第14話 恋が交わる 1.2度目の告白
「・・・・。」
聖は差し出された2枚のチケットを見下ろしていた。それを手にしているのは下宿先の主である渚。明るい茶色に染められた長髪、両耳に飾られた複数のピアス。けれど彼が誰にも不快な印象を与えないのは、その整った顔立ちのせいだろう。妖艶な笑みを浮かべて女性の前で微笑めばホストとして人気が出そうな彼も、今はそれとは正反対の質の笑顔を浮かべている。それは彼が自身の子供の前で見せるのと同じ、ニコニコとした満面の笑みだ。その笑顔からは全く邪気を感じられないのに、聖は胸の内でこっそりと思った。
(遊ばれてる・・・・。)
付き合いの長い彼だからこそ分かる。これがもし岬だったとしたら、人の裏など考えることもしない彼女は素直にこの笑顔に騙されていることだろう。
差し出されているのは有名なハリウッド映画のチケット。シリーズ化していて、すでに4作目になる。未来を舞台にしたSF映画で、聖はこれまでの作品全てを観ていた。その最新作のチケットなのだ。勿論それを受け取るのに聖自身何の問題もないのだが、チケットは2枚用意されている。1枚だけ受け取ろうとしたのだが、2枚受け取るのがチケットを譲る条件だと渚が言ったのだ。
何故渚がそんな条件を出したのか。常々『青春=恋』だと言って憚らない彼は聖が誰を誘うのか興味があるのだ。本人が言葉にした訳ではないが、彼の表情、つまりは聖に向けられた笑みを見れば分かる。分かっているからこそ、聖は受け取るのを逡巡しているのだった。
最近、こうして渚は聖の態度を楽しんでいる節がある。そのことを果てしなく迷惑に感じている聖も、普段世話になっていることを重々承知しているが故に、文句は言えずに此処まできている。
チケットと笑顔の渚を前に聖が固まっていると、2人がいるリビングのドアが開いた。
「ただいまー。」
明るい声と共にリビングに入ってきたのはイーグル・雪を連れた岬だった。休日である今日はいつもは渚がやっているイーグルの朝の散歩を岬が代行していたのだ。岬は妙な雰囲気でじっと立っている2人を見て首を傾げた。
「あ、おかえりー。」
「・・おかえり。」
「どうしたんですか?」
するとおいで、と笑顔の渚が岬を手招きした。傍に寄ってみると、渚は2枚のチケットを持っている。
「映画ですか?」
「うん。シリーズものの最新作なんだけど、この映画知ってる?」
「CMで予告は見ましたけど、映画を観たことはないです。」
「あ、そうなんだ。」
渚と岬の会話を聞いて、聖は更に顔をしかめた。チケットを受け取るなら、岬を誘ってみようかと思っていたのだ。仲間である岬なら渚も面白がって騒いだりしないだろうし、聖も誘いやすい相手だから。けれどシリーズを知らないのなら誘っても観には行かないだろう。話の分からない続き物の映画を観た所で面白くもなんともないのだから。
「この映画、聖くんが好きなんだけどさ。チケットは2枚あるから良かった岬ちゃん一緒に行かないかな、と思ったんだけど。」
「あ、そうなんですか。もし他に行きたい方いないなら、・・行きたいです。」
その言葉に、聖は目を見開いた。まさか行くと言ってくれるとは思ってもみなかった。
「ホント!良かった。じゃあ、2人で行っておいで。」
更に笑みを深くした渚にチケットを渡され、2人とも今日は特に予定がないのでこれからお昼の回を観に行くことになった。それぞれ自室に戻って準備をしてからホームを出る。玄関では渚が笑顔で二人を見送った。雪も一緒に外に行きたいとだだをこねたが、まさか猫を映画館に連れていく訳にはいかない。岬はなんとか雪を宥めてから出かける事となったのだった。
* * *
巽は一つ大きな欠伸をした。その隣には同じ中学の後輩である春彦がいる。2人は今日、私服で街に出かけていた。様々なショップが集まる繁華なこの場所では休日ともなれば人が多い。すれ違う人々を器用に交わしながら、目的の店へと向かっている。
「別について来んでもええんやで。」
「いいじゃないっスか。いつも巽さんがどんな店に行くのか知りたいし。」
「・・きしょい。」
「えぇ!!ひでーっ!あっ、ちょっと待って下さいよー。」
抗議する春彦を後目に、巽はどんどん先を歩いていく。今日はいつも付けてるピアスが壊れてしまったので、新しいものでも買おうかと巽はいつものアクセサリーショップに向かっていた。
すると突然声をかけられて、巽はその足を止めた。
「旭川さん!」
「・・・・。」
