第9話 笑みが集う 1.集合
12月24日。終業式が終わると、岬はまっすぐにホームへ帰った。相変わらず噂の的にはなっていたが、以前のような女子からの嫌がらせは全くなくてほっとしていた。
それにホームが近づくにつれて初めてホームで行うパーティーに胸が弾む。
(橘君は彼女がいるなら参加しないのかな?)
そんなことを考えながらホームのドアを開けると、出迎えてくれたのはイーグルだけではなかった。
「ただいま。」
「あ、岬ちゃんお帰り~!待ってたよ~!!」
岬の声を聞いて、リビングから渚が顔を出す。すると渚は黒のタキシードに身を包んでいた。
「ただいま、です・・。どうしたんですか?その格好?」
「似合う?」
そう言って渚はモデルのようにくるりと一回転して見せる。背が高い渚はフォーマルな格好をしていてもよく似合う。両耳のピアスも控えめなデザインのシルバーピアスに変わっていて、大人の男性を意識させるのには十分だった。
「はい。とっても素敵ですよ。」
「ありがとう。」
「今日はどこかにおでかけですか?」
「そう。岬ちゃんも早く着替えてね。」
「え?私も?」
目を丸くしていると、そのままリビングへ引っ張られる。ドアを開けると、そこにはすでに着替え終わった大と夕がいた。
「みさき、おかえりー!!」
「おかえりなさい。」
「ただいま。二人とも可愛いね。」
ソファに座っていた二人の姿に思わず笑顔になる。大は子供用のタキシードに身を包み、夕は黄色のドレスで着飾っていた。彼女の頭の上には小さなティアラがのっている。
「岬ちゃんの分もあるのよ。」
その声にダイニングの方を振り向くと、そこに立っていたのは梓だった。テーブルの周りは沢山の紙袋や衣装の箱で溢れかえっている。そこには全てPERTNERのロゴが入っていた。
「梓さん!!お久しぶりです。」
「うふふ。久しぶりね。また会えて嬉しいわ。」
「はい。先日はありがとうございました。友達も皆喜んでました。」
「そう、良かった。まぁ、その話は後でゆっくりしましょ。今はこっちが先。」
「?」
そう言って、梓は大きな紙袋を二つ手渡した。
「これに着替えて来てね。髪とメイクはその後で私がやってあげるわ。」
「え・・これって、梓さんのお店の・・」
「そ。」
「あの、今日はどうして・・・。」
混乱する頭でなんとかそれだけ言うと、梓は眉根を寄せて渚を見た。
「渚。何にも説明してないの?」
すると渚は悪びれた様子もなく頷く。
「うん。驚かせようと思って。」
「相変わらずねぇ」と呟く梓と渚の顔を交互に見ながら岬は首を傾げた。すると「ごめんごめん」と渚が微笑む。
「実はね、これから東京湾のナイトクルーズに行く予定なんだ。」
「・・えぇ!!ナイトクルーズって、あの、船に乗るってことですか??」
「うん。客船でクリスマスパーティーがあるから、皆で行こうと思って。」
「それで、服を・・・」
「そ。だから、岬ちゃんも早く着替えてきてね。」
渚と梓に急かされ、岬は慌てて自分の部屋に入る。ベッドの上に置いた梓から渡された紙袋の中を覗くと、衣装ケースやシューズボックス、他にもいくつか小さな箱が入っていた。一番大きな衣装ケースを開けると、岬は思わず「あっ」と小さく声を上げた。
中に入っていたのは薄桃色のパーティードレス。先日梓のお店に招待された時に試着した、あのドレスだった。次々に箱を開けていくと、アクセサリーやパンプスなど全てあの時のものだ。
(吉田さんに聞いたのかな?)
まさかあの時のドレスをもう一度着ることが出来るなんて思ってもみなかった。思わぬサプライズに岬の顔に笑みが浮かぶ。岬は急いで着替えると、リビングへと顔を出した。
「あの・・・。」
控えめに声をかけてリビングに入ると、真っ先に渚が声を上げる。
「可愛い~!!」
「あ、あの。ありがとうございます。」
嬉しさと同時に恥ずかしくなって顔を伏せると、梓がその頬に触れた。
「駄目よ、岬ちゃん。せっかく可愛い姿なんだもの。もっと自信を持たなくちゃ。」
「あ、はい・・。あの、このドレス・・」
「いいでしょ?岬ちゃんに似合うと思ってたのよ。よっしーに根回ししておいて良かったわ。」
「え?じゃあ・・」
「そ。最初から岬ちゃんに着て貰おうと思ってお店に用意しておいたの。よっしーからさりげなく試着して貰えるように仕向けるつもりだったんだけど、岬ちゃんが自分から気に入ってくれて良かったわ。」
(そうだったんだ・・)
こんな素敵なドレスを自分の為に用意してくれていた、という言葉に嬉しくなる。再度お礼を言う岬をダイニングのイスに座らせると、「じゃあ、はじめましょうか。」と言って梓はメイクを開始した。
すっかり準備が整うと、岬は夕や大と共に渚の車に乗り込んだ。梓は後でクリスと一緒に向かうと言うので、先に渚の車で出発することになったのだ。三人が後部座席に乗ると渚がエンジンをかける。すると助手席のドアが開いた。
「橘君!?」
「・・・何?」
助手席に乗り込んだのは聖だった。今は黒のコートを着ているが、首もとからタキシードの襟が覗いている。顔半分振り向いた聖が岬の顔を見るので、慌てて首を横に振った。
「あ、ごめん。なんでもない。」
「そ。」
それだけ言うと、聖は黙ってシートベルトを締めた。
(今日は、彼女とデートかと思ってたのに・・・)
クリスマス・イブというイベントを聖が喜々として楽しむ姿は想像つかないが、それでも彼女がいるとなれば特別な日であることには違いない。それにただの噂ではなく、彼女がいると言ったのは聖自身なのだから、そのことに間違いは無い筈だ。
(なんで・・?)
