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PARTNER  作者: 橘。
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第23話 唇で触れる 3.恋

 

 こんな自分が優しいあいつに好かれるわけがない。穏やかなあいつが俺なんかを選ぶ訳がない。だからきっとこの手を伸ばしてはいけないのだ。

 それなのに――


「なんでアンタは俺を許すんだ?」


 掠れた声で発せられたその問いは、僅かな体温と共に夏の空気に溶けた。





 * * *


 岬は珍しく寝起きが悪かった。それもこれも昨夜の出来事が原因だろう。巽が部屋を出て行き、何もする気が起きなくてすぐにベッドに入ったけれど、すっかり混乱と羞恥でメチャクチャの頭では安らかな睡眠を迎える事など出来なかった。やっと寝付いたのは空が白み始めた頃だ。

 元々目覚ましがなくても決まった時間に起きる事が出来るのに。そう思いながら体を起す。なんとなく頭が重いのは寝不足のせいだろうか。ちらりと見た目覚まし時計が示す数字に、岬は唖然とした。


「え・・・。もう11時!!」


 夏休みとは言え寝すぎだろう。朝はいつも渚の家事を手伝っているのに、それも出来なかった。

 慌ててベッドから降り、着替えて髪を整える。顔を洗いに行くにはリビングを通らなくてはいけない造りになっているので、一度よだれがついていないか鏡でチェックしてから部屋を出た。

 廊下からリビングに続くガラス戸を明けるが誰の声もしない。もしかして皆出かけているのだろうか。


「あ、おはよう。」

「・・おはよう。」


 中に入ると、そこに居たのは聖一人だけだった。ソファの定位置に座った彼のお腹には蛍がくっついている。


「あれ?もう皆出かけたの?」

「あぁ。渚は大と夕つれてプール。巽は寮に戻った。」

「そっか。」


 巽も夏休みなのだからもっとこっちに泊まってもいいのに。久しぶりに顔を見せたと思ったら、一日で帰ってしまうのでは蛍も寂しいだろう。そう思って小猿を見れば何故かジロリと睨まれた。


(あ、あれ?なんで・・・?)


 ホームに来たばかりの頃はあまり懐いてはくれなかったが、最近仲良くなったと思ったのに。


「メシは?」

「あ、まだ。」

「アンタにしては遅いな。」

「う、うん。寝坊しちゃった。」


 少し硬い表情で笑いながら岬は顔を洗いに行き、戻ってキッチンに立つ。蛍には気の毒だと思うが、巽がいなくて少しほっとした。昨日の今日ではどんな顔をすればいいのか分からないから。もしかしたら帰ってしまった巽も同じ気持ちだったのかもしれない。

 冷蔵庫を開ければ岬の分の朝食が入っていた。ラップがかかっている器を取り出し、レンジに移す。バスケットからパンを取り出しトースターへ。後はお湯を沸かしてアイスティーでも作ろう。

 忙しく手元を動かしていても、やはり考えてしまうのは昨夜の事。正直に言えば彼の気持ちは嬉しかった。触れられればドキドキもした。けれどそれが恋と呼べるものなのかは岬には分からない。幼い頃から岬の大部分を占めていたのは兄だった。一人暮らしを始めてからは自分の生活で手一杯。そのお陰か、岬はまともに片想いすらしたことがない。告白されたのも初めてなのだ。

 少なくとも学校のクラスメイトやバイト仲間と比べれば巽は特別だ。気を許している相手であるし、何より仲間である。けれど仲間として大切に思う気持ちと、恋愛として特別に思う気持ちの境界線が今の岬には分からない。


(返事を待たせるなんて失礼だよね。でも・・・)


 自分の気持ちが分からないから断る、というのは相手に失礼な気がする。真摯に彼の告白に対する答えを出すにはどうすればいいのだろう。


「やかん、噴いているぞ。」


 耳のすぐ後ろから声が聞こえて岬は身を竦ませた。突然耳朶に入り込んだ低い声がぞくりと背筋を刺激する。後ろから伸びた自分より大きな手がコンロの火を止めて、やっと岬は現状を理解した。


