第19話 愛しさに迷う 3.後悔
夕食後、岬は野島達と明日の打ち合わせをしていた。30分程でそれが終わり、部屋に戻る為に三人は席を立つ。廊下を歩いているとジャージのポケットに入れていた岬の携帯が振動した。取り出して見てみれば朋恵からのメールが届いている。その内容を見て岬は足を止めた。
『恋愛暴露トークが始まって盛り上がってるから、橘のこと訊かれたくなかったら今部屋に来ない方がいいよ。』
一瞬どうしようか迷ったが、岬はお礼のメールを返した。そしてジュース買いに行ってくる、と言ってその場で野島達と別れる。
流石に泊まりの今日は追求されれば逃げようがない。話を流すのは得意ではないし、元々つき合っていないのに話す事なんてある筈もない。あれ程話を聞きたがっていた玲を前に上手く誤魔化す自信もなくて、結局岬は一人で時間を潰すことにした。
朋恵は部屋に戻ってダラダラとしゃべっていると、段々とそこに同期の女子部員達が集まってきた。トランプでもしようかと話していたら、一部の二年男子も加わって、いつの間にか大人数になって話が弾む。最初は練習の事とか、学校のことなんかを話していたのだが、その内に段々と話が恋愛の方向に向いてきた。修学旅行や合宿の夜と言えば定番だが、順番に暴露していくという流れになって、朋恵はこっそり携帯を取り出す。岬や野島はまだマネージャーの打ち合わせで戻っていない。テンションの上がっている部員達の中に入ったら、岬が困惑するのは目に見えていた。おまけに岬と聖のことは皆が興味を持っている。集中して攻められるかもしれないと思うと放っておけない。何より彼女は話を誤魔化したり、流したりすることに長けてはいないのだ。
恋愛暴露で盛り上がっているから、今は部屋に帰ってこない方がいいことを伝えると、すぐにメールの返信があった。間に合ったことにほっとしていると、野島だけが部屋に帰ってくる。
「あれ?葉陰さんは?」
それに気付いた部員の一人がそう訊くと、「ジュース買ってくるって」と言って野島も輪に加わった。
彼氏彼女がいる部員は相手のことや告白の言葉まで質問されていた。それを笑って聞きながら、やはり岬がいなくて良かったと思う。
10分ほど経って一人にさせておくのは忍びなくなり、朋恵は「岬探してくる」と言って部屋を出た。それに今の自分の恋愛を皆の前で話すのも気にもならなかった。
2階にある自販機コーナーでジュースを買い、岬は休憩所になっているホールから外を眺めている。ホームのバルコニーで見るよりも星の多い夜空が広がっていて、ゴールデンウィークに聖と見た星空を思い出した。
(楽しかったな・・・)
夏休みに入り、渚はまた皆で出かけようと言ってくれた。まだ予定ははっきりとしていないが、きっとどこでも皆となら楽しい筈だ。そう思うと思わず口元が緩む。バイトに明け暮れていた去年の夏休みとは全く違う。
夜風を感じながらボーッとしていると、不意に人の話声が聞こえてきた。誰か来たのかな、と思って振り返るが人はいない。するとそれは下から聞こえてくる事に気付いて岬は窓の外を見下ろした。そこに二つの人影が見える。よく目を凝らせば、それは草薙と木村だった。二人は外のベンチで話をしているようだ。
何気なく二人を見ていると、木村の声が大きくなる。喧嘩をしているのかと思ったが、突然木村が草薙に抱きついた。
(!!?)
