第7話 心惹かれる 1.旭川巽(2)
※タバコは大人の嗜みです。喫煙は20歳になってから!!
喫煙に関する記述がありますが、未成年者の喫煙を促すものではございません。
デスクの上に置いていたプライベート用の携帯が鳴り、渚はそれを手に取った。するとディスプレイには『聖くん』と表示されている。まだ学校の時間の筈なのに、と思いながら通話ボタンを押して耳に当てると『今、大丈夫か?』と聖の声がした。
「どうしたの?学校は?」
『休み時間中。雪、ホームにいるか?』
「ちょっと待ってて」と言って渚はオフィスから階段を上がる。するとドタバタと騒がしい音が聞こえてきた。訝しげに眉根を寄せリビングのドアを開けると、そこでは巽が駆けずり回っていた。その先では巽の手から逃れようと雪が奔走しており、掃除をしていた筈のリビングはめちゃくちゃになっている。
「巽くん!!何やってんの!!!」
驚いて渚に向かって逃げてきた雪を抱き上げた。すると「あ!このチビ!逃げよったな!!」と巽が叫ぶ。
「・・巽くん。これどうゆう事?」
巽がリビングを見ると物は散乱し、椅子は倒れ、酷い有様になっている。声を低くして怒っていることを態度に表すと、巽は改めて周囲の惨状を見渡した。
「あー・・。まぁ、」
と言葉にならない声を発して誤魔化そうとする巽に、渚は「ここの掃除終わらせないと、今日ご飯抜きだからね!」と言い捨てリビングを出る。
雪を抱いたまま、再び携帯に耳を当てると、今までの会話が聞こえていたのだろう。聖が「どうした?」と訊いていた。
「雪、居たよ。リビングで巽くんに追いかけられてた。」
そう言うと、「あぁ。分かった。サンキュ」とだけ言葉を返して、聖は電話を切った。
仕方なく、渚はオフィスチェアに座り、膝の上に雪を載せて背中を撫でてやる。
巽の短気な性格はよく知っていた。雪もやんちゃな盛りだ。多分大した理由もなく雪を追いかけ回していたのだろう。そう思うと巽も大も変わらない。
(しょうがないなぁ・・)
そう思いながらも、渚の口元には笑みが浮かぶ。
しばらくは興奮していた雪も段々と渚の膝の上で落ち着いてきたのか、一つ大きな欠伸をするとトロトロと眠りについた。
聖が携帯を切ったので、「どうだった?」と訊くと意外な答えが返ってきた。
「巽に追いかけられてたらしい。」
「え?なんで?」
「さぁな。もう落ち着いたか?」
聖に訊かれ、改めて自分の胸に手を当てる。目を閉じて集中すると、自分も雪も心が落ち着いて居るのが分かった。
「うん。大丈夫みたい。ありがとう。」
「ん。」
少し瞼が下りて、聖の口角が上がる。
(あ、笑った?)
その表情に胸がドキッとした。
聖は表情が豊かじゃない。無表情、と言える顔の時がほとんどなのだが、それは別に怒っているとか、機嫌が悪いわけじゃないと分かっている。その理由はホームに居る時の聖を見ていれば明らかだ。
ホームでも滅多に彼の表情は動かない。けれどいつもの表情でも言葉が優しかったりすると、きっと聖の心も動いているんだろうと感じる。だから余計に、少しの表情の変化でも相手が聖だと動揺してしまう。
(だから、女の子に人気があるのかな?)
