表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PARTNER  作者: 橘。
64/104

第17話 頬を濡らす 3.涙

 日本史の授業終了を告げるチェイムが鳴り、聖はサボっていた中庭から教室に戻る所だった。その途中、社会科準備室から出てくる岬を見つけた。目を逸らそうとしたその時、準備室の中にいる燕の後ろ姿が目に入る。嫌な予感がして気付けば聖は岬の後を追っていた。

 廊下を曲がった彼女の背中を見つけると、腕を伸ばしてその手を掴む。


「おい。」

「!!・・橘くん。」

「ちょっと来い。」


 驚いてはいたが、彼女は聖に腕を引かれるまま黙って後をついてきた。人気のない階段の踊り場まで来ると、聖は手を離して岬を振り返る。


「あいつと何話してた?」

「え・・」


 明らかに動揺を見せる岬を聖は言葉で責め立てる。やけにイラつく感情を抑える事が出来なかった。


「燕だよ。あいつがわざわざアンタに声をかけるなんて、俺のことしか考えられない。」


 岬は話すべきかどうか迷っていた。けれど今の聖からは逃げられそうにない。下を向いて何とか声を絞り出す。


「・・・・。ごめん。二人が兄弟だって話聞いたの。」

「!!」

「・・実家には帰らないの?」

「アンタには関係ない!!」


 聖は感情にまかせて岬が立っていた横の壁を殴りつける。今まで見たことのない聖の姿に岬は息を飲んだ。聖が壁を背にした岬の顔を挟む様にして両手をつく。鼻先が触れるほどの距離で、岬を見つめる表情は鬼気迫るものがあった。怖かったが、岬は目を逸らすことが出来なかった。


「迎えに・・来てくれているんでしょう?」


 壁についた拳が握られる。聖がその言葉を望んでいないことは分かっている。それでも岬の口は止まらない。だってそれは、かつて岬が渇望していたものだったから。それを拒否する聖を岬は無視出来なかった。


「橘くんにも事情があることは分かってる。でも、頭ごなしに否定しなくても、ちゃんと話をするくらい・・」

「黙れ。」


 有無を言わさぬ言葉に岬は息を飲んだ。自分を見る聖の目は暗い。お互いの顔が触れそうな程近くにあるのに、心はとても遠く感じた。

 まるで金縛りにあったように岬は体を動かすことが出来ずにいた。やがて聖が顔を背けて体を離す。


「・・何も知らないくせに。」


 岬に背を向け、段々と聖の足音が遠くなっていく。最後に呟かれたその言葉だけがいつまでも岬の耳に残っていた。



 巻き込んだのは自分だ。それなのにどうしてあんな言葉をぶつけてしまったのだろう。岬に実家の事を知られるのが嫌だった。岬から帰るよう言われたことに苛ついた。誰にも踏み込まれたくなかった。何も知られずに、ずっとこの生活を過ごしていければそれで良かったのに。

 今更家の奴らと話す事なんて何もない。どちらにせよ、あの父親が今のままの自分を受け入れることはないのだ。そして自分も父親のことをこの先ずっと許す事はないだろう。

 燕が自分のことを心配しているのは分かっている。父や兄に逆らうことはしないものの、実家にいる時は気遣ってくれていた。恐らく今回のことも燕の独断だ。わざわざ東京まで迎えに行くなんて父が許す訳がない。


(ひかり・・・)


 浮かぶのは優しく微笑む懐かしい女性の顔。今でも忘れる事のない大切な存在。自分を救ってくれた、支えてくれた、愛してくれた唯一の人。


(ひかり。どうして・・・)


 胸の内の呟きは誰にも届かないまま聖の中に蓄積する。昇華されることのない想いは聖をがんじがらめにして縛りつける。けれど捨てられない。それは同時に彼を支えているものでもあるのだから。


 このまま授業を受ける気にならなくて、サボろうかと裏庭へ足を向けると少し遠くから「橘くん!」と自分を呼ぶ声が聞こえた。そちらを見れば小谷が自分に向かって走ってくる。聖は無感情に彼女の姿を眺めた。

 嬉しそうに小谷が自分を見上げる。


「アンタは何で俺に執着すんの?」


 燕と小谷を重ねたのかもしれない。気づけば聖は彼女にそう呟いていた。

 だが、聖の事情など知らない小谷は執着、という言葉を信じられない思いで聞いていた。自分の恋心は今までそんな風に思われていたのだろうか。聖が自分を見下ろしている。その目は暗い。

 自分が好きだった橘聖という男性はこんな人だった?こんなにも冷たく、暗く、何もかもを拒絶するような人だった?今まで自分が見てきた聖はそうではなかった。葉陰岬の隣にいた聖はそうではなかった筈なのに。

