第20話 過去が近づく 2.肝試し
「え?肝試し?」
宿舎の食堂で夕食をとっていると、岬のはす向かいで一年生部員と話をしていた添田がそう声を上げた。
「あれ、真琴知らなかったの?」
彼女の隣に座っていた一年の田町がそう訊けば、添田は冴えない顔で頷く。岬も初めて聞く話に口を挟んだ。
「ねぇ。私も初めて聞いたんだけど、肝試しするの?」
「え?先輩もですか?」
「うん。」
岬の向かいに座っていた朋恵が「あ、ごめん。言ってなかったかも」と言って箸を持っていた手を止める。
「予定表に二日目の夜はレクリエーションって書いてあったでしょ?あれって、その年毎に違うんだけど、今年は肝試しになったんだって。」
「そうだったんだ・・。」
てっきりレクだから、皆で出来るゲームか何かをするんだと思っていた。だがレクの企画は毎年一年生がやっているらしく、今年は彼らの意向で肝試しに決まったらしい。添田は正式な部員ではないから、その企画には加わっていなかったのだろう。
「もしかして、真琴肝試しとか嫌い?」
「・・・暗いところはあんまり。」
一年生の会話を聞いて、朋恵も岬の顔を見る。
「岬は?大丈夫?」
「うん。暗いところは平気。でも、肝試し出来るところなんてあるの?」
「一昨年もやったらしいんだけど、その時は近くの神社でやったんだって。今年もそうじゃないかな。」
「へぇ。お墓とかじゃなければ大丈夫かも。」
「あぁ、お寺だと墓地があるから怖いよね。」
だが、依然添田は不安そうな顔をしている。一人じゃないから丈夫だよ、と朋恵と田町が宥めながら夕食の時間が過ぎていった。
「じゃ、三年の先輩から順番にくじ引きに来て下さーい。」
係の一年生が外に集まった部員達に呼びかける。顧問の先生達は参加しないようでその姿はなかった。二年生の最後に岬がくじを引くと、ルーズリーフを切って作られた4センチ四方の紙には『K』と書いてあった。同じアルファベットが書いてある人とペアになるらしい。一年生の半分は脅かし役をやるようで、すでに集合場所にその姿はなかった。
くじを引き終わった部員達からペアを探し始める。すると桐生が岬の前に顔を出した。
「葉陰さんくじ何だった?」
「あ、私Kだったよ。」
すると、最初は笑顔だった桐生の表情に力がなくなる。
「あ、・・そうなんだ・・。」
「桐生君は?」
「Jでした・・・。」
するとそれを隣で聞いていた野島が、「あ、J、わたしだ」とくじを開いて見せた。
「ごめんね、桐生。」
「あ、いやいや。何言ってんの!」
慌てて弁解を始める桐生を目の前に、おかしそうに野島が口元を押さえる。岬もペアを捜そうと周囲を見ると、添田もまだ一人で居るのが見えた。
「添田さん、何だった?」
「私Kですよ。」
「あ、良かった。私もKなんだ。」
「ホントですか!知ってる人で良かったです。」
次々と皆がペアを組んでいくが、朋恵だけ最後までペアを見つけられないでいた。皆がペアを見つけ終えると、不思議に思った朋恵がくじを配っていた一年生を捕まえる。
「ねぇ、この『T』って、同じ人いないみたいなんだけど。」
「あ、先輩それだったんですか!」
「え?」
「実は今年人数が奇数になるんですよ。なんで、申し訳ないんですけど先輩一人です。」
「えぇ!そうなの?」
するとそれを聞いていた部員達が笑い声を上げた。
「えー。朋一人なのー?」
「そうみたい。ひどいよね。何もしてないのに罰ゲームみたいじゃない?」
「くじ運わるーい。」
「東川に試合の対戦くじ引かせちゃダメなんじゃない?」
朋恵達がそんなことを話していると、後ろから肩を叩かれる。
「東川。」
「え、あ、草薙先輩。」
そこにはくじを持っていた草薙が立っていた。そのくじには『S』と書いてある。
「女の子が一人じゃかわいそうだし、交換するか?」
「あ、いえ。いいですよ。交換したらくじの意味がないですし。」
「そうか?」
「はい。ありがとうございます。」
するとそこに玲が顔を出す。彼女は「あれ~?」と草薙の顔を覗き込んだ。
「先輩は私とペアじゃ不満ですかぁ?」
「そんなこと言ってないだろ!」
「あはははっ。」
「早川は一人でも大丈夫そうだよな。」
「あら、女性に向かって失礼なこと言いますね。」
二人のやりとりを聞きながら、朋恵がクスクスと笑う。ペアになれなくても良い。草薙が気にかけてくれたことが嬉しかった。
涼しい夜風を味わいながら、桐生と野島は境内への道を進んでいた。配られた懐中電灯には赤いセロファンが貼られていて、不気味に見えるよう演出されている。「剥がしてやろうか」とか、そんなことを話しながら二人で歩く。
不意に会話が途切れると、野島が意地悪な表情で「葉陰さんとペアが良かった?」と言った。
「いや!だから、別に・・」
「あれ?嫌なの?」
「い、嫌じゃないよ!」
「あはははっ。焦りすぎだよ。」
「・・・俺、分かりやすい?」
「さっきのは分かりやすかった。」
岬にくじのことを訊きに言った時のことを思い出しながら、野島は微笑んだ。
