第8話 胸を焦がす 2.クリスマスパーティー
クリスマスが一週間後に迫ったある日、岬が夕食の片づけを手伝っていると、洗い終わった食器を拭きながら渚が「あ、そうだ!」と声を上げた。
「ねぇ、岬ちゃん。」
「はい。なんですか?」
ダイニングテーブルを拭いていた岬が手を止めて振り返る。すると、渚はカレンダーをちらりと見ながら言った。
「24日って何か予定ある?」
「えーと、その日は時給が上がるので、バイト入れようと思ってるんですけど・・。」
今までクリスマスと言えば施設でパーティーが恒例だった。だがそこを出た今、年に一度の聖夜の夜も彼氏のいない岬にとっては条件の良いバイトの日でしかない。思春期の女子高生にしては寂しい岬のその答えに、渚は顔をパッと輝かせた。
「思ってるって事は、まだバイト入れてないんだよね?」
「まぁ、はい。」
「それに他の予定も入ってないよね?」
「はい。」
不思議に思いながらも質問に答える岬に、渚は軽くウィンクした。彼もれっきとした日本人男性だが、渚がやるとやけに様になる。
「じゃ、その日ホームでパーティーするから空けといてね。」
「え、そうなんですか?」
「そう。毎年恒例。梓やクリス達も来るから。楽しみにしてて。」
「はい。」
皆が集まると聞いて嬉しくなる。岬は手伝いを終えて自室に戻ると、さっそく携帯電話のスケジュールに24日の予定を入れた。
翌日。岬が教室に入ると、何やらクラスが騒がしい。何かあったのかと思って先に教室に来ていた岡崎達に声をかけると、一枚のプリントを渡された。
「クリスマスパーティー?」
「そ。クラスのカレカノ居ない子達で集まってやろうってことになったの。24日は終業式でしょ?だから、その後着替えてお店に集合しようって。」
「皆行くの?」
すると、村田が首を振った。
「ううん。私は行かないよ。」
「真紀は彼氏持ちだもんね~。」
羨ましげに茶化す岡崎に村田は「はいはい」と受け流す。丁度その時、朋恵が教室に入ってきた。
「おはよう。何盛り上がってるの?」
岬は企画のプリントを朋恵にも見せる。すると岡崎が岬と朋恵の顔を見た。
「私は行くよ!二人も行くでしょ?」
その言葉に朋恵は頷く。
「うん。いいよ。」
けれど、岬は昨日の渚の言葉を思い出して「ごめん」と言った。
「えぇ!行けないの?岬いつの間に彼氏できたの?」
「ううん。そうじゃなくて、知り合いの人のパーティーに誘われてるの。そっちに行くってもう言っちゃったから。ごめんね。」
「そっかぁ。じゃあ、しょうがないなぁ。残念。」
四人は回ってきたクラス名簿に参加の有無を書き込むと、クリスマスの話題に花を咲かせた。
* * *
桐生は渡された名簿を見て、目を見開いた。
「え!葉陰さん不参加なの!?」
岬のクラスは4組。桐生は1組。クラスが違うのだが、4組がクリスマスパーティーをすると聞いて、友達にお願いしてそこに潜り込もうとしていたのだ。4組の友人にしても、桐生が居れば場が盛り上がると歓迎してくれた。
桐生の目的は勿論岬と話す機会を作る為だったのだが、彼女が不参加だと知って肩を落とした。すると友人の梶原が桐生の言葉を聞いて首を傾げる。
「何?圭吾、葉陰狙いだったわけ?」
「う・・・。」
すでに口に出てしまったものは仕方がない。桐生はしぶしぶ頷いた。すると梶原は桐生から名簿を受け取り、渋い顔をする。
「葉陰は止めておいた方がいいと思うぜ。」
「え?なんで?」
「だってアイツ、橘とデキてるらしいじゃん。」
その言葉に、桐生は更に驚く。
「え!!うそだろ!!橘って、3組の橘聖!?」
橘聖とは直接の知り合いではなかったが、有名人なので知っている。女子に人気があるのは勿論のこと、彼には教師も逆らえないとか、喧嘩したら最強だとか、嘘か本当か分からない噂が数多く飛び交っているのだ。だが、何故か一部男子の評判はそれほど悪くない。単独行動の多い彼は常に友人たちに囲まれている桐生とは正反対で、謎の多い人物だ。
「そう。最近よく噂になってっけど。知らなかった?」
桐生は絶望的な思いでその言葉を聞いていた。相手が橘だからではない。岬にすでに彼氏がいると分かって気持ちが沈む。
だが、じっとしてはいられなかった。
「・・・嘘だ。」
「あ、おい!圭吾?」
