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PARTNER  作者: 橘。
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第26話 恋しくて傷つける 3.懇願

 暗い場所に雨が降っている。岬は傘も持たずに立っているが不思議なことにちっとも濡れない。けれど背筋を這う寒気に襲われ、一度身震いした。

 いくら周囲を見渡してもそこに自分以外誰の姿もない。ただ真っ暗な空間が広がっているだけだ。どこへ行けばいいのかも分からず、でもじっとしているのも嫌で歩き出す。誰もいないというのが不安で仕方がない。


「雪?」


 自然と口から零れたパートナーの名前。だが呼んでも応えてくれない。おかしい。例え近くに居なくたって、パートナーとして覚醒してからは必ず内側で繋がっている筈なのに。

 真っ暗な場所。触れても濡れない雨。そして雪がいない世界。


(夢・・?)


 なんとなくそう思った。頭が上手く働かないのも、体が重いのも多分夢の中だから。でも夢の中で雨に降られるなんて記憶にある限り初めての事だ。

 雨はあの日のことを思い出させる。どしゃぶりの夕立に濡れ、聖と栗橋あすかの姿を見たあの日を。


(考えたくないのに・・・)


 考えれば考える程ずるい自分に気づく。彼女ではないのに聖の隣に居座っていた自分に。彼のことを好きな子達がどんな思いをするか分かっていて、それでも彼の為だと言い訳をしていた自分に。


『・・・アンタ、最悪。』


 あの時聖に言われた言葉は、そんな自分を責めている気がしたのだ。聖の為だと言い聞かせ、自己満足に彼の傍にいたことを。


(ごめんなさい。橘君。)


 今更謝っても許して貰えないかもしれない。それにもう聖の隣には栗橋が居る。自分よりずっとずっと綺麗な女性が。新学期が始まっても聖と登下校を共にすることはないだろう。チケットを貰ったと言って、映画や水族館に誘ってくれることもないだろう。自分は聖にとって高校のクラスメイトでパートナーを持つ仲間。その位置が変わることはないのだ。


(嫌だなんて・・思っちゃいけないのに・・)


 どうしてこんなに寂しい気持ちになるのだろう。置いていかれた気分になるのだろう。胸が痛くなるのだろう。仲間なら、恋人が出来た彼を祝福するべきなのに。


(私・・・一番になりたかったの?)


 今まで聖の一番傍にいたのは自分だった。だから勘違いしていた?ずっとこれが続くんだって。でもそうじゃないと現実を突きつけられ、こんなに苦しい。ずっとずっとあのまま一番近くに居続けたかったの?


 聖の傍は居心地が良かった。人との付き合いが不器用な彼がその分味方にはどこまでも優しくて。自分は優しくしてもらえる立場の人間なんだと思うことが出来た。

 雪と出会う前、変化に戸惑う自分を助けてくれたのは聖だった。兄に会うべきか迷った弱い岬の心を励ましてくれたのは聖だった。シンの挙動に怯える岬の傍に居てくれたのは聖だった。


(私・・・)


 いつも誰にも迷惑を掛けないよう大人達の顔色を伺っていた岬にとって、周囲の言動を気にせず自分のやり方を貫く聖は憧れだった。怒鳴られても睨まれても力になりたくておせっかいな事に口を挟んだ。聖になら弱さを見せられる気がして、初めて他人に兄のことを話した。

 自分の気持ちを閉じ込めて生きてきた自分にとって、聖は心の内側を晒すことの出来る相手なのだ。一方的に想うだけじゃない。心の繋がったパートナーのように悩みも弱さも願いも知りたい、共有したいと思える相手なのだ。


(きっとそんな人、他にいない。)


 例えそれが仲間であっても同じこと。聖が仲間だから傍に居たいんじゃない。橘聖という一人の人間が岬には必要なのだ。


 いつの間にか雨が止んでいて岬は顔を上げた。その時、真っ暗な闇の中で誰かの気配がしてはっと息を呑む。視線の先に立っていたのは――





 * * *


 気づけばドアの前に居た。物音一つしないドアの向こう。そこは岬の部屋だ。


「・・・・。」


 聖は迷いながらノックしようとしていた手を下ろした。そして物音を立てないようそっとドアノブを下げる。ゆっくりと開かれていくその隙間から見えたのは真っ暗な部屋とベッド。


(・・・寝てる。)


 時刻はすでに夜中の2時過ぎ。気づかれないようノックしなかった時点で確信犯だが、どうしても彼女の顔が見たかった。見たい、でも見られたくない。だから彼女を起こさずに、許しを得ずに部屋に入った。彼女に非難の目を向けられる覚悟はまだ出来ていなかった。

