第15話 傍に寄り添う 1.ゴールデンウィーク
ゴールデンウィークにホームに来るなら頭二日間に来て、という渚の言葉を受けて、巽はその日にホームに行くことにした。一泊するつもりで着替えも用意してある。先日岬に来るように言われたからではない。連休でもないと中々蛍に会いに行けないからだ。そう頭の中で言い訳をしながら巽は出かける準備を終えた。
荷物を持って学生寮を出ると、目の前の路肩に駐車している車が目に入った。オレンジ色の派手なワゴン。知らない車が停まっていた所でいつもなら気にせず通り過ぎるのだが、今回はそうもいかなかった。運転席からは知っている顔が見えていたからだ。
「はぁ?」
思わず声が出る。すると運転席の窓が開いて渚が顔を出した。
「巽君、おはよ〜。」
「何やっとんねん。」
「何って迎えに来てあげたんじゃん。」
「・・全員でか?」
渚の車にはホームの全員がすでに乗っていた。それだけではない。助手席にはイーグル、後部座席には雪や蛍もいる。蛍は巽の姿を見つけると、聖から離れて嬉しそうに窓に張り付いた。
後部座席は前に大と夕、後ろに岬と聖が乗っていて、岬の膝の上には雪が丸くなっている。とりあえず蛍を抱き上げて前の席に座ると、大が「せーまーいー!」と文句を言った。
「うっさい。文句ならお前の親父に言え。」
「何それ。なんで僕なのさ。」
「これレンタカーやろ?もっとデカイの借りればええやんか。」
「あのねぇ。大き過ぎても運転するの大変なんだよ?」
「へーへー。で?わざわざ車借りてどこ行くねん。」
「那須高原。」
「は?」
「今日は予約したコテージで一泊するから。」
「・・聞いてへん。」
「行ってないもん。いいじゃん。どうせ泊まりの用意してあるでしょ?」
「・・・・。後でこの車に傷つけたろか。」
「ひっどーい!止めてよ!借りもんなんだから!」
「分かってて言うとるに決まっとるやん。」
すると言い合いをしたままなかなか出発しないのに飽きたのか、夕がぼそりとしかし強い口調で呟いた。
「・・二人ともウルサイ。」
バックミラー越しに二人が目を合わせる。
「すいません。」
「スマン。」
途中休憩を入れながらのドライブ。やがて湖が見えてきて、渚は駐車スペースに車を入れた。皆で車を降りる。岬は雪を抱いて、巽はお腹に抱きついた蛍ごとパーカーを上から着込み、少しファスナーを下ろして蛍の顔を出した。
気持ちのいい五月晴れで、少し冷たい風が頬を撫でる。ずっと車の中だったイーグルは嬉しそうにしっぽを振って歩いていたが、初めて車に乗ってその音や振動におびえていた雪は岬にしがみついたまま離れようとはしなかった。
「なぎさ!ボート!!」
湖に浮かぶ色とりどりのボートを見て、大がそれを指さした。ぴょんぴょんと興奮気味に跳ねる姿に渚も「乗りたいの?」と頭を撫でる。
「のる!!」
「夕は?ボート乗る?」
渚が訊くと、と夕は隣を歩いていた聖の袖を引っ張った。
「一緒に乗るか?」
聖に言葉に、夕はコクンと頷く。数メートル先にあった貸しボートの小屋に行くと、動物はダメだと断られてしまった。渚が「大人しい子達なんですけど」と言うが、決まりだからと一蹴されてしまう。
「雪がちょっと落ち着かないみたいなので、私はここで待ってますよ。」
「俺らこの辺におるから、さっさと行って来い。」
渚達がボートに乗るのを見送ってから、イーグル達と共に二人は散歩を再開した。ボートの上では嬉しそうに渚が皆の写真を撮っている。大は自分でボートを漕ごうと、両手で一本のオールを賢明に動かそうとしていた。その傍では併走するように聖がもう一つのボートを漕いでいる。一緒に乗っている夕は湖をのぞき込んで湖面に手を伸ばそうとしていた。