気にはなったが、聖の性格上そういったことを訊かれるのが嫌なことは重々承知している。岬はもやもやした気分のまま、動き出す車のエンジン音を聞いていた。
* * *
突然ざわつき始めた廊下の声を聞きつけて、八代は自室から顔を出した。終業式を終えて冬休みに突入した今日は寮の中がどこも賑やかだ。誰か騒ぎでも起こしているのかとそちらに顔を向けると、廊下の先では一年生達が何やら騒いでいる。八代はそこまで行くと、近くにいた後輩に声をかけた。
「どうした?」
「あ、寮長!それが、なんでもスゲー美人が寮の玄関にいるらしんですよ。」
「は!マジか!?」
朗報だと言わんばかりに顔を輝かせると、八代はその情報に食いついた。
「はい。30代前ぐらいの人なんですけど、誰かの父兄らしいって・・」
「20代後半ってとこか。許容範囲だな。」
「え?」
八代の呟きに一年が聞き返すと「どんなもんか見に行ってくるわ!」と言って、八代は野次馬をかき分け玄関へ向かった。
その日、巽は寮の自室でゴロゴロしていた。それを見て、ルームメイトである修は首を傾げる。
「巽、今日は出かけるって言ってなかった?」
「あぁ。ソレ辞めた。」
そっけなく答えると、特に追求する気はないのか、修は「ふーん。」と言っただけだった。
巽は毎年ホームでクリスマスパーティーがあることを知っている。今までは自分もそれに参加してきた。彼女が出来るまではホームのパーティーに参加する、と渚と約束してしまったからだ。けれど昨日渚から今年はナイトクルージングに行くと言われて、巽はそれを断った。
(正装してパーティーなんか行くわけないやろ。)
正装も好きじゃなければ、堅苦しいパーティーも好きじゃない。従来通りホームでやるなら行く気だったが、流石に今回は妥協する気にならなかった。
すると、突然バタバタと廊下に足音が響く。何事かと巽と修が顔を見合わせると、勢い良く二人の部屋のドアが開いた。
「巽!!!」
大声を上げて部屋に飛び込んできたのは寮長である八代だった。彼は慌てた様子で巽に詰め寄る。
「おまえ!いつの間にあんな美人と知り合ったんだ!!」
「はぁ?」
謂われのない言いがかりに巽は顔を歪める。だが八代の口は止まらない。
「コートの上からでも分かるあのプロポーションはそうとうのもんだぞ!なんて羨ましい!!」
「ちょー待て!このエロギツネ!!!」
何時までも人の話を聞こうとしない八代に、巽はスパンッとその頭をはたいた。
「いってぇな!!」
「じゃあかしい!こっちは何がなんだか分からんわ!!」
喧嘩を始めそうな勢いの二人に、それを眺めていた修が穏やかな口調で先を促した。
「それで?その美人がどうしたの?」
「あぁ、そうだ!寮の玄関に来てんだよ。巽を呼んでるぜ。」
そう言われてもそんな美人に覚えはない。
「お前の話はその女の外見ばっかやりないか。名前とか何か他に言うとらんかったんか。」
「あぁ。確か、神楽とか言ってたけど?」
「・・・・。」
どっかで見たことあるんだよなぁ、と呟く八代を尻目に巽は顔を青くした。
「アカン!オレはおらんって言え!」
「あー、もう遅いぞ。俺、居るって言っちゃったもん。」
「何してくれんねん!アホ寮長!!」
「何言ってんだ!あんな美人に呼び出されるなんて羨ましい!俺が代わってやりたいぐらいだ!」
「黙れ!ボケ!」
「ボン、キュ、ボンッだぞ!!何か不満なんだ!!」
散々八代と言い争った後、梓を待たせたらまずいと思い立ち、慌てて巽は玄関へと走った。
「はぁい、久しぶり。」
玄関へ行くと、そこには予想通り梓が笑顔で立っていた。ひらひらと優雅に手を振る彼女の周りには、遠巻きに人だかりが出来ている。玄関から見える通りの向こうにはクリスの車が停まって居るのが見えた。巽は顔をひきつらせながら「おう」と答える。
梓は白のカシミヤのコートを羽織り、赤いハイヒールを履いていた。コートから覗くタイツを履いた長い足は男子学生にとって確かに魅力的だが、巽はそれどころではない。
「な、なんか用かいな。」
警戒しながら言うと、梓は満面の笑みを崩さすに言った。
「あら、決まってるでしょ。迎えに来たのよ。」
「迎えって。今日は行かんと昨日渚に・・」
最後まで言い終わる前に、梓の言葉がそれを遮る。
「あら、私の誘いを断れると思ってるの?」
赤いルージュが引かれた唇は綺麗な弧を描いている。しかし、その目は笑っていない。
「そ、そやかて・・」
するとしなやかな腕が巽の顔に向かって延びた。赤いマニキュアを塗った細い指が巽の顎を掴み、くいっと上に向けさせ強制的に目を合わせる。彼女の声が硬くなった。
「アンタ、私が知らない内に学校から停学くらったんですって?」
「う・・・。」
つりあがった梓の目が怒りを湛えているのが分かる。
(あ、あかん・・・・)
巽はごくりと唾を飲み込む。今の自分には腹を括るしか選択肢は無かった。