第24話 気持ち見つける 3.三人(2)
梓は空のグラスをボーイに渡し、代わりにノンアルコールカクテルを受け取った。今隣に渚は居ない。その代わりにどこかで梓の様子を見ている筈だ。
まだ梓は一階フロアに居る。二階へ上がる階段のすぐ近く。つまり田口雅也が吉井怜奈と共に座っている席の下だ。彼が下を見れば、梓の姿が目に付き易い位置だ。渚が言うには、田口雅也は女性に対して積極的な性格だから、必ず梓を見つければ声をかけてくるだろうとの事だ。その意見に関しては半信半疑だったが、梓は静かに声をかけられるのを待つ事にした。ただ待っているのもつまらないし、何か軽く摘もうかと思って料理の並ぶテーブルを眺める。だがそれを取りに行っている時間はなかった。思ったよりも早く田口雅也が動き出したからだ。
田口は吉井怜奈に「知り合いが居たので、今日はこれで失礼」と声をかけて一階へ降りた。そして目的の人物を見つけ、さり気なく顔を確認して声をかけてきた。
「すいません。」
「え?」
梓はあくまで自然に田口の顔を見返した。
「私、ですか?」
田口の事が分からないフリをして首をかしげる。すると彼はにこやかに微笑んだ。
「えぇ。もしお一人でしたらお話でもどうかと思いまして。」
(やっぱりこの人も私のこと覚えてないんだわ。)
「あら、是非。」
梓はにっこりと笑って田口と共に一階バルコニーの方へ移動した。空いたソファに座ると、田口はボーイを呼んでグラスを受け取る。
「僕は田口雅也と言います。あなたみたいな綺麗な人と席をご一緒できるなんて嬉しいな。」
「私は梓です。」
「梓さんですか。学生さんですか?」
「えぇ。今大学に。」
「なら僕と一緒だ。」
身元については事前に渚と打ち合わせした通りに答える。下手な嘘を付くよりは、身元を突き止められない最小限の真実のみを告げた方がボロが出にくい。
すると段々と田口は自分のキャリア、家のことについて話し始めた。やはりこれくらいの金持ちともなると自慢したいことも山ほどあるようで、趣味にまで話が広がっていく。だが梓にはあまりのんびり相手をしている時間はない。
「もしかして、田口さんってNPメンテナンスの?」
「あぁ。うちの会社知ってるんだ?」
「勿論知ってますよ。大手じゃないですか。」
にっこりと微笑むと、とたんに田口はデレッと顔を崩す。そしてグラスを持つのとは反対の手を握られた。
(げっ。)
顔が歪みそうになるのをなんとか堪える。ちらりと周囲を見渡すと、離れた場所で渚が女性に囲まれながらもこちらを見ているのが分かった。ひらひらと手を振られ、楽しそうに女性達と話をしている姿になんだかカチンとくる。
(後で殴ってやろうかしら・・・。)
「梓さん?どうしました?」
「あ、いえ。何も。実は親が吉井商事の社長さんとお付き合いがあるんです。そういえば、NPメンテナンスの一人息子さんと娘さんがお見合いするって伺った気がするんですけど。」
すると途端に田口の表情が硬くなる。気まずそうに梓から目線を逸らし、一度咳払いした。
「まいったなぁ。噂って怖いねぇ。」
「あら本当だったんですね?」
「でも、それも終わった話だよ。」
「え?」
「見合いは無しになったんだ。」
「そうだったんですか。またどうして。」
「・・・・・。」
田口は誤魔化すようにグラスの中身を飲み干した。そしてすぐに新しいドリンクを受け取る。
「吉井商事のお嬢さんと何かあったんですか?」
梓か少し身を寄せて訊けば、まんざらでもないようで田口の口元が緩む。
「まぁ、なんて言えばいいのかな。吉井商事はうちの会社とも懇意にしているんだ。一度お見合いしちゃったらさぁ、断わりにくいじゃん?」
(要はまだ遊びたいって事ね。)
親や仕事の都合での見合いなんて子供にとってはそんなものなのかもしれない。
「じゃあ、後々また話があればお受けするんですか?」
「まぁね。仕事の関係もあるし。仕方ない時は受けるかなぁ。」
