第23話 唇で触れる 1.夏祭り
祭囃子の音が離れた場所からも聞こえてくる。それだけで心が少し浮かれるのが自分でも分かった。待ち合わせ場所のコンビニまで行くと、店の前にすでに桐生の姿が見えて岬は足を早めた。
岬の姿を見つけ、桐生はぱっと顔を輝かせる。逆に待ち合わせ場所に桐生の姿しかないことに気づいて岬は戸惑った。
「・・ごめんね。待たせちゃったみたいで。」
「あ、全然。俺が早めに着いちゃっただけだし。じゃあ、行こっか。」
桐生が歩き始めて、やはり今日は二人だけなんだと認識する。その時、合宿前に行われた玲の言葉が頭をよぎった。
『桐生とどういう関係?』
関係と言われてもクラスメイトとしか答えようがない。なら、桐生が岬を誘ったのは何故?異性と二人で遊びに行くのは特別な関係?
(でも、桐生君は皆と仲良いし。そんなに気にすることないよね。)
歩いて10分程でお祭りの会場に到着する。神社の周りは沢山の出店で賑わっていて、夜を照らす提灯や照明の明かりが眩しいほどだった。
「葉陰さんはここ初めてだっけ?」
「うん。」
出店を眺めながらブラブラと二人で歩く。くじ引きのお店では小学生ぐらいの男の子達がゲーム機を当てようと賢明になっていた。隣のヨーヨー釣りではカップルや親子連れなど様々な人達が集まっている。それを見ているだけでも自然と笑みが浮かんだ。
「桐生くんは毎年来るの?」
「うん。俺この辺地元だから。好きのものとかある?」
「うーん。やっぱり綿あめとか昔から好きだったなぁ。」
「あ、分かる。腹には溜まんないけど、綿あめっていいよね。お祭りって感じするし。」
「桐生くんは?何が好き?」
「俺は~、たこ焼き、ヤキソバ、ラムネも好きだし。焼きトウモロコシと、後焼きイカも!」
嬉しそうに指折り数える桐生の姿に岬は声を出して笑う。するとちょっと驚いた後に、桐生は照れくさそうに笑った。
「俺欲張りすぎ?」
「ううん。良いと思う。好きなものは沢山ある方が楽しいよね。」
岬はじゃがバタ、桐生はお好み焼きとラムネを買って座れる場所を探して移動した。境内近くの石階段が空いていたのでそこに腰を下ろす。すぐ近くには大きな櫓が組んであって、浴衣を着た盆踊りの輪が見えた。
学校の話やバレー部の合宿の話をしていると、段々と周りに人が増えてくる。再び出店を見て回ろうと二人で立ち上がった。持っていた空の容器を捨てようとゴミ捨て場を探すと、桐生が手を差し出した。
「あ、俺捨ててくるよ。」
「うん。ありがとう。」
容器と割り箸を渡そうとした時、岬の手が桐生の指に触れる。
「あ・・。」
ごめんと言おうとした時、容器ごと桐生の手のひらが岬の手を掴む。驚いて顔を上げると、桐生は目線を岬の顔から逸らした。
「葉陰さんはさ、その・・・、まだ橘のこと好きなの?」
「え?」
突然の問いに岬は目を瞬かせる。
聖とはもともと好き同士で付き合った訳ではない。あくまであれはフリだったのだから、『まだ』という桐生の質問の答えはNOだ。それは分かっているのにとっさに岬の口からは言葉が出なかった。
言葉を探して視線を彷徨わせると、ぱっとその手が離れた。
「ごめん。捨ててくるね。」
「あ・・、うん。」
桐生は背を向けてゴミ捨て場まで一人で歩いていく。その背を見送りながら、岬の口からは無意識の内に溜息が漏れた。
桐生が戻り、一緒に境内から出店のある通りへと移動する。桐生は「変なこと聞いてごめんね」と言っただけで、先程の話は追求されなかった。それからは何事も無かったように話をしてくれる。岬はこっそり胸を撫で下ろした。
巽は人の多さに顔をしかめた。今日は八代の提案で同室の修や後輩の春彦も一緒に夏祭りの会場となっている神社に来ている。出店や屋台の料理も祭も好きだが、肩が触れるほどの人混みは好きじゃない。
人の少ない所を選びながら歩いていると、ふと見覚えのある顔が目に入った。その人物は笑いながら巽達とは少し離れた場所を歩いている。人の頭が邪魔で顔が良く見えなかったが、気になって立ち止まるとそれが当人であることが分かった。
(岬・・・。)
彼女の顔が見えると同時に隣を歩いている人物がいることに気づく。それは自分よりも年上の男。しかも知らない顔。二人の周りには他の知り合いがいるようには見えない。どう考えたってデート中のカップル。