「・・葉陰?」

「あっ・・ごめん。ぼーっとしていた。」

「やっぱり寝すぎだろ。」

「うん。そうみたい。」


 はははっと力なく笑って、まともに聖の顔を見れないまま岬はやかんを持ち上げた。






 腕の中にいる蛍はジーッと岬を見たかと思うと、目をそらしてぐりぐりと頭を聖に押し付ける。岬がリビングに入ってきてからずっとこんな調子だ。

 当の本人は一人ダイニングテーブルで遅い朝食を取っている。だがその手を時折止めてはどこか遠くに視線をやっていた。心ここにあらず、と全身で表している。恐らく彼女の頭の中は巽の告白の事で一杯なのだろう。知り合って一年にも満たない仲だが、岬が恋愛に対して器用じゃない事ぐらいは聖にも分かっている。彼女は真面目だからこそ、あんなふうに悩んでいるのだろう。今、彼女の頭を占めているのは巽なのだ。それを思うと苛立ちが募る。

 岬は仲間の中でも自分が心を許している存在だと思う。実家の事も、姉の事も彼女には素直に話すことが出来た。だから悔しいのだろうか。巽にその存在を独り占めされてしまうかもしれない事が。もしも二人が付き合い出したら、恐らく巽は今までのように聖と岬が二人だけで互いの部屋で話をすることなど嫌がるに違いない。けれどあれは自分にとって貴重な時間なのだ。奪われるのは困る。傍に座って、声を聞いて、微笑む姿を見て。彼女がいると不思議と穏やかに時間が過ぎていく。あの空間が心地よいのだ。

 その時、ぎゅっと腰にしがみつく小さな腕に力が篭って、聖は意識を蛍に向けた。


(あぁ、そうか。蛍もこんな気持ちなのかもな。)


 巽が岬に盗られてしまうような、そんな不安に駆られているのかもしれない。自分の大切なものを奪っていく者への嫉妬心。


(嫉妬・・・?)


 不意に頭に浮かんだ単語が引っかかる。自分は嫉妬しているのだろうか。岬に好きだと告白した巽に。それはつまり――

 カタッと椅子を引く音がしたかと思うと、蛍は聖の腰から手を離し、あっという間に階段の方へ行ってしまった。そこにある日当たりの良い出窓は蛍お気に入りのお昼寝スポットだ。専用のクッションも置いてあるので、そこに行ったに違いない。横を見れば岬が食事を終え、ソファまで移動してきた所だった。その目は寂しそうに蛍が出て行ったドアの方を向いている。


「・・・・逃げられちゃった。」

「たまたまだろ。」


 自分のせいで蛍が居なくなってしまったのだと言う岬にフォローを入れる。恐らく彼女の予想は当たっているのだろうが、気にしても仕方がない。


「座れば?」

「うん。」


 すると今までどこに居たのか、蛍とは入れ替わりに雪が姿を現した。トタトタと小さな足音をさせ、ぴょんっと岬の膝に収まる。


「おはよう、雪。」


 パートナーの挨拶に雪はゴロゴロと喉を鳴らして応えた。聖は読んでいた本から顔を上げ、リモコンでテレビをつける。そうして互いになんとなくテレビを見たり、本を読んだりと静かに過ごしていると、カクッと彼女の頭が揺れたのが視界に入った。


(?)


 本から目を移せば、膝の上の雪の背中に手を置いたまま岬が転寝している。聖は静かに本を閉じた。元々昨夜のことが気になっていて本の中身などちっとも頭に入ってこなかったのだ。巽や渚達が出かけて一人になってからもリビングにいたのは、顔を見せない岬のことが気になっていたから。

 聖は岬の隣に移動すると、そっとその手で彼女の髪に触れた。出会った当初は長かった髪は、肩につかない程のボブで整えられている。柔らかく自分と同じシャンプーの香り。


「・・・アンタは、巽のものになるのか?」


 それはテレビにかき消されるほどのとてもとても小さな声。寝入っている岬も雪も気付いて起きる様子は無い。


(・・・・嫌だな。)


 ふとそう思った。目の前の彼女が他の男のものになるのは嫌だ。傍にいられなくなるのは嫌だ。付き合っていたフリをしていた時は感じなかった焦燥感。あの時は例えフリでも心のどこかで安心していたのだろう。今ならそれが良く分かる。

 巽と手を繋いだり、抱き合ったり、キスしたりするのか?彼女が?


(嫌だ。)


 誰にものにもなって欲しくない。彼女は彼女のままで、自分が傍に居ることができるままでいて欲しい。


(なら――)


 自分のものにしてしまえば良い。付き合っていたフリをしていた時のように。けれどそれで本当にいいのだろうか。今聖の頭を占めているのは凶暴な独占欲だ。いつだって自分に優しく接してくれる彼女にこんな気持ちを向けていいのか?触れれば傷つけてしまいそうな、鋭利な刃物のようなこんな思いをぶつけていいのだろうか。


(アンタは、俺が触れる事を許してくれるのか?)