(こいつ・・・。)
仕事じゃなければ一発ぐらいその緩んだ頬を叩いていたかもしれない。こっそりと横を向いて溜息を付くと、田口の手が自分の肩に伸びた。不快な感触に苛立ちが募る。
「それよりさぁ、俺はもっと君の事が聞きたいな。」
肩を掴まれ、ぐっと田口の方に身を寄せられた。だが目的が果たされればもう用はない。梓はそっと彼の手を肩から外し、ソファから立ち上がった。
「すいません。もうここを出なくてはいけない時間なので。」
「え?そうなの?」
「この後にまだ行かなくてはならない所があるので。失礼します。」
梓が踵を返そうとすると、慌てて田口が立ち上がった。
「ちょっと待ってよ。せめて連絡先ぐらい・・。」
すっと梓の腰に手が回され、田口の言葉が止まる。親しげなそれは田口ではなく、梓の後ろから現れた渚だった。渚はぴったりと梓に寄り添うとまるで恋人同士のように頬を近づけ彼女に話しかける。二人の間に入ることなど出来ないのだと見せ付けるように。
「時間だよ。」
「えぇ。分かってる。行きましょう。」
そのまま渚にエスコートされ、梓はその場を後にする。優雅に会場を出る二人を唖然と田口雅也が見送っていた。
「クーリースっ。」
梓の手を握りながらスタスタと前を歩いていってしまうクリスに声をかける。だが、彼は後ろを振り向こうとはしない。これほどへそを曲げるのは珍しかった。
梓達はパーティー会場を出た後、衣装などを返却して渚と別れた。無事に任務を果たす事が出来て、後は帰るだけ。
二人で電車に乗り、梓の家まで送ってくれるというので共に夜道を歩いているのだが、彼は不機嫌そうな表情のまま口を開こうとしない。仕方なく梓は黙ってクリスの後をついて行った。こうして梓の手を離そうとしないという事は、少なくとも梓に対して怒っているのではないのだろう。
(そんなにパーティーに行けなかったのが嫌だったのかしら。)
それにしてもクリスはこんなに引きずるような人じゃない。
しばらくすると梓が借りているアパートに着いた。梓は今大学に通う為に一人暮らしをしている。合鍵を持っているクリスがドアを開けて、二人で中に入る。すぐにチェーンをかけて鍵を閉めると、クリスはバスルームの明かりをつけた。
「クリス?」
「お風呂、入って。」
「え?」
「・・気付いてないの?」
「何を?」
ぐいっと腕を引かれ、そのまま梓はクリスに抱きしめられる。するとクリスは梓のうなじに鼻先を寄せた。
「何?くすぐったい。」
クリスの胸に手を当て身をよじるが、彼は腕の中から出ることを許してくれない。
「香水。」
「ん?」
「梓のじゃない匂いがする。」
「あ・・・。」
田口雅也からは梓も知っているブランド香水の香りがしていた。匂いが移ってしまったと言う事は、それほど彼と接近していたという事だ。
「だから機嫌が悪かったの?」
そっとクリスの顔を覗き込むと、不意を付いてキスされた。びっくりして彼の顔を見返せば、その顔は真っ赤に染まっている。
「図星なんだ?」
「早くお風呂入って。」
「ハイハイ。」
嫉妬していたことを指摘されて照れているのだろう。梓の顔を見ようとしないその態度に、思わずクスクスと笑ってしまう。彼の腕から抜け出し上着を脱ぐと、梓は意地悪そうに笑ってみせた。
「クリス。」
「・・何?」
「一緒に入る?」
「!!!?」
見る見るうちにクリスの顔が真っ赤になる。それを確認して「冗談よ」と満足そうに笑い、梓が一人でバスルームに入っていく。その背中を見送り、クリスはどっと疲れたように溜息をついてソファに身を沈めた。
(勝てないなぁ・・・)
嫉妬をするのはいつも自分な気がする。それが悔しかったがどうしようもない。惚れた弱み、という奴なのだろう。
(一生勝てないのかもしれない。)
けれど相手が梓だったらそんな自分も悪くない。そんなことを思いながら、クリスはバスルームから聞こえてくるシャワーの音を聞いていた。