 あれ程胸が高鳴ったのが嘘のように小谷は萎縮していた。聖の問いに答えることが出来ない。その答えも今は見つからず、恐怖に似た感情が胸を占めて声を出すことが出来ない。

 その時、二人の沈黙が唐突に破られた。


「あれ〜?有名な橘くんじゃね?」


 からかうような声が聞こえて二人がそちらを振り返る。すると上級生の男子が三人、こちらに近づいてきた。ニヤニヤとした笑いを浮かべて二人を眺めている。


「彼女と別れてもう次?流石モテる奴は選びたい放題でいいねぇ?」

「女の子持て余してるんだろ?ちょっと俺らに分けてよ。」


 彼らを一瞥しただけで相手をする気はないのか聖は背を向けた。歩きだした彼の後に小谷も続く。


「ちょっと無視かよ。冷てぇなぁ。」

「俺らと合コンするか?」


 ゲラゲラと笑いながら、彼らはまだふざけ合っていた。


「元カノならいいんじゃね?もう用無しだもんなぁ。」


 その言葉に聖の足が止まった。

 振り向いた聖の表情を見た小谷は寒気を感じた。無表情なのは先ほどと変わらない。だが、その目は息を飲む程の怒りに満ちていた。


(怖い・・・)


 顔を青くして小谷は聖から後ずさる。声をかけることなど到底出来なかった。

 聖は無言で彼らの方へ歩いていく。


「お、何?その気になった?」

「元カノ紹介してくれよ。」


 唐突に響く鈍い音。気づけば上級生の一人が聖の足下に倒れていた。苦しげに腹を押さえて咳き込んでいて、聖が彼を殴ったのだと気づくのに時間がかかった。それは彼らも同じだったのだろう。拳を握る聖と倒れた友人を交互に見ながら、段々とその表情が強ばっていく。


「テメェ!!」


 一人が聖に殴りかかろうと大きく腕を振りかぶる。だが聖の拳の方が早い。頬を殴られ、体が大きく揺れる。最後の一人は何も出来ずに唖然と聖を見つめていた。聖が暗い瞳で彼らを見下ろす。それでも頬を殴られた生徒は怒りが収まらないようで、再度拳を繰り出そうとした。聖も拳を握る。


「待って!!」


 女子生徒の声で彼らの動きが止まった。声のした方を向くと同時に駆けてきた岬が聖の腕を掴む。後ろを見れば野次馬の生徒達が集まってきていた。このままで行けば教師も姿を見せるかもしれない。それを察して上級生達はその場を離れた。岬も野次馬の目を逃れようと聖の腕を引いて、生徒達がいない方へ足を向ける。

 小谷はその一部始終をただ突っ立って見ていることしか出来なかった。






 岬と聖は無言で歩き続けている。体育館裏の水道まで来ると、聖はそこで右拳を水で洗った。上級生を殴ったその手は少し赤く腫れている。人を殴ったのは久しぶりだった。

 岬は聖の後ろで黙ってその様子を見ている。なんて声をかければ良いのか分からないのだ。

 その背中を見ていると先ほどの聖の姿が蘇る。少し前に自分に向けられたあの暗い目とは違う。あの時の聖は感情の何もかもを失くてしてしまったかのように空虚だった。けれど、上級生を前にした聖の目は怒りの感情に満ちていた。その姿は痛々しくて、何もかもを拒絶しているようで、手を伸ばさずにはいられなかった。巽の喧嘩とは違う。もっと危うくて、不安定で、自分自身を傷つけるような・・・


「葉陰。」


 思考にふけっていた岬の意識が引き上げられる。聖は岬を一瞥したが、岬と目が合うとすぐに顔を背けた。


「アンタは教室に戻れ。」


 それだけ言って彼は校舎とは反対の方向へ歩き出す。聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で「うん」と呟いて、岬はその背中を見つめた。

 視界が歪む。目から涙が零れ落ちる。それは岬の頬を濡らして地面に落ちた。何故泣いているのか、その時の岬には分からなかった。



 聖は一人、体育館裏の陽の当たらない場所に腰を下ろした。現在体育館は使われていない。何の音もしない静かな時間が流れていく。

 気がつけば、目の前のフェンスの上にカラスが一羽留まっていた。


「瑠璃・・・」


 パートナーの名前を呼ぶ。彼と繋がった心は不安定に揺れていた。


『・・ごめん。』


 今聖が持て余している感情は、きっと瑠璃を不安にさせている。この現状を打破することが出来ない聖には謝ることしか出来ない。


『ごめん。』


 冷たいものが聖の頬を濡らす。空を見上げれば、厚い雲の固まりから雨の滴がポツポツと降り注いでくる。次第に強くなる雨に打たれながら、聖はその場から動けずにいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