第2話 未知に戸惑う 2.同じ
それは突然だった。子猫が今まで餌を求めた時とは違う声で、岬に何かを訴える。だが二人の間の力は完全ではないのか、何を訴えているのかこの時岬には伝わってこなかった。
「どうしたの?」
いくら問いかけても返ってくるのはただの猫の鳴き声。子猫は岬に伝えるのを諦めたのか、岬が自分を見ていることを確認しながら窓の方へ走っていった。
岬も後を追うと、すぐに子猫の教えたかったことに気が付いた。子猫の上、窓の所にいたのは聖のパートナーの瑠璃だ。瑠璃は開けた窓のサッシの部分に留まっていた。その証拠に、そのカラスの左目は深い青だ。
「あっ、こんにちは。」
何だか友達に会えたような喜びを感じる。瑠璃が来ても聖が居てくれなくては問題の解決にはならないとも思ったが、内からこみ上げてくるその嬉しさにどうでも良くなってしまう。
「えーっと、瑠璃・・だよね?」
言葉が分からなくてもつい話しかけてしまう。自分でも可笑しいな、と思いながら岬は窓を開けた。
「どうしたの?よくここ分かったね。」
もちろん瑠璃は答えられない。岬の足元で、子猫が興味深そうに瑠璃を見上げていた。その視線に岬が気付く。
(そういえば、猫って鳥を獲るって聞いたような・・・・)
岬は頭をよぎる嫌な予感に背中を押され、思わず子猫を捕まえて抱き上げた。まさかまだ子猫だし、そんなことはしないと思うのだが。
けれど、そのことで逆に子猫と瑠璃は距離が近くなる。岬の腕の中で顔を瑠璃の方へ突き出し、なにやら匂いを嗅いでいる。じっとその目は瑠璃の目を見つめていた。
『同じ。』
「へっ?」
猫は瑠璃から目縁を外し、岬を見上げてもう一度言った。
『同じ。』
「・・・・・。」
子猫は瑠璃を仲間だと感じ取ったのだろう。動物は人よりも感覚、第六感というものが鋭いという。
(何だ。良かった。)
パートナーの疑いが晴れた所で岬は外の通りの向こうから、人がこちらへ歩いてくるのが見えた。カラスとしゃべっている所を見られるのはまずい気がして瑠璃を中へ導く。
「ごめん。こっちに入ってくれる?」
なんとか身振り手振りで瑠璃を中に入れる。瑠璃は静かに部屋の床に立った。岬はそれを見ると急いで窓を閉じる。岬が住んでいる部屋はアパートの2階。下からは見えにくいかもしれないが、人の家にカラスが留まっていると何か勘違いをされるかもしれない。カラスは人間に嫌われている生物だからだ。
そこで岬ははたと思い出す。このアパートも他に漏れずペットは禁止されているのだ。こんな所を同じアパートの住人や、増して管理人に見られてはいけない。
彼女の心配事は増すばかりだ。
「はぁ、どうしよっか。」
冴えない岬の顔を見ているのは、一匹の子猫と瑠璃、そしてもう一人、岬の見えない所にいた。
(早いな。まさかもう見つかってるとは・・・・)
学校の屋上。昨日と同じその場所に昨日と同じ生徒がいた。その生徒は屋上の手すりに寄り掛かりながら虚空を見ている。いや、正確には見ているのは虚空ではない。彼が見ているのは、葉陰岬の部屋の中だった。
(すげータイミング良かったのかもな。・・・猫か。目が変色したまんまだな。だから学校休んだのか?)
『瑠璃。もういいぞ。』
『・・・。』
『居たいのか?俺も後でそこに行くから居てもいいぞ。』
『いる。』
『・・・分かった。』
今、聖の左目は瑠璃と同じ深い青。一度目を閉じ、開くと生まれた時の色に戻っている。その黒色は人種や生まれた土地を表す色だ。
(本当に気に入ってるんだな・・・。)
瑠璃の態度の違いに驚かされる。いや、今の瑠璃が本当の瑠璃なのだろうか。だとしたらあの頃の、聖が出会った頃の瑠璃はどれほどの事があって変わってしまったのだろうか。
多くのモノを嫌い、恐れていたあの頃。瑠璃が自分のパートナーであることはまるで必然の様だと思ったことがある。それは二人があまりにも似ていて。
今瑠璃は成長しようとしている。あの過去から。ではパートナーである自分は?
パートナーは心を共有している。そして瑠璃が今正にしようとしている成長は心が伴うものだ。瑠璃の心の裏側に自分の心がある。もしもその成長を自分が邪魔してしまうことがあったら、このままの自分では足を引っ張ってしまうのだったら。自分はどうするべきか。
そんなことは決まりきっている。共に成長すればいい。だが、出来ない。出来ないのだ。答えは分かりきっているのにそれを実行することが出来ない。理由も分かっている。解決策も分かっている。ただ抜け出せない。突き破って出て行くことが出来ない。失ってしまうから。失いたくないから。瑠璃とどちらが大切かなんて分からない。分からないから、成長できないままなのだ、自分は。
少ない雲が浮かぶ青空。今は13時。ちょうど陽が高く外は暖かい時間だ。空気が冷たく陽は暖かい。気持ち良いくらい高く遠い空。
聖は顔を上に上げた。何を思うのでもない。考えるのでもない。見るのでもない。ただ、上を向いていた。空の向こうに求めているものがあるかのように。
彼にはそれしか、出来ないのかもしれない。