「どうしたの?」
突っ立って遠くを見ている巽に気づいて、修が声をかけた。けれどそれには返事をせず、「悪いんやけど、別行動するわ」と言って巽は目線の先へ走って行った。
「岬!」
突然名前を呼ばれて、岬は周りを見渡した。けれど自分の知り合いは見あたらない。首を傾げると同時に、腕を掴まれぐいっと後ろに引かれた。
「あ、巽君。」
「あー、やない。ちょっと来い!」
呆然と立ち尽くすことしか出来ない桐生を置いて、巽は彼から少し離れた場所で岬の腕を離す。ちらりとそちらを確認してから苛立たし気に口を開いた。
「お前、聖と付き合おうてるフリしてるんとちゃうんか!?」
すると岬は気まずそうな顔で巽の顔を見る。
「あ、それは・・、夏休みに入る前に止めたの。」
「・・で?もう次の男とデートしてるっちゅーワケや。」
「デートってわけじゃ・・。」
機嫌の悪さを隠さない巽に岬はたじろいだ。だが岬の言葉を聞くなり、巽は打って変わってニヤリと笑う。
「ほー。デートやないなら、今から俺に付き合おうてもええんやな。」
「え?」
「お前はここにおれ。」
それだけ言うと巽は一人で桐生の元へ行ってしまった。何が何だか分からなくて、岬はそこで待っているしかなかった。
桐生は突然現れた巽に戸惑っていた。岬が彼の名前を知っていたということは知り合いなのだろうが、はっきり言ってガラが悪い。学校で見る岬の性格を考えると、友達だとは思えなかった。
心配になって離れた場所で話をしている二人を見ていると、茶髪の頭がこちらを振り返る。思わず息を飲むと彼は桐生に向かって歩いてきた。先程は急な出現で気づかなかったが、よく見ると年下のようだ。
彼は少し自分よりも背の高い桐生を見上げると、不遜な態度でジロリと桐生の顔を見た。
「兄ちゃんには悪いんやけど、アイツ連れてくわ。」
「は?」
困惑する桐生を尻目に巽は踵を返そうとする。だが、心配そうに自分達の様子を見ている岬の顔が目に入って、とっさに桐生は巽を引き留めた。
「ちょっと待って!」
巽は足を止めて振り返る。さっさとしろ、と言わんばかりの表情に桐生は眉根を寄せた。
「・・君は、葉陰さんの何なの?」
「身内。」
みたいなもんやろ、と巽は心の中だけで付け足す。それに対し思ってもみなかった言葉が返ってきて、桐生は気が抜けた声を出した。
「え?」
「もうええな。」
巽はもう話す事は無いと言うようにくるりと背を向ける。そのまま岬の所へ直行し、その手を取って歩きだした。
「おぉ!あれが噂の岬ちゃんかぁ。」
歩きだした巽達を遠目に眺めながら、八代は持っていたアメリカンドックにかぶりついた。
「そうっス。」
「他の男から略奪とは、巽もやるねぇ。所で修はさっきから何やってんだ?」
「携帯で録画中。」
ピッと決定ボタンを押して、録画を中断する。どうやら先程のやりとりをこっそり動画で記録していたらしい。
「・・お前、結構やることえげつねぇよな。」
「覗きなんかして巽さんに怒られないっスかね。」
「そういう時の為にこの画像を使うんだろ。」
「・・修さん、それって脅しじゃあ・・。」
「人聞きが悪いね。」
「ばか。止めろ春。修の機嫌を損ねるとお前の恥ずかしい写真とかバラまかれるぞ。」
盗撮している修を見て、それが必ずしも冗談だけではすまないことを実感する。春彦は顔をひきつらせ、慌てて修に頭を下げた。
「すいませんでした!!」
巽は岬の手を握ったまま、何も言わずにずんずん歩いていく。岬は少し早足でそれを追いかけながら、ちらりと繋がれている手に目を落とした。いつ声をかけようか迷いながらも、やはり恥ずかしくてなんとかタイミングを見計らって声を出す。
「巽君、手・・・。」
ちらりと岬を振り向くが、巽はぶっきらぼうにそれを否定した。
「あかん。こんなぎょーさん人がおったらはぐれるやんか。」
「あ、うん。」
勢いに押されて岬は思わず頷いてしまった。
「・・それで、どこ行くの?」
「ヤキソバ。」
「え?」
端的に告げられた行き先に岬は目を丸くする。
「ヤキソバ食べたいの?」
「そうや。」
「はぁ・・。」
ヤキソバを買うと巽は人気のない場所まで移動した。空いていたベンチを見つけ、そこに並んで腰を下ろして早速ヤキソバのパックを開ける。割り箸を割ると口を付ける前に岬に差し出した。
