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PARTNER  作者: 橘。
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第25話 指先に震える 3.どしゃ降り

 パシャパシャと足元で水音が立つ。急に降り出した大雨に岬は慌てて近くの公園に駆け込んだ。


 今日も朝からバイトで終わったのは夕方17時。出かける前に見たテレビの天気予報も太陽のマークが日本列島を飾っていて、雨が降るなんて一言も告げていなかった。ここの所快晴続きなのもあってまさか夕立に合うとは思わず、岬はいつも通り店を出たのだ。買い物を済ましてさぁ帰ろうと歩き出して五分後、突然の大雨に襲われたのである。寄り道せずにまっすぐ帰れば間に合ったかもなぁ、なんて思ってみても後の祭りだ。

 岬は昔から贅沢が出来ない生活をしていたこともあって、夕立くらいならコンビニで傘を買って帰ろうなんて思わない。おまけに今は夏。しばらく雨宿りして帰ってもさして問題はないだろうと思い、大きな屋根のあるベンチへ避難していた。


(うわぁ。濡れちゃったなぁ・・)


 バッグからハンカチを取り出して拭いてみても効果は薄い。タオルでなければ厳しそうだ。すぐにびちゃびちゃになってしまったハンカチをその場で絞る。西の空は少し明るいから、ずっと降り続くわけではないだろう。濡れてしまうが仕方ない、と岬はベンチに腰を下ろした。

 流石に雨の公園に人はいない。ここはそれ程大きくない住宅街の中にある公園で、遊具とえはブランコと砂場、鉄棒ぐらいしかない。岬が座っているベンチの後ろは社宅、前は大通りとなっている。周囲に樹は生えているものの、ポツポツとしか植えられていないから、大通りを歩く人々の様子がよく見えた。頭にタオルやフードを被って走る人もいれば、買ったビニール傘を持っている人もいる。


「くしゅっ!」


 知らず知らずのうちに冷えていた体を慌ててさする。此処に向かって走っている間は気にならなかったが、やはり体を動かしていないと夏でも濡れた服を着たままでは肌寒い。だからと言ってこれ以上濡れて帰るのも、ホームの人達を心配させてしまいそうだ。

 どうしようか途方にくれていると垣根の向こうから声がかかった。


「葉陰さん?」

「・・あれ、桐生君?」


 驚いた顔をしてこちらを見ているのはクラスメイトの桐生だ。どうやら部活帰りのようで、Tシャツとジャージ姿にスポーツバックを肩から提げている。ビニール傘を持った彼は慌てて公園に入ってきた。


「びしょぬれだけだと大丈夫??あ、俺タオル持ってるから貸すよ!」

「え、でも・・」

「俺汗っかきだから何枚も持ってんの。あ、コレは使ってない奴だから!!」


 顔を赤くして弁解する桐生の姿がおかしくて、思わず寒いのも忘れて笑ってしまった。ありがとう、と言って黄色いタオルを受け取れば彼はほっと表情を緩める。


「あ、もしかして駅からの帰り?」

「うん。バイト終わりだったから。」

「そっか。俺んちこの辺なんだ。まさか急に降って来るなんて思わないよなぁ。」

「でも用意良いね。傘持ってたんだ。」

「あぁ、これは部室にあった置き傘。じゃんけんで勝ったから俺が貰ってきた。」


 嬉しそうに桐生がニッと笑う。借りたタオルで髪や腕を拭いていると、不意に黒髪が目に留まった。


(あれ・・、橘くん・・)


 聖と思わしき後姿が紺色の傘を差して歩いている。彼も今日は出かけていたのだろう。歩いているのはホームへの帰り道だ。一瞬声を上げそうになって、けれど言葉にならずに消えた。彼の影になって見えなかったのだが、その隣には同い年くらいの女性がいたのだ。

 岬の視線に気づいた桐生もそれを追う。そして目を瞬かせた。


「あれって・・、栗橋?」


 長く金髪に近い色の髪を豪華に巻いているのは同級生の栗橋あすか。確か、彼女は聖のファンだった筈だ。ミーハーなファンなど聖は相手にしないから、あんな風に一つの傘に入って並んで歩いているということはそれなりに仲が良い証拠だ。


(・・知らなかった。)


 栗橋は背も高く、スタイルがいい。確かカナダ系のハーフだと聞いたことがある。美男美女という言葉が似合う二人だ。


「葉陰さん?」


 名前を呼ばれ、二人を見ていた視線を慌てて戻した。隣を見れば気まずそうな顔で桐生が自分を見下ろしている。


「・・やっぱり、気になる?」

「え・・?」

「橘のこと。」

「・・・・。」


 彼女でもないくせに、女性との交友関係が気になる何ておかしいだろうか。ただの野次馬的な興味ならきっと聖は怒るに違いない。それでも気になるか、と問われれば答えはYESだ。