 願いを込めて伸ばされた手。それはらしくもなく震えていて、そっと彼女の柔らかい頬に触れる。人差し指と中指の先が頬を撫でる。一回、二回。今度は手のひら全体で触れて三回目。自分とは全く違うきめ細やかで滑らかな肌は気持ちがよく、その手は止まらない。


「ん・・・」


 彼女に触れてからどのくらい経ったか分からなくなった頃、薄く開いた彼女の唇から声が漏れた。驚くほど心臓が跳ねてその手が止まる。けれど離れようとは思わなかった。しばらく彼女の横顔を眺めていると、緩慢な動きで半分瞼が持ち上がる。完全に眠りから覚めてはいないのかもしれない。その目は焦点が合っているとは言えなかった。


「葉陰?」

「んー・・・。」


 甘える様に彼女が聖の手のひらに頬を摺り寄せる。まるで彼女のパートナーである子猫のような仕草に、聖の胸に甘い痺れが走る。


(なんで・・・・・)


 今、アンタに触れているのは巽じゃないのに。寝ている時に勝手に肌に触れている卑怯な男なのに。それなのにどうして・・・・・


「なんでアンタは俺を許すんだ?」


 その声は懇願の様でもあり、懺悔の様でもあった。けれど彼の言葉を向けられた少女はただ、夢見心地で頬を緩ませただけだった。





 * * *


「よーぅ。待ってたぜ。」


 巽が寮の自室を開けると、そこには非常に気持ちの悪いニタニタ顔で笑う八代が居た。ここは巽と修の二人部屋だが、八代はちょいちょい暇つぶしにここに来る。それだけなら悪態ついて追い出すだけだが、何故か今日は寮生ではない春彦と泰人も居た。


「なんやねん、お前ら。」


 すると自分の机の椅子に座っていた修が「お帰り」と声をかけてくる。


「お、おぉ。」


 なんとなく嫌な予感がしてぎこちなくそれに返事をすると、巽はベッドの上に座った。自分の勉強机の椅子は八代に取られていて、後輩二人は床に置かれたクッションの上に座っている。


「女の子連れてったその日に朝帰りなんてやるねぇ。」

「はぁ??」


 八代の下世話な一言に、巽は分かりやすく顔を歪めた。


「何言って・・・」

「昨日の女子高生が岬さん?」


 今度は眼鏡の奥で穏やかに微笑みながら修が問う。そこまで聞いてやっと巽は現状を把握した。こいつらに見られていたのだ。岬を見知らぬ男から奪い、連れ歩いていた所を。けれど好きな女のことについてベラベラしゃべる趣味はないし、こいつらにからかいのネタをやる気もない。無視を決め込もうとベッドの上に放られていた雑誌を手に取ると、その態度に巽の頭の中を見抜いた修が携帯を取り出した。それを受け取った八代がある画像を見せ付けるように携帯を掲げる。


「これなーんだ。」

「っ!!!」


 何とか無関心を装うとしたがダメだった。そもそもそんな器用な性格ではないのに、意中の女と一緒の写真を見せられては尚更だ。修の携帯で撮られたその画像は、巽と岬が手を繋いで人ごみの中を歩いている一枚だった。


「テメェら・・・・」


 本気でキレる寸前の巽を前に後輩二人は床の上で震え上がる。けれど八代と修はどこ吹く風。面白そうに動揺する巽を眺めている。


「で?あの後どうしたのかな?」

「うっさい!それ貸せボケ!!」


 素早く八代の手から携帯を奪い取り、画像を消去する。八代は「あーあっ」とつまらなそうな声を出すが、修の表情は一様に変わらなかった。その笑顔を見て、巽はハッと息を飲む。


「まさか・・・、修お前・・・」


 巽の考えが読めたのだろう。修は微笑んだまま頷いた。


「勿論バックアップとってあるよ。当然だろ?」


 その答えに怒りを通り越して脱力した。そうだ。そもそもこの頭の切れる同室の友人がそう簡単に証拠を無くすようなヘマをする訳がないのだ。

 巽の表情が諦めに変わる瞬間を確認して、修は上機嫌に口を開いた。


「じゃあ、昨日の話をじっくり聞かせてもらおうか。」


 何故こんな男と自分は同室になってしまったのだろう。

 巽は顔を引きつらせながら、本気でそう思っていた。

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