第24話 気持ち見つける 2.感じる
翌日。岬は渚に言われた通り出かける準備をしていた。13時になると玄関のチャイムが鳴る。もしかして渚の言っていた迎えだろうか。そう思って岬は玄関へと向かった。すると先に渚とイーグルが玄関に着いていて、そのドアを開ける。
そこに立っていた人物を見て、岬は驚きの声を上げた。
「クリスさん!」
「久しぶりだね。岬。渚も。」
優しい笑みを浮かべてクリスは二人に声をかけ、イーグルもね、と言ってその頭を撫でた。岬の声が聞こえたのか、大と夕もリビングから顔を出してくる。
「あ、クリスだー!!」
嬉しそうに飛びつく大の背を撫でると「ごめん。今日はすぐに出かけるんだ」とクリスは持っていた菓子の箱を隣にいた夕に手渡した。中にはシュークリームが入っていて、それを見ると「ありがとう」と夕が笑う。
「岬は出かける準備出来ているかい?」
「あ、はい。大丈夫です。」
「じゃあ行こうか。」
「はい。」
やはり迎えとはクリスのことだったのだ。岬は一度バッグを取りに部屋に戻り、クリスと共に玄関を出た。今日は土曜なのでスーツ姿ではない。黒のデニムにVネックのTシャツとラフな格好で、いつもより余計に彼のスタイルの良さが際だっている気がする。
車の助手席に乗り込むと、クリスの車に乗るのは初めてだということに気がついた。隣でそんな話をしながら、彼は静かに車を走らせる。
「これからどこに行くんですか?」
昨日は渚も一緒に出かけるのかと思っていたのだが、結局ホームを出たのは岬だけだった。
「渚に聞いてないんだ?」
「はい。行き先は秘密だと言われて・・。」
あいつらしいな、と言ってクリスが小さく笑う。
「じゃあ、俺も秘密にしておこうかな。」
「えぇ?」
「せっかくだからね。」
楽しそうに微笑みながらクリスがハンドルを切る。その横顔を見ながら、岬は素直にその提案に従うことにした。
ポカンと口を開けたまま岬は目の前の建物を見上げていた。横浜ベイサイドに建てられた真っ白な建物。それはどう見ても教会だ。開かれた扉から中を覗けば、花嫁と花婿が立っている。けれど教会の鐘は鳴ることはなく、主役の二人を囲っているのは大きな機材とカメラマン、そして数人のスタッフだった。眩しいライトが二人を照らし、カメラマンが夢中でシャッターを切っている。何かの撮影をしているようで、「まだ終わってなかったか」とクリスは腕時計を見た。
「あの・・。」
「あぁ。ごめん。今中で撮影してるいだろう?あれ、梓がデザインしたドレスなんだ。」
「え!そうだったんですか!」
岬はもう一度中を覗く。遠くて細かい所までは見えないが、細身のシンプルなデザインのドレスだった。腰元にドレスと同じ生地で作られたバラモチーフの大きなコサージュが付いていて、それ以外の装飾はほとんどない。だが返ってそれが花嫁のスタイルの良さを際だたせていて、正にドレスではなく花嫁を美しく見せる為のデザインだった。
「じゃあ、梓さんも今中に?」
「あぁ。その筈だよ。13時には終わる予定だって聞いていたんだけど、長引いているみていだね。どこかお店にでも入って待ってようか。」
「はい。」
再びクリスの車に乗って移動する。サイドウィンドウから教会を見れば、腕を組んでバージンロードを歩く新郎新婦の姿が見える。彼らはモデルなのだろうが、まるで本物の夫婦のように幸せそうに見えた。
「梓に言って撮影見学させてもらえば良かったかな?」
いつまでも窓の外を眺めていた岬を見て、クリスがそう声をかける。岬は軽く首を横に振った。
「いえ。お仕事の邪魔になっちゃいますから。」
するとそれを聞いてクリスは小さく笑う。不思議に思ってクリスを見上げると弁解するように「ごめん」と言った。
「岬ならそう言うだろうと思ってたんだ。」
「え?」
「その通りだったからつい、ね。」
「私、そんなに分かりやすいですか?」
ハンドルを右に切り、ちらりと岬の顔を見る。クリスが思い出したのはよく電話で聞いていた渚の話。
「渚がよく、岬は遠慮しすぎだって言ってるよ。」
「・・・。」
「俺も、その通りだと思う。もっと我儘になって良いんだよ。少なくても俺達に対してはね。」
「でも・・」
