第25話 指先に震える 1.温度(2)
一時間程すると渚達が帰ってきた。渚が玄関のドアを開けると同時に雪が中に飛び込む。その小さな影が一直線に駆けて行った先は聖の部屋。その足音に気づいた聖がドアを開けば、ベッドで横になっている岬の胸元に潜り込む。いつもなら聖の足下にすりよる雪が、自分には目もくれずに。そして雪は毛布の下に隠れるように身を小さくした。一方開けられたままのドアをノックして顔を覗かせた渚は、ベッドで寝ている岬を見て顔を曇らせた。
「岬ちゃん、どうしたの?」
「分からない。バイトから帰ってきたと思ったら、真っ青な顔して立ってたんだ。」
「そう。雪も、なんだかおかしくてさ。病院着いてもなかなかイーグルから離れようとしなくて。最初は病院が怖いのかと思ったんだけど・・。」
渚の目線が聖から眠ったままの岬へと戻る。
「どうやら、岬ちゃんが原因みたいだね。」
「・・・・。」
入口に突っ立ったままの二人の横をするりとイーグルが通り抜ける。その背には蛍がしがみついていた。二匹とも岬と雪が心配だったようで、ベッドの脇で静かに寄り添う。そんな仲間達の様子を聖と渚は冴えない表情で見守っていた。
浅い眠りから目を覚ますと、まず目に入ったのはいつもと違う天井。同時に左腕に温もりを感じて、そっとかけていた毛布を持ち上げれる。そこに雪が丸くなっていた。
(あれ・・・。)
岬はそこでやっとここが自分の部屋じゃない事に気がついた。グレーのベッドシーツに枕。水色の毛布。
(橘君の匂いがする・・・。)
顔を横に向け部屋の中を見渡すが誰もいない。向かいのキャビネットの上には見覚えのある、大が作った聖の人形。
(そうだ。ここ、橘君の部屋なんだ。)
すると部屋のドアが静かに開いた。
「・・起きたのか。」
「あ、うん。」
岬が体を起そうとすると、聖が心配そうに顔色を窺う。
「まだ寝ててもいいぞ。」
「・・・うん。」
いつもなら迷惑をかけたくなくてすぐに部屋に戻るのだが、今日はこのまま甘えたい気分だった。もう一度横になり、黙って体を摺り寄せてくる雪の背中を撫でる。
「腕、どうした?」
「え?」
「赤くなってた。」
「あ・・。」
無意識に右腕に触れる。そこはシンに触れられた場所。撫でるように触られただけなのにいつまで経っても消えない指の感触を消したくて、ホームに帰ってくるまでの間ずっと自分で握り締めていたのだ。赤くなってしまったのはその為だろう。
あの時の感触を再び思い出した岬の手に力が籠もる。何かに怯えるような表情とその腕に気付いた聖がそっと彼女の左手に自分の手を重ねた。
「バカ。握るな。」
言葉とは反対に優しくその手を外す。そして両手で包むように聖は赤くなっている所に触れた。彼の手のひらが自分の体温よりもずっと熱くて、岬の心臓が跳ね上がる。思わずその横顔を見つめてしまうと、その視線に気がついた聖と目が合った。
「別に、無理して話さなくていいから。」
「・・・うん。」
再び涙が溢れそうになって視界が歪む。その間に聖の手が腕から額へと移動した。彼の手は岬の前髪を掻き上げ、今度は頭を撫でる。まるで自分が雪になったみたいだ。いつまでも自分に触れていて欲しくて、けれどそんなことは言えなくて、もどかしい気持ちが湧き上がってくる。
シンの指先はあんなに冷たくて怖かったのに、聖の手は温かくて優しい。まるで違うのは何故なんだろう。二人とも仲間であることは同じの筈なのに。
思わず自分から離れていく指先をじっと目線で追ってしまった。
「何?」
「あ・・、ううん。」
指摘されれば恥ずかしくなってぱっと目線を外す。だが聖には物欲しそうに見ていたことが分かってしまったみたいだ。その証拠に小さく笑われる。
「なんか、いつもと違うな。」
「え?」
