第27話 名前を呼ぶ 3.タバコ
※タバコは20歳になってから!!
喫煙に関する記述がありますが、未成年者の喫煙を促すものではございません。
学生寮、自室のドアを開ける。中に居たのはルームメイトではない同級生八代忍。当たり前にいつもこの部屋に入り浸っているので、もはや勝手に巽のベッドに寝っ転がっていることに文句も出ない。だがそこには珍しく本来のルームメイト瀧田修の姿がなかった。
「おかえりー。」
「おう。修は?」
「ヤニ吸いに行った。」
「あいつが?珍しい。」
修は巽や八代と違って教師の覚えもめでたい優等生。教師どころか同級生でさえ修に喫煙経験があるなんて知らないだろう。巽も彼がタバコを吸っている姿を見たのはこの学校に入学したての時期だけ。それも2~3回程度だ。
「だよなぁ。俺あいつが吸うって知らなかったもん。」
「一年ん時はたまに吸っとったけど・・。最近は見てへんな。」
「ストレス溜まるようなことでもあったのかねぇ。」
「・・・・。」
修は同級生と比べても精神年齢が高い。感情のコントロールが上手いと巽は思っている。その彼がちょっとやそっとの苛立ちでタバコに手を付けたりはしない筈だ。
気になった巽はバッグを置くと再び部屋を出る。
「上行って来る。」
「いってらっしゃーい。」
学生寮の屋上は基本的に夕方以降立ち入り禁止だ。けれど抜け道というのはどこにでもあるもので、巽はいとも簡単に上部に取り付けられた狭い窓から屋上に入った。ドアにさえ鍵をかけていれば良いというのは大間違いだ。
給水タンクや電気の配電室が並ぶそれ程広くない屋上には唯一どの建物からも死角になっているスペースがある。屋上の出入り口の壁と給水タンクの隙間。目の前は空きビルのでっかい看板があるだけなので誰にも見られる心配は無い。その場所を熟知している巽は一旦出入り口横の梯子を使って上に登り、その隙間へと降りた。案の定そこには小柄な男子生徒の背中が見える。
手すりにもたれかかった修の口から吐き出されるのはやはり紫煙だ。
「珍しいやんか。」
「あぁ。お帰り。」
驚くこともなく、いつもの調子で修は後ろを振り返った。手すりから外へ投げ出された右手には火のついたタバコ。真っ暗な闇の中でオレンジ色の光を灯している。
いつもは優等生の表情を見せている修は同学年に比べて顔のつくりが少し幼い。そんな彼が慣れた仕草でタバコを吸っているのは妙な倒錯感があった。
「どないしたん?」
「ん?」
「なんかあったんやろ?」
そう言って隣に並べば修が右にずれてスペースを空けた。あまりこの隙間は広くない。3人も入れば窮屈になる。
「別に。そう言えば、巽は吸わなくなったよね。」
「煩いのがおるからな。」
「あぁ。岬さん?」
「・・・。お前ってほんま怖いわ。」
するといつものようにくつくつと修が笑う。その笑顔に裏があるようには見えない。
「好きな人のために禁煙なんて、巽も可愛いところがあるよね。」
「うっさい。」
話を逸らされたのは分かっていたが、巽は最初から無理に聞き出すつもりはない。そんな青春ぶった馴れ合いは元々得意じゃないのだ。
「あぁ。もうすぐ盆やな。」
「・・・。」
「お前、今年はどないするん?」
すると修がタバコを銜えた。先が赤く光り、青白い顔をぼんやりと照らす。ゆっくりと吐き出された煙が夏の空気に溶ける。
「さぁね。適当に寝床探すよ。」
「去年は八代のトコにおったんちゃうんか。」
「いや。荷物だけ置かせてもらって、後はネカフェとか漫喫とか。」
「あぶないなぁ。」
「カプセルホテルとかは学生の使用に煩いんだ。下手したら家出と間違えて通報される。」
「さよか。」
巽達が利用しているこの学生寮も年中無休ではない。お盆と年末年始は寮で働く職員も休みとなる為、全員実家へ帰省する。長期の休みでも実家に帰らない修は昨年八代の部屋に荷物だけ置いていたらしい。男とはいえ中学生が一人で夜出歩いているのは危ないが、修のことだから上手く補導されずにやってきたのだろう。
「巽は大阪?」
「せや。兄貴の墓参りにな。」
「そっか。」
修におせっかいを焼く必要が無い事を自分が良く知っている。けれどなんとなくその横顔が放って置けなくて、巽は一つ提案を持ちかけた。
「なぁ。」
「ん?」
「俺がええとこ紹介したろか?」
「え?」
「三食フロ付き。しかもタダ。俺がこっちで世話になっとるトコがあんの知っとるやろ。そこや。」
ホームなら管理者は渚。巽が頼めば断りはしない筈だ。仲間じゃなくても金を払わなくったって食事の面倒くらい見てくれる。巽も安心して紹介できる場所だ。
それを聞いた修は珍しく目を丸くした。巽が普段入り浸っている場所がどんな所かは知らないが、破格の待遇なのだから驚きもするだろう。
「それは・・・魅力的な提案だけど。いいの?」
「ええやろ。俺が大阪行っとる間は部屋空いとるんやし。修がええなら家主の許可とっとくで。どや?」
一瞬考えをめぐらせた修だったが、やはり補導されるような危険があるよりかはその提案に乗った方が得。そう判断して頷いた。
「じゃあ、お願いしようかな。」
「おう。任しとき。」
「それに、行ったら噂の岬さんに会えるんだろ?」
「おまえなぁ・・・。」
楽しそうにメガネの奥の目を細める修。それを見た巽の顔が苦いものになる。けれど予想していたよりも反発しない巽の態度に修は首を傾げた。
「あれ、どうしたの?もっと嫌がると思ったのに。」
「・・・・・・。」
「?」
言葉を待っている修から顔を逸らし、巽は屋上から見える景色へと目を移した。と言っても目の前に見えるのはテナント募集中の大きな看板。見ても楽しくない夜景だ。
「あんなぁ。」
「うん。」
「フラれた。」
「・・ホントに?」
「あぁ。」
夏祭りで八代達と共に見かけた二人の姿は存外様になっていて、内心結構イケるんじゃないかと思っていた。けれど修の予想は外れてしまったらしい。まぁ、かと言ってあれこれ口を出す気はない。修はポケットの中からタバコの箱を取り出し、巽へと向けた。
「そっか。一本吸う?」
久しぶりのタバコだったが、巽は首を振って断った。その仕草に修は何故か嬉しそうに微笑む。その表情が癪に障って巽は顔をしかめた。
「なんやねん。」
「いや。愛の力って偉大だなって思ってさ。」
「黙っとけ。アホ。」
今度は修が声を出して笑う。しばらく並んで夜風に当り、八代からメールが届いたのを合図に二人は部屋へと戻っていった。