困ったように岬が目線を下げる。クリスも勿論岬の生い立ちは知っている。彼女は幼い頃から一人の我儘なんて許されない環境だった。それに、彼女は優しい。周りを優先して己の欲を出さない所は好ましい部分でもあるが、堂々と彼女の保護者だと名乗り出たい自分達にとっては寂しくもある。
クリスは珍しく岬の言葉を最後まで聞かずに口を開いた。
「その方が俺達も嬉しい。」
「・・・・。はい。」
彼女は眉尻を下げ、少し困ったような顔をする。けれど、どこか照れている様にも見える。その返事に満足すると、クリスは大型ショッピングモールの駐車場に車を停めた。
カフェに入って30分ほど話していると、クリスの携帯に連絡が入って二人はカフェを後にした。その後クリスが連れてきてくれたのは繁華な場所から少し離れた所にあるレストラン。2階建ての店内は若い年代のお客さんで賑わっていて、すぐに入れそうな様子ではない。クリスが入口で店員に名前を告げると、二人は2階フロアに通された。そこは1階とは全く違った静かな雰囲気で、全ての席が個室になっている。BGMまでもが下とは異なり、バイオリンの穏やかな旋律がこのフロアを満たしていた。場違いな気がして落ち着かない気持ちで居ると、それに気づいたクリスがそっと背中を押す。顔を上げれば柔和な笑みが岬を見下ろしていた。
クリスに導かれるまま個室に入る。片面は全てガラス張りになっていて、綺麗に晴れた空と海が見えた。対に置かれたネイビーのソファ。間の木製のローテーブルには水の入ったグラスが三人分用意されている。
「もうすぐ梓が来るから。」
「はい。ここは、お二人が良く来るお店なんですか?」
「時々ね。梓が雑誌とかに取り上げられるようになってから、知らない人に声をかけられることがあってね。最近は個室のある所を選ぶようにしてるんだ。」
「有名な人って大変ですね。」
「本人はあまり気にしていないようだけどね。」
するとウェイターの男性が顔を出してメニューを三人分手渡し、「お連れ様がお見えになりました」と声をかけた。すぐに彼の後ろから梓が顔を出す。
「梓さん!」
「ごめんね〜。お待たせしちゃって。」
「いえ。お仕事お疲れさまでした。」
「ありがと。」
クリスは立ち上がり梓からバッグを受け取ると荷物用の籠にそれを入れる。梓は一言お礼を言い、差し出されたクリスの手を取りって彼の横に腰を下ろした。それからクリスも席に着く。洗練された二人の仕草があまりにも自然で、つい見惚れてしまう。
岬の視線に気づいた梓は首を傾げた。
「どうしたの?」
「あ、いえ。」
なんとなく恥ずかしい気がして岬は曖昧に笑った。
それぞれドリンクと軽食を注文し、運ばれてきたそれらを摘みながら梓が口を開く。
「そう言えば、岬ちゃん何か悩んでるんだって?」
「え?」
「渚が言ってたわよ〜。岬ちゃんが恋いの悩みを抱えてるって。」
「え・・・あ・・。もしかして、昨日渚さんが電話してたのは梓さんだったんですか?」
それを聞いて梓は笑みを深くした。
「正解。で、どうしたの?」
「あ・・・。」
「好きな人居て悩んでる、とか?」
「いえ、あの・・。なんて言うか、多分逆なんです。」
「逆?」
梓とクリスが顔を見合わせる。
「逆って?」
「・・・。自分がその人のことを好きなのかどうか分からなくて悩んでるというか・・。」
「あぁ。成る程ねぇ。もしかして、誰かから告白された?」
梓の鋭い指摘に岬は言葉を詰まらせる。答えを言わなくてもその表情で察したのか、梓は「そう」と頷いた。
「返事は、急がなくて良いって言われたんです。でも、自分がどう想っているのか、考えても答えが出なくって・・。」
「岬ちゃん。」
「はい。」
「それは多分考えてるから答えが出ないのよ。」
「え?」
「理屈で答えの出る問題じゃないの。その相手の事を岬ちゃんの心がどう感じてるかなの。」
「感じる、ですか?」
梓は岬の顔を真っ直ぐに見たまま頷く。岬はそれに後押しされるように巽のことを思い浮かべた。
(考えるんじゃなくて感じる・・・。)
最初は態度が悪くて怖かった。けれど、蛍を大切にしている巽を見てほっとした。喧嘩をしている姿が痛々しくて、止めなきゃと思った。怪我をして欲しくなかった。誰かを傷つける姿を見たくなかった。手当をして自分の話を聞いてくれたのが、巽が辛い記憶を話してくれたのが嬉しかった。
