでもこのままという訳にはいかない。ぎくしゃくしながら元の位置に戻れば、聖にくっついてしまいそうなくらい近くなる。それを意識してしまった岬の顔はぐんぐん熱くなるばかりだ。
(あ~~、ダメダメ。赤くなったらバレちゃうから~~~!!!)
バレたらこんな風に話しかけて貰うことも出来なくなる。必死に聖の方を見ないようにしていると、何を思ったのか聖の声が更に低くなった。
「・・・今何考えてた?」
「え・・・」
つられてちらりと目線を上げれば、その先にあったのは不機嫌に眉間に皺を寄せた表情。
(あれ・・・・、もしかして、とっくにバレてるの?)
だからこんなに不機嫌になってしまったのだろうか。弁解を口にしようにも、混乱している頭では碌な言葉が出てこない。
「え・・、えと・・・。何って言われても・・・」
「じゃあなんで目を逸らすんだ?」
(うぇぇぇぇぇぇ!!)
鼻と鼻が触れてしまいそうなほど至近距離にいるのに、相手の目など見られる訳がない。おまけに自分の顔は真っ赤。こんなの見られてしまったら、その瞬間終わりだ。それとももう、自分は嫌われてしまったのだろうか。そう思うだけで情けなくも声が震えてしまう。
「ご、ごめ・・・・」
「・・・岬?」
「ごめ・・、なさい・・。」
「・・・・。何を謝ってるのかさっぱり分からない。」
優しく両頬を包み込む聖の手。それが温かくて余計に泣きそうになる。子供みたいでかっこ悪い顔がバッチリ聖に見られてしまい、もう隠す気力もなかった。
「俺のこと嫌いか?」
「ちが・・・。」
「なら、なんで・・」
「・・・って、嫌われたくない・・・」
「・・・・は?」
「嫌われたくないから・・・・・。」
うつむいてしまった視線を追うように、聖は床に両膝を着き、下から岬の顔を覗き込んだ。
「なんで俺がアンタを嫌うんだ?」
「だって・・・」
「嫌いな奴にキスなんてしない。」
(・・・・・・・・え?)
ポカーン、という間抜けな顔で岬は聖の顔を見た。意味が分からないのではない、聖の言葉が示すものを上手く飲み込めないでいるのだ。
(キスって・・・・、キス?それってあのキス?しないってどういう事?したことがあるって事?私、橘君とキスした事なんて・・・・・)
夢で見た、あの一度きり。
「え?あれ?・・・夢じゃなかったの?」
「夢?」
「だ、だって・・・・。あれ?」
「夢だと思ってたならそれでもいい。信じられないならもう一度する。」
「え・・・・」
ふわっと一瞬で体温が近付く。目を閉じる暇もなく聖の唇が触れて、その感触で急激に現実感が湧いた。温かくて、柔らかくて、湿っている。一度触れた唇が離れて、角度を変えてもう一度近付く。
(あ・・・)
今度こそ目を閉じた岬の腰を聖が抱きしめる。二度目のキスは長くて、最後にちろりと下唇を舐められた。目を開いた岬の目の前にあるのは嬉しそうな聖の顔。
「分かった?」
「・・えっ、え・・・。」
「俺がアンタを嫌うわけない。」
つまりそれは、その・・・。えーと・・・。
「フリじゃなくて本気。俺と付き合って。」
脳みそは完全に溶け切っていて、何も言葉にならなかった。出来たのはただこくりと頷くことだけ。頭のふわふわが増徴して、現実なんだか夢の中なんだかはっきりしない。けれど煩いくらい鳴っている自分の鼓動は本物で。自分を抱きしめる聖の腕の感触も本物なのだ。