第22話 今を抱く 2.感謝
気づけば随分遅い時刻になっていて、岬は2階へ上がり渚に声をかけた。山科が事務所を出なければいけないので共に彼を見送る。
「木登さん。お世話になりました。」
山科は渚の顔を見るなりそう声をかけた。
「それで、代金の方は?」
すると渚はハハハッと笑った。
「お代の方は結構ですよ。岬ちゃんのお陰で調査にはほとんど費用はかかっていませんから。」
「でも、これもちゃんとした依頼ですし。」
困った顔をする山科を見て、渚は笑顔を見せる。
「そういうマジメな所、岬ちゃんと同じですね。」
「え?そうですか?」
その言葉を聞いて、嬉しそうに山科がデレッと顔を崩した。
「岬ちゃんは身内みたいなもんですから。サービスってことで、気にしないで下さい。」
「すいません。何から何まで。岬をよろしくお願いします。」
「はい。喜んで。」
そのやり取りに、岬は燕の事を思い出していた。やはり彼も同じように聖のことを思っていたのだろう。
玄関前でタクシーを待っていると、「そういえば」と山科が岬を見た。その目には何故か不安の色が見え隠れしている。
「岬。」
「な、何?」
「まさか、・・か、彼氏とか・・・いないよな?」
「え?」
予想していなかった言葉に岬は目を瞬かせる。だが一瞬の沈黙を肯定と受け取ったようで、山科は動揺し始めた。
「やっぱり、今時の高校生は、い、るのか・・・?」
「あ、ううん。いないよ!」
慌てて否定すると、山科は大げさなほどほっと息をつく。
「いやいや。良かった。再会したとたん他の男のものになってたらどうしようかと。」
「そんな・・。」
(橘くんとつき合ってるフリをしている時じゃなくて良かった・・・。)
そんな事を考えていると、渚が呼んでくれたタクシーが横付けされる。山科は再度渚に頭を下げると、岬を見た。
「じゃ、元気でな。」
「うん。・・捜してくれて、ありがとう。嬉しかった。」
「岬・・・。」
感極まって山科は岬を力強く抱きしめる。突然の抱擁に岬は慌てて声を出した。
「いや、あの、・・・お、お兄ちゃん。」
すると、その言葉に反応して体を離すと、「何?」と言って嬉しそうに山科が笑った。
「タクシー・・、待ってるから。」
「あ、あぁ。そっか。じゃあな。」
「うん。体に気をつけて。」
「ありがとう。連絡するから、メールはちゃんと返事くれよ。」
「あ、うん。分かった。」
タクシーに乗った後も何度も念を押されるので、思わず苦笑してしまう。山科が乗ったタクシーが見えなくなると、岬は渚と一緒に中に入った。
「渚さん。ありがとうございました。」
「いや。俺はほとんど何もしてないから。それより、優しいお兄さんで良かったね。」
「はい。」
(随分妹バカみたいだけど。)
その言葉は飲み込んでリビングにあがる。するともうそこには誰もいなかった。大や夕はもう寝ている時間だし、聖も部屋に戻っているのだろう。
「岬ちゃん。」
「はい。」
「聖君ね、ずっとリビングで二人の話が終わるの待ってたんだよ。」
「え?」
驚く岬を見て、満足そうに渚が微笑む。
「聖君も気になって落ち着かなかったみたい。」
「・・そうなんですか。」
確かに約束の時間になるまで聖は岬と一緒にリビングに居てくれた。それに、渚を2階まで呼びに行った時も、彼の頭がソファの背もたれからのぞいていた気がする。
「私、お礼言ってきます。」
「うん。行っておいで。」
パタパタとリビングを出ていく岬を渚は微笑みながら見送った。
* * *
すっかり見慣れたドアをノックする。するとすぐに返事があった。
「どうぞ。」
静かな廊下にガチャッとドアノブの音が響く。中を覗くとベッドの上で聖が本を読んでいた。
「遅い時間にごめんね。えと・・。」
「入って。」
「ありがとう。」
中に入ってベッドの前に立つと「そこ」と聖が勉強机の椅子を指さした。お礼を言って椅子を借りる。聖が持っていた本を閉じた。
「さっき、山科さん帰ったの。」
「話、出来たのか?」
「うん。ありがとう。橘くんのお陰だよ。」
すると少し驚いた後に聖が眉根を寄せた。意図が掴めなかったのだろうと思って、岬は言葉を続ける。
「会う決意が出来たのも、今日逃げずに話が出来たのも橘くんがいてくれたからだと思う。」
「・・俺は、別に何も。」
「話、聞いてくれてとっても助かったの。それに私がリビングに居る間も、橘くん傍に居てくれたでしょ?嬉しかった。」
控えめに岬が笑う。すると聖がフイッと顔を背けた。何故かその眉間には皺が寄っている。
(・・機嫌、悪くなっちゃったのかな?)