「食うか?」
「ううん。大丈夫。さっき食べたから。」
岬が首を横に振ると、気にした様子もなく巽はそれを食べ始めた。
「何食うたん?」
「じゃがバタとフランクフルト。」
「それだけで足りんのかいな。」
「うん。じゃがバタのお芋結構大きかったし。」
他愛の無い話をしながら、浴衣を着ている人達を見ていると、ふと思い出したように巽が岬の顔を見た。
「今日あいつらは?」
「大くんと夕ちゃんは友達の家にお泊まりなんだって。橘君は誘ったんだけど行かないって言われた。」
その言葉を聞いて、ヤキソバを食べていた突然巽がむせる。
「大丈夫?」
慌てて岬がお茶のペットボトルを差し出すと、巽は一気にそれを飲み干した。それが空になると同時にぱっと岬に顔を向ける。
「アホか!さっきの男がお前を誘っとんのに、聖がノコノコ付いて来るワケないやんか!!」
怒られたことに驚きつつも、岬は昨夜の聖の様子を思い出していた。彼が岬の誘いに微妙な顔をしていたのは、正にその通りだったからなのかもしれない。その事に全く気づかなかったことが申し訳なくて岬は俯いた。
「・・・すいません。」
「ったく。ホンマにお前って・・・。あぁ。もうええわ。」
何故か脱力して巽は再びヤキソバに箸をのばした。
「ほら、行くで。」
「え?もう食べ終わったの?」
「おう。」
しばらくして巽は立ち上がり、追いかけるように立った岬の手を再び握った。有無を言わさず歩き出す巽の後ろ姿を見ながら、岬は動揺していた。
(・・巽くんは恥ずかしくないのかな。)
人通りの多い出店の並ぶ表通りまで来ると、カシャっという電子音が聞こえた。周りを見渡してみるが人も多いし、周りには携帯を持った人が大勢居る。
(誰かが写メ撮った音だったのかな。)
よそ見をしているとすれ違う人にぶつかりそうになって慌てて前を向く。するとそれに気がついた巽が握っていた手に力を込めた。
「コラ。よそ見すんな。」
「あ、うん。」
繋いだ手が熱くて、岬はそれを誤魔化すように視線を外した。せわしなく鼓動する心臓の音は、離れた場所から聞こえてくる祭太鼓のせいだと自分に言い聞かせた。
「甘酸っぱい!甘酸っぱいよ!!」
興奮した様子で八代が叫ぶ。三人の前には相変わらず巽と岬の姿があった。だが後をつけている事がバレれば巽の機嫌が悪くなるのは目に見えている。春彦はテンションを上げている八代を慌てて小声で止めた。
「ちょっと八代さん。聞こえちゃいますよ!」
だがそんな言葉などどこ吹く風で、八代は修に話しかける。
「大丈夫だって。こんだけ周りがうるせぇんだ。聞こえやしねぇよ。それよりあいつら行っちまったけど、どうする?追いかける?」
「もういいんじゃない?話は後でゆっくり聞けばいいし。」
「それもそうだな。しらばっくれてもその写真があるしな。」
修が持っているネイビーの携帯には二人が手を繋いで歩いている画像が表示されている。それを見て会話する先輩の姿に、春彦は溜息をつきそうになった。
「あぁ。成る程。そういう時にもその画像が使えるんですね。」
「よくできました。」
「・・・。」
言葉の出ない春彦など気にした様子もなく、八代は羨ましそうに遠ざかっていく二人の姿を見送った。
「いいなぁ。俺も女の子ナンパしてくっかなぁ。」
カチカチと携帯をいじりながら、修は素っ気なく言い放つ。
「行ってらっしゃい。」
「修、お前なぁ。男子校なんかに通ってたら出会いなんてこういう所しかないんだぞ!もっとやる気だせよ。」
「僕はそういう面倒なのはパス。春君行ってきなよ。」
「いや、俺も・・。ナンパしてついてくるような女の子はちょっと・・。」
「春!お前の顔なら女の子がウヨウヨ来るぞ!もったいねぇ。」
「でも、これから泰人も合流する予定だし。」
その言葉を聞いて、八代は「そう言えば」と言って笑う。
「あいつ確か彼女欲しがってたよなぁ。」
「えぇ!アイツにナンパなんかできますかね?」
「いや。分からんぞ。隠れた才能が発揮されるかも。」
「ナンパの才能って・・。」
二人の会話を聞きながらしながら、修はマイペースに手にしたかき氷を食べ進める。それが空になると次に何を食べようかと並び立つ屋台を見回した。