驚き慌てて顔を背ける。その場を離れようと振り返ると、そこには朋恵がいた。
「あ、朋・・。」
岬が声をかけるが、朋恵の目は外の二人に向けられている。朋恵の瞳が揺れた。しっかり者のイメージが強い朋恵のこんな不安定な表情を見るのは初めてだった。
岬は朋恵と共に体育館前に移動していた。この時間に中へ入ることはできないが、人が居ないので入口前の階段に腰を下ろす。そこからも夜の星を見ることが出来た。
「やっぱり、こういう所だと星が綺麗だね。」
「・・うん。」
岬が話しかけても朋恵は元気がない。ここに移動する間に岬はバレンタインの事を思い出していた。彼女の家でお菓子を作った時、朋恵はバレンタインを渡そうか迷っている人が居る、と言っていた。いつも幼なじみの女の人と一緒にいるバレー部の先輩。
(もしかしたら・・)
草薙かもしれない。そう思ったが、訊いていいのか分からなかった。
「・・そう言えば、渡したの?バレンタイン。」
遠回しに訊いてみるが、その意図が朋恵には分かってしまったようだ。苦笑して、朋恵は首を横に振った。
「前に言ってたのは、草薙先輩なの。」
「うん。」
「玲が言ってたでしょ?木村先輩は草薙先輩のことが好きで、それが端から見てても分かる位いっつも一緒にいるの。二人がつき合ってるって話はまだないけど、ずっと一緒でも大丈夫なくらい仲良いんだから、想ってても無駄だよね。」
先程の二人の姿が蘇る。ただ仲が良いだけならともかく、抱き合うとなれば特別な関係であることは確かだ。
(でも、無駄なんてことあるのかな・・)
朋恵の横顔は笑っていても苦しそうだ。それほど真剣に想っているのに、その気持ちが全く無駄になってしまうなんて。その時、岬の頭に小谷の泣き顔がよぎる。
(小谷さんも、こんな風に思ってたのかな・・・)
未だ岬では知り得ない恋愛の痛み。もしかしたら自分は人との別れに慣れてしまって、痛みに鈍くなっているのかもしれないとさえ思う。けれど自分は後悔を経験してる。大切な人に自分の正直な気持ちを伝えられなかった。例えそれが叶わないとしても我儘だったとしても、これほど後悔するくらいなら相手を困らせてでも泣いてすがれば良かったと、一人後悔したのだ。
「朋、私ね・・。」
空を見上げたまま、岬は小さな声で話し始めた。朋恵が顔を上げて自分を見るのが気配で分かる。
「話してなかったけど、孤児院にいた時にお兄ちゃんと一緒だったの。」
「・・・お兄さんがいたの?」
「うん。お兄ちゃんが養子に行くことになって、どうしても離れなきゃならなくなった時、私、笑って見送ろうとした。」
朋恵は黙って岬の話を聞いてくれている。目を閉じると、あの頃のことが蘇るようだった。
「本当は、行って欲しくなかった。離れたくなかったのに。先生にね、ちゃんとさらならしましょうねって言われたの。じゃないと、お兄ちゃんが困るからって。頑張ったけど、一人になって後悔した。」
兄の姿が見えなくなって、何度朝が来ても戻ってきてくれないんだって分かって、そこで初めて岬は泣いた。二度と会うことが出来ないなら、どれだけ泣いてでも抱きしめてもらえば良かったと思った。
「会えなくなるなら、良い子でいようとなんてしないで、行かないでって言えば良かったって。」
目に涙が滲む。でも泣かなかった。悲しくて寂しい思い出だけど、それはもう思い出でしかないから。乗り越えなくてはいけないものだから。そうじゃなきゃ、きっとホームで待ってくれている皆の元へ帰ることなど許されない。
「岬・・・。」
「変な話してごめんね。」
朋恵は静かに首を振った。
「でも、伝えないで後悔はしないで。」
「・・・うん。」
それから、黙ったまま二人で夜空を眺めていた。聞こえてくるのは風が揺らす木の葉と、虫の声。静かな夜だった。
消灯時間が近づいてきて、二人はそこから立ち上がる。
「岬。」
「ん?」
「話してくれてありがとう。」
「うん。」
二人で宿舎に戻る。買ったジュースは結局一口も飲まないままだった。