 彼女が寝ているベッドへ近付くほど心臓が煩くなっていく。これ程までに動揺する相手なんて、自分の感情が乱れる相手なんて今までいなかった。


(顔を見るだけだ。)


 自分に言い聞かせてベッドの脇に膝をつく。ぼんやりとカーテン越しに入ってくる夜空の蒼い明るさだけが彼女の顔を照らしている。その表情に感情は宿っていなかったけれど、微かに聞こえる寝息が苦しそうに乱れていた。


(まだ熱が?苦しいのか?)


 確かめるだけ。自分自身に言い訳して震える指先を伸ばす。前髪に触れれば汗で濡れていて、そっとどかして額に手の平を当てた。


(熱い・・)


 昼前に話をした時よりも熱が上がっているようだ。夕食後に薬を飲んでいるだろうから冷却シートを取って来よう。慌てて立ち上がろうとした時、掠れた岬の声が漏れて聖の心臓が跳ねた。


「ん・・」


 体は金縛りにあったように動かない。両膝を床に着いたままの姿勢で、聖は息を呑んだ。ゆっくりと彼女の瞼が上がったのだ。


「・・・たちばな、くん?」

「・・・・。」


 名前を呼ばれても聖は動くことが出来なかった。この部屋に入ったことへの言い訳ばかりが頭を占めるが、どれも彼女に言うべきことではない。けれど自分はどうすればいい。今は亡羊とした目で自分を見上げているあの瞳に、もしも拒絶の色が浮かんだら。

 混乱と焦りで言葉を紡げない間に、もう一度彼女の唇が動く。


「ごめ・・・」

「・・葉陰?」

「ごめ、なさい・・。」


 何故?

 謝られる心当たりなどどこにもなくて、聖は益々混乱した。むしろ謝らなければならないのは自分の筈だ。酷い言葉で傷つけたのは自分の方なのに。

 意を決して聖はベッドに片手をつく。そして岬の頬に手を当てた。


「・・どうした?何を謝ってるんだ?」


 するとタオルケットの中から出てきた岬の手が頬に触れている聖の手に重なる。その手も熱い。


「私・・ずるい・・・」

「落ち着け。熱が出て苦しいんだろう?しゃべらなくていい。」


 彼女は熱のせいで混乱しているようだ。やはり熱を冷やすものを持ってきた方がいい。そう判断した聖は彼女から手を離して立ち上がる。けれどそれを止めるように岬の手が聖の裾を弱弱しく握った。


「葉陰・・。」


 この行為が信じられないほど嬉しくて。彼女が自分を必要としているのではないか、という錯覚に囚われる。例えこれが熱のせいだとしても、それでも――

 聖は衝動的にベッドの上に座り横になっている彼女を縋るように抱きしめていた。聖の肩口に額を寄せた岬は途切れ途切れに呟く。


「隣に・・いたかった・・」

「葉陰?」

「たち・・なくん・・の・・・隣・・・」

「っ!!」


 その意味が脳内を駆け巡る。足の先まで痺れるような感覚が聖を襲う。


(どうしてアンタは・・俺が欲しい言葉をくれるんだ。)


 そうやって今も熱に浮かされ苦しんでいる状態で、それでも聖をこれ程までに喜ばせる。こんなことが出来るのは岬だけだ。岬だけが幸せな感情も、凶暴な感情も与えることが出来る。自分を振り回す事ができる。


「葉陰。」


 彼女を腕に閉じこめたまま、聖はそっと耳元で囁いた。


「俺は、ここにいていいのか?」

「・・・たちばなくん?」


 熱い息とともに吐き出される自分の名前。どうしようもなく胸に熱いものがこみ上げてきて、聖は抱きしめる腕に力を込めた。


「・・・ここがいい。」

「・・?」


 腕を緩めて彼女の顔を見下ろす。昼間と似たような体制だが、胸を占める感情は全然違う。いまだ意識の定まらないような目で、それでも自分をまっすぐに見上げている彼女と目を合わせ、聖は言う。


「アンタがいい。」


 予備動作なく、ポロリと岬の右目から涙が零れた。聖は指でそっとそれを拭い顔を近づける。彼女からの抵抗はない。

 そして黙って唇を重ねた。


 夢現に交わした甘くも熱くもない触れるだけのそのキスは、自分の胸に空いた隙間を埋めてくれたような気がした。

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