「なんて言うか、甘えてる?」
みるみる内に岬の顔が赤くなる。心の内を見透かされたようで、居た堪れなくなって毛布に顔を半分隠した。けれどその態度に聖の笑みは深くなるばかりだ。
甘えている、と自分でも思う。兄が自分の傍からいなくなって以来、誰にも甘えるようなことはなかった筈なのに。それでも今は彼に傍にいて欲しい。勇気を出して言ってみようか。もう一度頭を撫でて欲しいって。
ドキドキしながら聖から目が離せないでいると、毛布の中からもぞりと雪が動いて顔を出した。
「雪・・、わっ。」
岬に顔を向けたかと思うと、ザラザラとした舌で頬を舐められた。突然で驚いたが雪が心配してくれた心が伝わってくる。
「ごめんね、雪。不安にさせちゃったね。」
笑顔を返して雪の頭を撫でた。するとおでこを摺り寄せ、雪が小さく鳴き声をあげる。長く伸ばされた甘えた声。まるで自分の甘えがうつってしまったようで、岬は聖と顔を見合わせて笑った。
* * *
橘君の膝の上で、雪が丸くなっています。小さな背中を撫でる大きな手。そのやさしい手つきに満足しているのか、ゴロゴロと喉が鳴り、気持ち良さそうに目が細められているのが私からも見えます。見えるのですが・・・・、正直、ちょっと見ていられません。
男子高校生の膝の上で子猫がリラックスしているのは非常に微笑ましい光景です。ある意味癒されます。けれど私は恥ずかしくてまともにその様子を直視出来ずにいるのです。何故かって?それは・・・、私のパートナーである雪がものすごく、ものすご―――く、橘君に甘えているからであります。
見てください。橘君の手が止まると、雪は嫌々と言わんばかりに彼の手のひらに自分の頭をこすり付けています。まるでもっと撫でて、と訴えているかのように。いや、実際訴えているのですが。その意図を汲んだ橘君が再び手を動かせば、うれしそうに尻尾がユラユラ。ふゃーんとその表情が溶けるのです。
それのどこが恥ずかしいのかって?よく考えてみてください。皆さんがその光景を思い浮かべて「あら、可愛い」と思うのはあくまで彼らが行動だけで互いの意思疎通を図っているように見えるからです。子猫の雪をパートナーに持つ私は、当然彼の心の内が分かってしまうわけで・・・・。
『ヒジリヒジリ~。なでなで。もっともっと!』
『ヒジリの手だいすき。』
『ヤッ!!頭も!さわってさわって~』
『すきすき~。ヒジリすきー。』
と、ひっきりなしに雪の甘えた声が頭に響いてくるわけなのです。クラスの同級生に自分の身内とも言うべき存在がここまで甘えて・・・というか、これ以上すきを連呼しないで。お願い雪。恥ずかしすぎる。
『ミサキもなでなですき・・・』
わ―――――――――――!!!!!!雪ストップストップ!!
『ミサキもっと言った。なでなでもっと言った!』
キャ―――――!!お願いだからもうそれは忘れて~~~!!!
パートナーには当然胸の内は誤魔化せません。先程自分が彼の優しい手にもっと撫でて欲しいとちらりと思ってしまったことが見事伝わってしまい、それが何より恥ずかしいのです。だって雪はまるで私が出来ない代わりに自分が!!と主張するかのように、橘君に甘えに甘えているのですから。
兄以外の存在に甘えたい、と思ったのは初めての経験で、私はこの感情をどうすれば良いのか、正直持て余しているのです。ですがやり場の無いその感情を自分の代わりにパートナーに発散して欲しいと願っている訳では決して無く・・・・。それでも橘君に体全体を使って擦り寄り甘える雪の姿に、自分の願望を体現されているようで、私はそれが一番恥ずかしくて堪らないのです。
それでも未だ橘君のベッドの中から抜け出さずにいる私は、赤くなってしまう顔を水色の毛布に埋めて誤魔化すのでした。