「乗らんでええんか?」
岬が湖の方を見ながら歩いていると、巽がそう言った。
「うん。雪が慣れない車に疲れちゃったみたい。車の音とか、ちょっと怖かったみたいなの。」
「あぁ。そんでずっとしがみついとんのか。」
巽が岬の腕の中の雪を撫でる。以前巽が雪を追いかけ回してからというものの、巽が近づくと飛びつくか逃げるかだったのだが、今はその元気もないようでされるがままになっていた。
「ホンマにやる気ないなぁ。」
「あははは。蛍は大丈夫そうだね。」
「あぁ。コイツはチビの時から車には慣れとるからな。」
「そうなんだ。」
しばらく歩いて、二人は適当なベンチを見つけて腰を下ろした。湖上の渚達の姿も見える場所だ。
岬は膝の上に雪を下ろしてその背中を優しく撫でる。気遣うようにイーグルが傍に座り、その鼻先を雪に向けた。雪も段々落ち着いてきていて、それに応えるように顔を上げる。
岬が二匹の様子を眺めていると、巽が口を開いた。
「お前・・」
「ん?」
「なんで聖とつき合うフリなんかしとるんや。」
「あ・・・。」
先日聖と映画を観た後に偶然巽達と会ったのだが、その帰りに遭遇した高校の友人の口から二人がつき合っている事がバレてしまったのだ。聖は巽にフリだけだと本当のことを話したが、巽はそれに反対していた。
どう話せばいいのか迷ったけれど、岬は聖のように素直に話すことにした。
「橘くんは学校で人気だから、フリーだと言い寄られたりして大変みたいなの。」
「アイツの問題やろ?そんなもん放っとけばええやん。」
岬は膝の上の雪を見下ろした。雪の興味は段々と見慣れぬ風景に向けられていて、今はキラキラ光る湖を見つめている。
「私ね、雪と会ったばかりの時から橘君には沢山助けてもらっているの。それに、知らない女の子にジロジロ見られたり、勝手に色々言われたりして橘くんが大変そうなの見てきたから。今まで助けてもらった分、お返し出来たら良いと思って。」
「ふーん。それって仲間だからなんか?」
真っ直ぐに自分の目を見て問いかけてくる巽の仕草に、岬は心が落ち着かなくなるのを感じた。
「え、うん。そうだね。」
「さよか。」
それだけ言うと、もうその話に興味はないのか、巽はベンチから立ち上がった。
「岬。」
「何?」
「腹減った。あっちに屋台あるから行ってみようや。」
「え?さっきお昼食べたばっかりなのに。」
「ええやないか。まだあいつらも戻って来ぇへんやろ。」
「あ、うん。」
二人は屋台が並んでいる歩道前まで歩き、一つずつ屋台を覗いていく。巽がたこ焼きの屋台を見つけて一つ注文すると、店員の中年男性が目を丸くした。その目の先には巽のパーカーから顔を出した蛍がいる。
「兄ちゃん。それサルか?飼ってんのか?」
巽は笑うと、蛍の頭を撫でた。
「可愛ええやろ?妹やねん。」
「あはははっ。確かに兄ちゃんとそっくりだな。」
店員が手元を動かしながら豪快に笑う。岬は二人のやりとりを聞いて、思わず笑みが零れた。
「ほれ。」
「え?」
再びベンチに戻ると、巽がつまようじに指したたこやきを口元につきつけてくる。戸惑う岬に、巽は眉根を寄せた。
「つまようじが一本しかないんや。さっさと口開けい。」
「あ、うん。」
岬は気恥ずかしさ感じつつも、口を開けてつまようじからたこやきを取った。
「・・おいしい。」
「どれ。」
「大阪の人の家って、皆たこやき器があるって本当?」
「あぁ。よー訊かれるわ。まぁ、大抵はあるんちゃう?」
「そうなんだ。」
「ホームにもあったで。前に渚が作ったの食うたことあるわ。」
「へー。渚さんが作るのは美味しそう。巽君は作らないの?」
「めんどい。」
「あははっ。そっか。」