友達からも女性は男性のギャップに弱いと聞いたことがある。聖の横顔を眺めながら、岬はそんなこと考えていた。
* * *
放課後、桐生は部活に向かっていた。勉強はかったるいが部活は好きだ。桐生は男子バレーボール部に所属していて、バレーボールを始めたのは高校からだった。月島高校のバレー部は男子も女子もそれなりに成績を残している、他の運動部に比べて練習は厳しいけれど、運動部ならではのチームの一体感や試合に挑む緊張感が好きだった。
一年の桐生は早く体育館へ行って準備をしなければならない。急ぎ足で部室へ向かおうと靴箱の前を通ると、そこに同じバレー部員の姿を見つけた。
同じ、と言っても女バレの部員だが、一年生で桐生もよく知っている。美人だと評判だが、なかなか自分にストイックな性格で、桐生にとっては気の置けない友人の一人でもある。
その友人、東川朋恵の隣にいた女子生徒が目に入って、桐生は足を止めた。
(へ・・・・、なんで・・)
そこにいたのは自分がよく行く本屋の店員。ずっと気になっていた女の子だ。確かに本屋はこの学校から遠くないし、同い年ぐらいだったから高校生だとは思っていた。けれど、まさか同じ高校だったなんて。
朋恵は玄関前でその女子と別れ、桐生と同じ部室へ向かう。桐生は靴を履き変えると慌てて朋恵の後を追った。
「東川!」
「あ、桐生。・・どうしたの?」
朋恵は自分の元に走ってきた桐生を見て首を傾げた。いつも元気が有り余っているような桐生が、訳もなく走ってくるのを不思議とは思わないが珍しく真剣な、というかせっぱ詰まった顔をしている。
桐生は朋恵と並び、歩きながら呼吸を整えた。
「お前・・・って、さっきの子と知り合い?」
「さっき?」
朋恵は靴箱まで岬と一緒だったことを思い出すと、桐生の顔をまじまじと見る。
「さっき玄関で別れた子のこと?クラスの友達だけど。」
「マジで!!」
「・・・・・。」
桐生がぱっと顔を輝かせる。その反応に驚く朋恵の顔色を伺うように、桐生は言葉を続けた。
「ちなみに、名前とか教えてくれっちゃったりとか・・・。」
「あの子と知り合いな訳じゃないんだ?」
「まぁ。」
朋恵から見て桐生が異性として岬に興味があるのは見え見えだ。どうするべきか一瞬悩んだが、自分が知っている限り桐生は悪い人間じゃない。分かりやすい単純さも、持ち前の明るさも皆を惹きつける魅力だし、バレー部でも男女問わず好かれている。
けれど桐生のテンションの高さに、いつも穏やかで大人しい親友がついていけるか、と言うと微妙な話だ。
(まぁ、私がそこまで首をつっこむことじゃないわよね。)
そう結論づけて、朋恵は口を開いた。
「葉陰岬。」
「・・葉陰さんか。」
ぶつぶつ言いながら、それでも桐生の口元は緩んでいる。
喜ぶ友人の横顔を見ていると思い出した顔があった。中学からの知り合い、聖だ。
(うーん。気になると言えば、気になるんだけど・・・)
聖が岬のことをどう思っているのかは分からない。朋恵の目から見れば他の生徒よりも岬のことを大切にしているのは明らかだが、それが個人的な感情によるものなのかは謎だ。
(ダメだわ。こういう所がおせっかいなのよね・・)
朋恵は他人の恋愛を詮索するのは止めよう、と思いながら、桐生と共に部室へ向かった。
* * *
夜12時。寝る前に飲んでいたマグカップを片づけようとリビングに入ると、冷たい風が頬を撫でた。窓を見ると少し隙間が開いて黄色のカーテンが揺れている。寒いから閉めた方がいいかな、と思って窓に近づくとバルコニーに立つ人影が見えた。坊主頭のその人物は寒くないのか、スエット姿で立っている。
(あれ?旭川君?)
その手から煙が見えて、思わず岬はバルコニーに足を踏み入れた。
「タバコ!!」
「あ、コラ!何すんねん!」
巽の手に握られていたのは火のついたタバコだった。岬がとっさに取り上げると、巽は睨みつけて抗議する。けれど、譲る気は起きなかった。
「駄目だよ。タバコなんか。」
「寮じゃ吸えへんのやからええやろ。」
「良くない!」
「・・・・ちっ。」
岬の抵抗に諦めたのか、巽は再び柵によりかかると背を向ける。しばらく何も言わないので、中に入ろうと窓に手をかけると、ボソリと呟く声が聞こえて足を止めた。
「怖くないんか?」
「え?」
「オレが。」
どうしてそんなこと訊くのだろう。疑問が頭をよぎったが、岬は昨日見た姿を思い出して首を横に振った。
「・・蛍見てれば、旭川君は怖い人じゃないって分かるよ。」
「・・・・・・。」
答えても巽はこちらを見ようとはしない。その目は数少ない星が瞬く夜空に向けられている。
「旭川くん、寒くない?」
岬が訊くと、巽は顔半分だけ振り向いた。
「それ、止めぇや。」
「それ?」
「・・・・・。旭川君っての。先公みたいでムズムズするわ。」
「あ、ごめん。・・巽くん。」
「それでええ。」
再び巽は顔を背けてしまう。言葉も態度も乱暴だけれど、決して嫌な気分にはならなかった。
「うん。分かった。おやすみなさい。」
「おう。」
バルコニーを出てリビングに戻る。吸殻とマグカップを片づけて岬がリビングを出る時も、巽はまだそこに立っていた。