巽のことを大切にしたいと思う。幸せになって欲しいと思う。
岬は顔を上げると二人の顔を見た。ここにも大切にしたい人達がいる。幸せになって欲しい人達。いつまでも笑顔で居て欲しいと心から思う。巽と彼らとの違いは何だろう。
「岬ちゃん。」
「はい。」
「たとえ自分の気持ちでも、簡単には分からないものよ。ゆっくり岬ちゃんなりに感じて答えを出せばいいわ。」
梓の言葉に、岬は小さく頷いた。
これから巽と共に過ごす時間の中で、岬のペースで答えを見つけていけばいいのだ。恋愛経験のない自分が無理に導き出そうとすれば、間違った答えを掴んでしまうかもしれないから。自分は自分なりに。そう思えば心がふっと軽くなる。
「ありがとうございます。」
「いいのよ。悩み多き年頃だもの。恋の一つや二つしなきゃ。ねぇ?」
そう言って梓が隣を見ると、やけに真剣な顔をしてクリスが頷いている。
「そうだな。でも、変な男に捕まらないように気をつけるんだよ。なんかあったら言ってくれれば・・」
「ちょっと、クリス!岬ちゃんがそんな男選ぶわけないでしょ。」
「いや、しかしだな。最近は若くても変な奴が多いって言うし・・。」
「アレコレ口出すと娘に嫌われるわよ。」
「・・・。」
娘、という言葉に思わず岬の口元が緩む。二人がまるで家族のように自分のことを心配してくれることが嬉しかった。
「そう言えば、お二人が初めて会ったのも高校生の時でしたっけ?」
岬の言葉に二人が視線を交わす。クリスは一度咳払いすると、アイスコーヒーに手を伸ばした。照れているようで、それを見た梓がくすっと笑う。
「えぇ。そうよ。私が高校1年。クリスが3年の時にね。」
「あの、確か・・・合コンって聞きましたけど。」
その言葉にクリスは視線を彷徨わせて「まぁ」とだけ答えた。
「私達学校は別々だったんだけど、友達同士で知り合いがいてね。確か・・・、カラオケだったっけ?」
「・・うん。」
「女の子は皆クリス目当てだったみたい。格好良い留学生が居るってうちの学校まで噂になってたから。」
「え?梓さんもですか?」
「私は当日行くまでそれが合コンってことも知らされてなかったのよ。まぁ、知ってたら絶対行かないって友達も分かってたんでしょうね。」
「でも、合コンなんて無理に連れて行かなくても・・」
「男の方に私を連れてきて欲しいって頼まれたらしいわ。」
「え!!梓さんも有名だったんですか?」
これだけの美人なら学生の頃から話題になるのも頷けた。高校生の梓もきっと可愛かったに違いない。
梓は「さぁ?」と興味なさそうに答えるが、クリスが首を縦に振った。
「あの時、俺の友達は美人が来るってはしゃいでたぞ。」
「良く覚えてるわね。」
「まぁ・・、そりゃあ。」
気付けば岬は興味深々に二人の話を聞いていた。
「じゃあ、クリスさんはそれを聞いて合コンに行ったんですか?」
「あ、いや・・。その頃はそもそも合コンってなにか知らなくて、でも日本の友達を増やしたいなら来いって言われたんだ。」
「・・お二人とも、騙されちゃったんですね。」
「今思えば、そうなんだろうな。でも、行ったら本当に美人がいてね。友達が舞い上がっているのが分かって面白かったよ。」
当時を思い出してか、クリスが少し幼い笑顔を見せる。それを見て梓はからかうような笑みを浮かべた。
「あら、趣味悪い。」
「ははっ。あの時、梓はすごくつまらなそうな顔をしてたいな。」
「実際つまらなかったのよ。だから抜け出したんじゃない。」
「後で散々友達に嫌みを言われた。」
「クリスが言い出しっぺだもんねぇ。」
二人の会話で岬は当時の様子を想像してみる。興味なさそうな顔をする美人の女子高生と一緒に居なくなった留学生。合コンの目玉である二人が居なくなって、友人達はさぞ困ったことだろう。
「じゃあ、クリスさんが誘って二人でカラオケ抜け出したってことですか?」
「そうよ。」
「へぇ。」
楽しそうな二人を見ながら、クリスはふと真面目な顔になった。
「岬。この事あんまり皆には話さないでくれないか?」
「え?なんでですか?」
「いや、・・なんというか・。」
「別にいいじゃない、これくらい。」
「・・・。」
クリスの顔が心なしか赤い。それを見て梓と岬は顔を見合わせて笑った。