第23話 唇で触れる 2.キス
祭の会場から出て、そのまま巽も岬と一緒にホームへ帰った。学校は夏休みに入っている為、今夜はホームに泊まることになったのだ。本人はちょっと顔を出すだけのつもりだったようだが、嬉しそうに飛びついてくる蛍の顔を見てしまっては、やはりあっさり寮に帰ることはできなかったらしい。
岬は風呂から上がり、濡れた髪のまま部屋に戻った。すると机の上に置いてある携帯の着信ランプが点滅している。画面を見れば表示されているのはメールのマーク。
(桐生くんだ・・。)
ホームに帰ってからすぐに岬は桐生へメールを送っていた。せっかく誘ってくれたのにちゃんと挨拶もせずに別れてしまったことを謝罪するメールだ。彼からの返信は『全然気にしなくていいよ。今日はありがとう』と書かれている。岬は誘ってくれたお礼を打ち返して、携帯を机の上に戻した。
髪を拭いているとドアがノックされた。「はーい」と返事をして立ち上がるが、岬がドアの所に行く前にそれが外から開かれた。
「あ?風呂上がったんか?」
「うん。」
岬が返事をすると、巽は部屋に入ってドアを後ろ手に閉める。そのまま何も言わず無遠慮にベッドに座り、立ったままの岬を見上げて隣に座るよう促した。
どうしたんだろうと思ったが、何も聞かずに岬は隣に腰を下ろす。そう言えば、いつもなら巽から離れようとしない蛍の姿が見当たらない。
「蛍は部屋にいるの?」
「あぁ。寝てもうた。」
「ふふっ。巽君が来たから喜んでたでしょ?」
「まぁ、せやな。」
照れているのか、巽は岬から目線を外す。祭りの事、蛍や雪の事、夏休みの事。しばらく話をしていると、不意に巽の手が岬の頬に触れた。
「?」
「そういや、聖と付き合おうてるフリは止めたんやったな。」
「・・うん。」
触れている巽の手がやけに熱く感じて逃げたくなる。けれど岬が身じろぎする前に巽は言葉を続けた。
「なら、オレと付き合おうてみるか?」
「え?」
突然の言葉に絶句してしまう。付き合う?聖のようにフリではなく、本気で?
戸惑い彼を見返せば、その目は真剣に岬を見つめている。それだけで冗談ではないのだと分かった。けれど岬の口からは答えが出てこない。今までまともに誰かを好きになった事などない岬には巽をどう思っているかなんて答えをすぐに引き出す事などできる筈もない。
すると岬の言葉を待たず、頬に触れていた巽の手がゆっくりと首筋を撫でた。
「!!」
声が出ないまま岬は息を飲む。ふわっと視界が揺れたかと思うと、肩を掴まれベッドに押し倒されていた。驚きで身動き出来ないでいる内に巽が覆い被さってくる。蛍光灯の光が遮られ、影が落ちる。そんなことを思っている間に彼の顔が近づき、どうしたら良いのか分からない岬は思わずぎゅっと目をつぶってしまった。すると瞼の上に温かいものが触れた。恐る恐る目を開ければ、巽の顔がゆっくりと離れていくのが見える。先程触れた温かさが巽の唇だったと分かり、岬の顔が一気に赤くなる。
彼女のその表情に気付き、巽の表情に笑みが浮かんだ。だが、それはいつも見ている彼の笑顔じゃない。自分に向けられた大人びた笑みが、急激に異性を感じさせて岬の心臓が大きく鼓動する。
呼吸も忘れて自分を見返している岬に、巽は嬉しそうに口角を上げたまま低い声で囁いた。
「男にキスされんの初めてやった?」
「~~~~~!!」
思った通りに動揺する岬の表情を堪能し、恥ずかしさで顔を隠そうとする右手を掴んで優しく自分の口元に引き寄せる。手首の内側にわざと音を立てて吸いつけば、岬の口から声が漏れた。
「巽く・・。」
弱弱しい涙声。思わず岬の顔を見れば、その瞳が涙でうっすら濡れている。
(・・・アカン。)
巽は今更自分の行動が恥ずかしくなって、赤くなる顔を見られぬよう顔を背けた。それに気づいた岬が手を巽に握られたままベッドから起きあがる。巽は岬の手を離し、その視線から逃れるように立ち上がりドアノブを握った。だがすぐには出ていかずに一度振り返る。
「さっき言うたことはマジやから。考えといて。」
呆然とする岬を残して、巽は部屋を出る。岬はただそれを真っ赤な顔で見送ることしか出来なかった。
巽が岬の部屋から出ると、リビングのドアが開く音がして顔をそちらに向けた。すると聖が自室に戻ってくる所だった。二人は顔を合わせるが言葉は交わさない。
聖は自室のドアノブの握る前にちらりと巽が出てきた部屋のドアを確認する。それに気づいて、巽は黙っていられなくなった。聖がドアを開けると同時に口を開く。
「オレ、あいつに告った。」
文字通りの宣戦布告に聖の手が止まる。いつも無表情な彼の反応を確かめるように巽はゆっくりと言葉を紡いだ。
「邪魔はせえへんよな?」
「・・・。」
聖は巽を見返した。だが何も言わない。表情も変わらない。やがて言葉を待たずに巽は自室に入っていった。
ドアが閉まる音がして、聖はもう一度向かいのドアを見る。巽がいつの間にか岬に好意を持っていた事は知っていた。何故巽が告白したことを自分にわざわざ報告したのかも分かっている。けれど何も言えなかった。巽を止める権利も理由も自分は持っていないからだ。
やがて視線を岬の部屋から外し、聖も自室のドアを閉めた。