 下を向いてしまった岬の心情を察したのか、それまで立っていた桐生はドカッと乱暴に腰を下ろした。


「あ~あぁ。敵わねぇよなぁ。」

「え?」


 隣で頭を抱えるようにして座っている桐生は、ちらりとこちらを見て苦笑する。


「やっぱり、葉陰さんにとって橘の存在はデカいんだね。」

「・・そう、なの・・かな?」

「だってそうでしょ。興味なければ、そんな顔をして橘の背中を見たりしないよ。」


 そんな顔ってどんな顔?鏡が無いから自分では分からない。けれどなんだか目の奥が熱いのは分かる。もしかして私、泣きたいのだろうか。

 背中を追ってしまったのは、置いてかれたような気分になってしまったから。視界が涙で歪むのは聖が自分に気づいてくれなかったから。一人になりたいと思っているのは、桐生の気遣いが優しくて苦しいから。

 桐生は黙って隣に座っていてくれた。雨と共に岬の涙を吸い込んだ黄色いタオルは冷たくて重かった。



 考えてもみなかった。今まで橘くんがどんな女の子にも興味を示さなかったから。それでもいつか橘くんの隣には誰かが立つのだ。彼が好きになった女性が、彼だけのものになった誰かが。その場所はずっと空白だと思い込んでいた。ずっとずっとこのままの関係でいられると思っていた。けど、現実はそうじゃない。


(私、ずるい・・。)


 その場所を切望している子が今も沢山いて、昔嘘をついてそこに立っていた。付き合うフリを止めてからも一緒に帰ったりとその場所の傍には私がいる。嘘でもない、仮でもない私が立っている。橘くんの彼女じゃないのに、いつかどかなくてはいけないその場所がいざ他人のものになると分かったら、譲りたくないと思っているなんて。

 こんなのただの子供だ。欲しいかどうかも分からないのに、誰かのものになってしまうと分かった途端惜しくなる。堂々と手を上げるのが怖いくせに、橘君の優しさに甘えて傍に居座っている。


(止めなきゃ。こんなのやっぱりずるい。)


 こんな子供じみた我儘は通用する筈が無い。そんなのとっくに知っていた筈なのに。いくら縋って泣き喚いても二度と兄が自分の下へ戻ってきてはくれないのだと分かったあの時に十分思い知った筈なのに。


(私、結局全然成長してない。)


 欲しいだけ欲しがって。与えられる優しさにすがり付いて。私は失う怖さから目を逸らしているだけ。悲しいことや辛いことを避けて、暖かい場所に居座り続けようとしているだけ。


(橘くんは仲間。けどプライベートな部分まで縛っていい相手じゃない。)


 私には雪がいるじゃない。兄だって連絡を取ればすぐにでも会ってくれるだろう。ホームに帰れば皆がいてくれる。私はもう一人じゃない。


(それなのに・・)


 いつから私、こんなに贅沢になったの?



 ぐちゃぐちゃの頭で考えるだけ考えて、ふと顔を上げるともう雨が止んでいた。空にはまだ厚い雲がかかっているが、所々隙間からは夕暮れのオレンジ色の光が零れている。

 隣を見れば、まだ桐生がいてくれた。


「・・・つき合わせちゃってごめんね。」

「いや、いいよ。気にしないで。」

「タオル、洗って返すね。」


 なんとか笑顔を作った岬を見て、桐生はほんの少し苦い顔をする。そして立ち上がろうとした岬の手を取った。


「桐生君?」


 自分を見つめ返すその目にはいつものような笑みは無くて、掴まれた手が熱い。


「俺さ、葉陰さんのこと好きだから。」


 いつもと同じ声のトーンでつむがれた言葉。けれど岬にとってはどこか夢の中の出来事のように遠い言葉だった。


「葉陰さんが俺のことなんか視野に入ってないって自覚はあるんだ。それでも言っておきたかった。」

「・・ごめんなさい。」

「うん。分かってる。」


 泣きたくなって、けれど我慢した。ぐちゃぐちゃ頭の中は桐生のことを気遣う余裕は無くて、せめて泣いて困らせないようにするぐらいしか、彼の為に出来ることが見つからなかった。

 最後にいつもの笑みを見せてくれた桐生は、本当に優しい人なのだと思った。

 

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