振り返るが、その相手は見つからない。気のせいかと思ったが、隣の春彦も立ち止まっているから確かに声はしたのだ。すると人混みの中から背の低い、同い年位の少女が顔を見せた。肩ほどまでの黒髪に白いフリルブラウス。薄ピンクのバルーンスカートがよく似合う、可愛らしい女の子だった。
「あの・・。」
彼女は巽の顔を見るなり頬を赤く染める。春彦は彼女の様子を察して「先行ってます。と声をかけると、巽は表情を変えずに返事をした。
「すぐ行く。」
「・・はい。」
春彦は溜息をついて歩きだした。明らかに好意を持っている彼女からすれば、「すぐに行く」という巽の言葉はショックに違いない。
(そう言えば、巽さんって女の話とかしないよなぁ・・。)
そう思うと気になって、自然に足が止まる。春彦はこっそり来た道を戻った。
その日、河野千佳は友達3人とショッピングに来ていた。特に目的があるわけでもなく、いつも通りプラプラと好みのショップを見つけては中に入って商品を眺める。3件目に入ろうとした時、千佳は知っている後ろ姿を見つけた。もう一度逢いたいと思っていた人。
気づけば、駆けだしていた。
「あれ?千佳?」
「ごめん!お店入ってて!!」
それだけ言うと千佳はその背中を追いかけた。少しでも大人っぽくしようと先日買ったパンプスでは走りにくい。
「旭川さん!」
声をかけると彼がこちらを振り返った。巽の隣を歩いていた人が男であることを確認すると、ちょっと安心する。
千佳は半年前に電車の中で痴漢にあった事がある。夕方ラッシュの時間。満員電車の中で自分の体に触れる手のひらの感触に、千佳は息を止めた。その手は腰から段々と下がっていく。元々大人しい性格だし、恥ずかしさと恐怖で声が出なかった。俯くことしか出来ず、目には涙が浮かぶ。その時、すぐ横で声がした。
「ええ歳して人のケツ触んな、ハゲ。」
右に立っていた男の人が、そう言って千佳の後ろを睨みつける。周りがざわつくと丁度電車のドアが開いて、その人は逃げるように車外へ出ていった。
ポカンと千佳が隣の人を見上げると、その人はもう興味がないようで窓の外を見ている。ぶっきらぼうな関西弁。耳にはピアス。茶色に染められた坊主頭。自分と同い年ぐらいの、にこりともしいないその横顔に千佳の心臓が大きく鼓動した。
次の駅で彼が降りてしまったので、慌ててその後ろを追いかける。
「あの!すいません!」
彼が顔だけ振り返ったので、急いで頭を下げてお礼を言った。けれど「おう」と言っただけで、彼はまたすぐに歩きだしてしまった。
その後ろ姿が忘れられなくて、千佳は何度かその駅で彼が来るのを待ち伏せした。そして3ヶ月前、一人で電車を待っていた彼を見つけて告白した。その結果は駄目だったけど、名前を教えてくれた。その時の巽は千佳の事を覚えていなかった。きっと今回もそうだろう。それでもいい。千佳はもう一度巽に声をかけていた。
巽の後について千佳は大通りから少し細い路地へと移動した。ここなら人も少ない。巽を前に緊張する胸を押さえながら、千佳は口を開いた。
「あの、突然すいません。河野千佳といいます。」
やはり巽はにこりともしない。けれど、千佳は止めようとは思わなかった。真っ直ぐに巽の目を見つめる。
「以前から、旭川さんのことが好きでした。・・あの、良ければ付き合ってもらえませんか?」
一瞬の沈黙。千佳は震えそうになる手をぎゅっと握った。巽が口を開くのがまるでスローモーションの様に見える。
「すまん。好きな奴がおるんや。」
「・・そうですか。」
握っていた手から力が抜ける。前回断られたときは「興味ないから」と言っていた。巽に好きな人がいない内は、頑張ろうと決めていたのに。
(好きな人、出来ちゃったんだ・・・。)
「私の方こそ、すいません。じゃ、友達が待ってるから・・」
「2度もスマンかったな。」
「!!」
俯いていた顔を上げた。そっけない言葉だけど、彼は自分を覚えていてくれた。それだけで胸が一杯になる。十分、今までの自分の恋心が報われた気がした。
千佳は黙って頭を下げて友達の元に走り出した。自分の顔を見たら友達がびっくりするだろう。けれど目からこぼれる涙が止めれそうになかった。
建物の陰から2人の様子を見守りながら、春彦は1人でドキドキしていた。当然ながら、人の告白シーンを見るのなんて初めての事だ。
千佳が走ってその場を去ってしまうと、巽に見つからないように慌てて駆け出す。まさか覗いていたなんて巽に知られたら殴られる所じゃ済まないだろう。そう思いながらも、先ほどの巽の言葉を思い出して口元が緩む。
(俺には好きな人のこと教えてくれないのかなぁ・・・)
意地っ張りな巽では話してくれそうにない。巽と同室の先輩に聞いてみようかな、と思いながら春彦は1人走るのだった。