岬が何も言えずにいると、そっぽを向いたまま聖がポツリとこぼした。
「・・俺も」
「え?」
「兄貴が来た時、アンタのお陰で話をしようと思ったんだ。だから・・、別に礼はいらない。」
その表情は相変わらず無愛想だが、声に微かな感情の揺れを感じた。彼の言葉が嬉しくて、岬は目を合わせようと聖に向かって微笑みかける。
「うん。分かった。」
入るのは二度目になる聖の部屋は、先日よりも居心地が良い。のんびりと座っていたが、遅い時間であったことを思い出して岬は立ち上がった。
「ごめんね、こんな時間に長居しちゃって。」
部屋を出ようとしてドアノブを握ると、「あ・・」と言う声が耳に届いて岬は後ろを振り返った。声を上げた本人、聖は少し気まずそうな顔をする。
「あ、と・・。アンタ今週の祭り、結局桐生と行くのか?」
「・・うん。そうなると思うけど。」
「・・・・。」
岬が答えても、聖はそれ以上口を開こうとはしない。疑問に思いつつ、岬は桐生のメールを思い出していた。
(別に、他に誰か誘っちゃいけない訳じゃないよね・・)
「橘くんも一緒に行く?」
そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。珍しく聖はポカンと口を開けた。そもそも、桐生はデートのつもりで岬を誘ったに違いない。それなのに聖を誘うということは、その意図が岬に伝わっていない証拠だった。
「橘くん?」
「・・・。」
聖が岬と一緒に待ち合わせ場所に現れれば、桐生は度肝を抜くに違いない。その後イヤな顔をするだろう。そんな顔をわざわざ見に行きたくないし、一緒に遊ぶ気にもならない。だが桐生と岬が二人きりで祭りに行って、彼が喜ぶことを考えるとそれも気に入らない。
(・・やっぱり、誘うのは違ったかな。)
何やら深く考え込んでいる聖を見て、岬は不安になってその顔を覗き込む。すると聖が顔を上げた。
「いや、いい。」
「・・そっか。分かった。」
岬は「おやすみ」と言って、聖の部屋を出た。
自分の部屋に戻ると、雪がベッドの上に座っている。いつもならこの時間は大抵丸くなって寝ているのだが、今日は起きて岬が戻ってくるのを待っていてくれた。
「雪・・。」
岬はベッドに座り、雪の頭を優しく撫でる。雪は目を細めて温かい手のひらに身を委ねている。
「雪も、ありがとね。」
雪と心が繋がっていると思うだけで自分は一人じゃないと思える。現に一人居暮らしをしていた岬の心の支えはずっと雪だった。あの小さなアパートに帰ってきた岬に『おかえり』と言ってくれたのは雪だったから。
雪が自分の元に現れてから、自分の生活がまるで違うものになっていった。仲間に出会えたのも、こうしてホームで皆と暮らしていられるのも雪のお陰だと思う。
自分にとって雪は幸運の運び手の様。だからこそ、自分も雪にとってそんな存在になれたら良いと思う。
いつの間にか、雪は体を丸くして目を閉じている。微かに上下する胸元を見れば、眠りに入っているのだと分かった。しばらく穏やかなその表情を眺めて、岬も寝る準備を始めた。