第12話 動き始める 3.東川朋恵(2)
「桐生!」
覚えのある声が聞こえて、お弁当を食べていた朋恵の箸が止まる。聞き間違える筈がない。廊下から桐生を呼んでいたのは草薙だった。
そっと廊下を見る。草薙は寄ってきた桐生にDVDを手渡していた。
「ほれ。昨日言ってたやつ。」
「お!もう持ってきてくれたんですか!さっすが、先輩。仕事が早いっすね~。」
「お前ホント調子いいよな。」
「ありがとうございます!わざわざすいません。でも、これから昼のミーティングですよね?」
「あ、忘れてた!!ま、いいや。面白いから観て見ろよ。」
ふと、話をしていた草薙の目が移動する。朋恵と目が合うと、彼は嬉しそうに手を挙げた。入口から離れた窓際の席に座っていた朋恵は黙って会釈する。
「もしかして、部活の先輩?」
「うん。そう。」
隣に座っていた岬の質問に答えると、朋恵は再び箸を動かした。
席に戻った桐生に梶原が声をかける。
「お、圭吾何それ?エロいやつ?」
「ばーか。ちげぇよ。映画のDVD。」
ちらりとそちらを見ると、もう廊下に草薙の姿は無かった。
朋恵は桐生と昼のミーティングに向かっていた。毎週木曜日は他の部活で体育館が使えない為、部活はミーティングのみとなっている。昔は放課後にやっていたが、せっかく部活がないのなら皆早く帰りたいだろうと、草薙の代から昼に変えたらしい。
「さっき、先輩から何のDVD借りてたの?」
「あーっと、タイトルなんだっけ?なんか海賊出てくる奴。」
先ほど借りたばかりなのに、タイトルも分からない辺りがいかにも桐生らしい。思い当たる作品があって、朋恵は思わず笑った。
「あぁ。分かった。主演の俳優さんが凄い人気あるらしいね。」
「そうそう。草薙先輩の妹がすげーその人のファンらしくて、DVD全部揃ってるんだって。」
「へぇ。」
「今度先輩ん家行ってDVDの鑑賞会やろうかって言ってるけど、お前も来る?」
「え・・。うーん。」
こうやって誰にでも声をかけるのは桐生らしいが、草薙の家に行くのはやはり抵抗がある。
「何?興味ない?」
「そうじゃないけど、一度玲達と先輩の家にお邪魔したら怒られたんだよね。」
「へ?もしかして木村先輩に?」
「・・うん。」
一年生の時、草薙が飼っている犬が見たいという話になって、部活後皆で家まで行ったことがあった。けれど一年生だけで行ったのがまずかったのか、後で木村から注意を受けたのだ。その後に他の先輩達に木村が草薙を好きなのだと聞かされた。
「そうかぁ。でも、気にしなくていいんじゃね?別に木村先輩彼女じゃないんだし。」
「そうだけど・・。」
「どうせ一方的だろ、あんなの。」
「一方的?」
「だって、草薙先輩好きな人いるって言ってたし。」
「え?それが木村先輩じゃないの?」
「いや。二人の関係ってやっぱ気になるじゃん?去年の夏合宿の時にそういう話が出てさ。草薙先輩に訊いてみたけど、木村先輩じゃないらしいよ。」
「・・・・。そうなんだ・・。」
朋恵の心臓が落ち着かないリズムで鼓動し始める。好きな人がいるにしても、木村と両想いではない。今まで自分の気持ちを頑なにしていた枷が外れていく。
「ま、相手が誰かは流石に教えてくんなかったけど。女子の間じゃ、木村先輩ってことになってんの?」
「え、うん。まぁ・・。」
「まぁ、仕方ないよなぁ。あれじゃあ。」
話しているとあっと言う間に部室にたどり着く。さっきの話を口止めする桐生の言葉に頷いて、朋恵は部室に入った。
帰りのHRが終わると、いつものように聖に声をかけようと岬は席を立った。すると、聖の所に着く前に桐生に声をかけられる。
「葉陰さん、もう帰るの?」
「うん。桐生くんは部活?」
「毎週木曜は体育館が使えないから休みなんだ。良かったら駅前のアイス食べに行かない?」
「え・・。」
突然の誘いに岬は目を丸くする。すると、後ろから朋恵が顔を出して、桐生の腕を引っ張った。そして岬に聞こえないように耳打ちする。
「ちょっと!橘がいる所でよくそんなこと出来るわね。」
焦って朋恵がそう言うが、桐生は笑っただけだった。
「別に。俺葉陰さんと仲良くなりたいだけだよ。」
「仲良くって・・・。」
桐生の性格を考えれば、横恋慕しようとか考えていないのかもしれない。だが、悪気がないだけに質が悪いとしか言いようがない。
すると、二人の前で岬の手が引かれた。
「帰るぞ。」
「あ、うん。」
聖が岬の手首を掴んで引っ張っていく。岬は桐生に慌てて「ごめんね」と言うと、二人は教室を出ていった。
だが、唖然とそれを見送る桐生は息を飲む。教室を出る間際、聖と目が合ったからだ。その目は不機嫌そうな色を湛えていた。むしろ睨んでいたのかもしれない。
「ばーか。」
「・・なんだよ。梶原。」
バッグを持って、梶原が桐生に声をかける。楽しそうな面白がっているようなその表情に、桐生は口を尖らせた。
「彼氏の前で誘えば当たり前だろ?もちっと頭使えば?」
「だって・・。」
「お前って結構周り見えなくなるよな。」
「・・・。」
桐生は何も言えないようで拗ねた顔をする。朋恵は持っていたバッグで軽く桐生の太股を叩いた。
「イテッ!」
「岬を困らせることはしないでよ。」
それだけ言うと、朋恵も教室を出た。
「圭吾。俺らも帰ろうぜ。」
「・・うん。」
移動しながら、ふと聖の席が目に付いた。梶原は思わず苦笑する。
(まさか、橘が嫉妬する姿を見れるとはね・・。)
面白いものを見た。そんなことを本人に言えば、きっと怒るだろうけど。
「何笑ってんだよ。」
「ついついお前がフラれた姿を思い出しちまって。」
ニヤリと笑うと、桐生は顔を赤くした。
「べ、別にフラれてねーよ!」
「はいはい。アイスなら俺がつき合ってやるから。」
笑いながら、二人も教室を後にした。
「行きたかったか?」
「ん?」
「・・さっきの。」
「あ、ううん。大丈夫。」
「そうか。」
のんびりと歩きながら、聖は先程のことを後悔していた。桐生の誘いを邪魔してしまったことだ。
正直、桐生の行動には驚いた。けれど行くのは二人きりとは限らないし、何より自分は本物の彼氏じゃない。岬の恋愛を邪魔する権利など自分には無いのだ。
(何やってんだ・・・。)
岬の方を見ることが出来ず、聖は顔を背ける。すると道路を挟んだ向かいの道沿いに目が留まった。
「どうしたの?」
それに気づいて岬もそちらを向くと、一軒のカフェがあった。新しく出来たようで、開店祝いの花が飾ってある。よく見れば和スィーツ専門のようだった。
「こんな所にカフェが出来たんだ!」
ぱっと岬が顔を輝かせる。それを見て聖の口元が緩んだ。
「寄って行くか?」
「いいの?」
「あぁ。」
(さっき邪魔したからな・・)
岬が笑顔で頷く。「橘くんも好きそうなお店だもんね」と話しながら、二人でそのカフェに向かった。