「確かめてくる!」
突然教室を出て走り出した桐生に驚きながら、梶原はぽかんとその背を見送った。
桐生は廊下から3組の教室をのぞき込んだ。窓側の席に聖が座っている。それを見つけて彼の元へ一直線に向かった。すると桐生のことを知っている生徒達は桐生と聖という珍しい組み合わせに、何事かと彼に注目する。そんな目線にも気づかずに、桐生は聖の目の前に立つと彼に声をかけた。
「なぁ!」
「?」
桐生のことなど知らない聖は怪訝な表情で突然現れた男子生徒を見返した。彼は追いつめられているようなせっぱ詰まった顔をしている。黙って彼の言葉を待つと、一度息を飲んでから、彼は一気に言葉を発した。
「橘って彼女いるってホント?」
突然の知らない奴からの不躾な質問に聖は眉根を寄せた。本来ならこんな態度の人間の言葉など無視する所だが、聖はそこで一瞬答えに迷った。
聖はここ最近、いつもより女子に声をかけられる頻度が増えている。その理由はクリスマスが近いことに他なら無い。知らない人間から次々とクリスマスの予定や彼女の有無を訊かれ、うんざりとしていた所だったのだ。全て無視して過ごしていたのだが、そんな人間は日を追うごとに数を増すばかりで一向におさまらない。
だからだろう。この時の聖は、いつもはつかない嘘をついた。
「だから何?」
「!?」
その一言にクラス中が騒然となる。聖の言葉はとても短かったが、『だから何?』というのは『彼女がいるから何なの?』という意味になる。つまり、聖は自分には彼女がいると公言したも同然。
その答えを聞いて、桐生は「やっぱそうなんだ・・・」と呟くとそのまま三組の教室を後にした。
知らない男子生徒の奇行に首を傾げながらも、自分の発言に騒いでいるクラスメイト達に話しかけられる前に、聖も教室を出た。
「ちょ、ちょっと、岬!!」
後10分でお昼休みが終わる、という時に岡崎が教室に駆け込んできた。まっしぐらに教室でしゃべっていた岬と朋恵の元に来ると、興奮気味で話始める。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ!今朝、彼氏いないって言ってたよね?」
「うん。いないよ。」
岡崎の言葉の真意が分からず首を傾げると、彼女は顔を青くした。
「やばいって!!岬、橘君とつき合ってることになっているよ!」
「・・・・。えぇ!!!」
岡崎の言葉をなんとか飲み込むと、それがとんでもないんであることに気づいて思わず叫んでしまう。
「な、なんで・・・。」
狼狽える岬を見て、「やっぱ誤解なんだ・・」と岡崎は呟いた。
「そんなの誤解だよ。なんでそんなこと・・」
以前岬と聖のことを誤解した女生徒達がいた。彼女たちがまた騒ぎだしたのだろうか。不安気な表情を見せる岬に、岡崎が言葉を続ける。
「なんかね、橘君が彼女がいるって皆の前で言ったんだって。」
「え・・・。そうなんだ。」
(橘君、彼女いたんだ。)
彼女がいたって別におかしくはない。けれど、それを皆の前で発表するなんて聖らしくない行動だ。
「別につき合ってる相手の名前を言った訳じゃないらしいんだけど・・・」
すると、そこまで黙って話を聞いていた朋恵が眉根を寄せて口を挟んだ。
「じゃあ、なんで相手が岬ってことになってるの?」
岡崎は岬の顔色を伺いながら、それでも黙っていることは出来ないようだった。
「それがね・・。なんでも、橘君と岬が一緒にスーパーで買い物したのを見た子がいるんだって。前から岬とはちょっと噂があったし、それが決定打になったみたい。」
(あ・・・。見られてたんだ・・・)
渚のお使いで聖と買い物に行ったことは何度かある。それでも数えるほどしかない筈だが、学校の生徒に見られていたなんて気づかなかった。
黙り込んでしまった岬の代弁をするように、朋恵がフォローしてくれる。
「でも、結局は岬じゃないんでしょ?ならいいじゃない。」
「まぁ。確かにね。他の人にもなんか言われるかもしれないから、気を付けてね。」
「うん・・・。」
何とか笑いながらも、その声は暗くなってしまう。
噂はあくまで噂だ。真実ではないのだから、いつかは消えていくだろう。けれど、岬はクラスのパーティーには参加しない。それが更に皆の憶測を駆り立てることになってしまったのだった。