残りのたこ焼きを巽が食べ終わると、渚達がボート乗り場から戻ってきた。そこから再び車で移動して乗馬やアスレチックなどで遊ぶと、車はコテージへと向かった。
渚が用意してくれたコテージは予想以上に立派なものだった。二階建てのログハウス。一階は暖炉付きリビング、キッチン、風呂や洗面所などの水場。二階は寝室が四つ並んでいる。角の一部屋だけは他の部屋よりも広く、ダブルベッドが置いてある。渚と双子はその部屋で寝ることになり、後の三人はそれぞれの個室を使わせてもらうことになった。ペット可のこのコテージでは、ペット用のトイレを置く場所やグッズも完備されていた。
コテージに着いた時には、すでに近くのレストランで夕食を済ませていたので、近隣のスーパーで朝食の材料を買い込んでいる。岬はそれらを渚と共にキッチンでしまっていた。
「渚さん。後はやっておきますから、先に大くん達とお風呂に入ってきて下さい。」
大や夕はすでに遊び疲れてしまったようで、リビングのソファでうとうとしている。それを察して、渚はその提案を受け入れることにした。
「ありがとう。じゃ、お願いね。」
「はい。」
必要なものは冷蔵庫にしまい、三人分のお茶を準備して岬もリビングに戻った。そこでは聖と巽がそれぞれ向かいのソファに座ってテレビを見ている。聖の膝の上では雪がすっかり寝入っていた。
初めて訪れる建物の中では動物達は落ち着く事がなかなか出来ない。自分達の生活場所に匂いをつける習性があるので、いきなりその匂いが無い場所で長い時間過ごすとなると戸惑ってしまうのだ。渚のアドバイスを受けて、岬もよく雪が昼寝に使っているクッションを持ってきていた。だが、それよりも聖の膝の上がいいらしい。聖自身の匂いも、雪の中では心を落ちつかせるものになっているようだ。
木製のローテーブルにティーカップを置くと、ソファの上で寝っころがっていた巽が体を起こした。
「おぉ。サンキュー。」
巽がお茶を飲むと、首からぶら下がっていた蛍が手を伸ばそうとする。
「コラ。熱いで。」
ついていたテレビはバライティ番組。岬も二人と一緒にテレビを見ていると、しばらくして渚達が風呂から出てきた。ドタバタと走り回る音がしてそちらを見れば、大が濡れた髪のままリビングに駆け込んでくる。その後ろから渚がタオルを持って追いかけていた。
「大!そのままじゃ風邪ひくだろ!」
ポタポタと垂れる滴がパジャマを濡らして、確かに体を冷やしてしまいそうだ。二人を目で追っていると、大がソファに登って座っている岬に抱きついてくる。
「わっ!」
「へへ~。蛍のマネ〜。」
岬と向かい合わせに膝の上に座って、大が楽しそうに笑う。岬は渚からタオルを受け取ると、大の頭に被せて優しくその髪を拭いた。
「ちゃんと乾かさないとダメだよ?」
くすぐったそうに大が笑う。その姿を見て渚は溜息をついた。
「大。お前、最初から岬ちゃんに頭拭いてもらおうと思ってたんだろ。」
「ちがうもーん。」
「はいはい。じゃ、夕は先にドライヤーで乾かしちゃおっか。」
渚は頷く夕の手を取り脱衣所に戻った。髪を引っ張らないように注意しながら大の髪を拭いていると、段々と大の首が揺れてくる。顔を見れば、既に瞼が落ちかかっていた。
「大くん、眠い?」
「・・んー。」
カクンと大きく首が下がり、そのまま岬の体に倒れ込む。もう我慢が出来ないようで、その体制のまま寝息を立て始めた。
「あれ?寝ちゃった?」
渚が顔を出すと、岬の腕の中の大をのぞき込む。
「すいません。寝ちゃいました。」
「しょーがないなぁ。」
渚は大を抱き上げて、夕と共に寝室へ向かう。
岬は先にお風呂に入らせてもらうことになって、夕とおやすみを交わすと、着替えを持って風呂場に移動した。