「桐生は葉陰さんと同じクラスなんだっけ?」
「うん。そう。」
「・・良い人だよね。」
野島の声色が変わったのが気になって、桐生は彼女の横顔を見る。すると先程までの笑みは消えて、少し真面目な顔をしていた。
「なんか、あった?」
「・・・・。話したの。マネージャーになった理由。」
「・・うん。」
「でも、あの子慰めとか同情とか何も言わなかった。ただ、バレーボール好きなんだねって言ってくれたの。本人には言えなかったけど、嬉しかった。」
「そっか。」
自分が褒められている訳じゃないのに、桐生は野島の言葉が嬉しかった。
岬はいつもニコニコとしていて穏やかだ。声を荒げる姿など見たことはないし、彼女が誰かを悪く言うのを聞いたことがない。けれど、自分が好きになったのはそう言う所じゃない。彼女自身がもつ暖かい空気。それに桐生は吸い寄せられるように、傍に居たくなるのだ。
「頑張ってね。」
「・・うん。サンキュ。」
照れくさくなって、それを誤魔化すように桐生が笑う。すると、横手の垣根からガサッと音がした。同時に上から白い布が降ってきて視界が塞がれる。
「わっ!!」
桐生一人がその犠牲になると、垣根から一年生が二人飛び出してくる。野島が呆気にとられている間に一年生の男子達が布の上から桐生をくすぐり始めた。
「バカ!やめろ!!」
やっとの思いで布を取り払うと同時にフラッシュがたかれた。
「わっ!」
眩しさに目を閉じるが、目を開けると野島とカメラを構えた一年生達が笑っている。
「お前等なぁ・・」
「やべ!逃げろ!!」
あっと言う間に再び彼らは垣根の向こうに隠れてしまう。お尻を払って立ち上がると、野島が「大丈夫?」と訊いてきた。だが、その顔はやはり笑っている。
「あいつら肝試しの意味間違えてねぇ?」
「あはははっ。やられたね~。さっきの現像が写真楽しみ~。」
「野島~。」
「きゃっ!」
突然木の影からボールが飛び出してきて、添田は岬の腕にすがりついた。ボールは当たっても痛くないとても柔らかいもので、肝試し仕様に絵の具で血の模様が付いていた。
「先輩、すいません~。」
泣きそうな顔を向ける添田に、岬は笑ってみせる。再び歩き出すがなかなか添田の足は進まないようだった。
「大丈夫だよ。でもホントにこういうのダメなんだね。」
「暗いだけで結構怖いんです。寝るときも明かりつけてないと一人じゃ寝れなくて。先輩は平気なんですか?」
「うん。割と暗い所は大丈夫なんだ。それに、大体寝る時とかは雪が一緒だし。」
「雪?」
「あ、猫の名前。」
「へー。先輩猫飼ってるんですか?」
「一緒に住んでるよ。オスなんだけど、最近体が大っきくなってきたからいろんな所に登るようになっちゃって。」
「いいなぁ。写真とかないんですか?」
「あるよ~。戻ったら写メ見せるね。」
物音がして、岬はそちらに懐中電灯を向けた。だが、その懐中電灯は青いセロファンが貼ってあって、あまりその意味を成していない。すると突然カメラのフラッシュが焚かれた。
「キャッ。」
再び添田が岬の腕を掴む。するとその場所から一年生が二人顔を出した。
「もう!やだー。」
「あはははっ。添田恐がり過ぎ~。」
「写真なんか撮らないでよ!」
「良いだろ?遊園地のアトラクションみたいで。」
やはり一年生同士だと素が出るようで、岬達の前では大人しかった添田もこの時ばかりは口を尖らせて文句を言っていた。
ひとしきり騒いでその場を後にする。するとすぐに神社の境内に続く階段が姿を現した。その先が折り返し地点になっている筈だ。
「さっきの子達と仲いいの?」
「あ、さっき脅かしてきた二人は同じクラスなんです。」
「そうなんだ。」
「・・・先輩も、桐生先輩と同じクラスなんですよね?」
「うん。そうだよ。」
「・・・。」
口をつぐんでしまったので、どうしたのかと添田を見る。添田は下を向いたまま階段を上り始めた。
「あの・・・。」
「うん?」
「葉陰先輩は、今好きな人とかいないんですか?」
「え・・?」
あまりに突然の質問に、岬は一瞬戸惑う。けれど、その必要はないことを思い出して口を開いた。
「あ、いないよ。」
「・・ホントですか?」
「うん。」
今もそして今までも岬は片想いすらしたことがない。戸惑う必要など、考える必要などない質問の筈なのに。
急に顔色を変えた添田の様子をさりげなく見る。練習中に見た添田の目線の先を思い出して、岬は逡巡した。
(そういえば、訊いてもいいのかな・・・)
この話の流れなら訊いてもおかしくないだろう。そう思って胸の中にあった疑問を口にした。
「添田さんは、今好きな人いるの?」
「あ・・。」
添田が一瞬驚き、すぐに頬を赤くする。だが、それ以上訊いて良いのか分からなかった。岬はこういう話題を聞き出すのは上手くない。相手が戸惑うと自分も動揺してしまうからだ。きっと朋恵や玲の方が上手く話が出来るのだろう。
添田が困っているのが分かって、岬は思わず「無理に話さなくても良いよ」と口にしていた。