第7話 心惹かれる 1.旭川巽(1)
11月も終わり頃になると、段々とその寒さが厳しいものになってくる。学校からホームに帰り部屋で着替えると、何か温かいものでも淹れようと岬はリビングの扉を開けた。するとすぐにソファの背もたれの上に見慣れない頭が出ているのが目に入った。
「?」
よく見ると茶髪の坊主頭が白いソファにもたれかかっている。ぴくりとも動かないので恐る恐る正面に回り込むと、そこにいたのは自分より年下の男の子だった。学ランを来ていて、耳にはグリーンの石が付いたピアス。彼の口元には絆創膏が貼られていた。眠ってしまっているようで、その目は閉じられている。
(誰だろう?)
訊きたくてもまだ聖は帰ってきていないし、リビングには誰もいない。すると彼のお腹に蛍が張り付いているのが視界に入った。その横顔はすやすやと寝息を立てながら、気持ちよさそうに寝入っている。
蛍が聖以外の人物にこんな風にべったりくっついているのを見るのは初めてだった。
(もしかして旭川君?)
そう言えば、渚が中学二年生だと言っていた。一般的な14歳よりも体つきがしっかりしているようだが、そのぐらいの歳に見える。
すると、突然何かが自分の腕の中に飛び込んできた。
「わっ!」
驚いて声を上げると、飛び込んできたのは雪だった。雪は嬉しそうに喉を鳴らして、岬の胸に額をすり寄せる。するとソファに座っていた彼がもぞっと動いた。
「あ・・・。」
思わず見ると、目を開いた彼とバッチリ視線が合う。不機嫌そうな顔を向けられ、何も言えないでいると、一重の目が岬を睨んだ。
「あぁ?オマエ誰やねん。」
(うっ。怖い・・・・)
答えようにも彼の迫力に言葉が詰まってしまう。固まったように動けないでいると、ガチャッとリビングの扉が開いた。
「ただいま。」
「・・あ、おかえり。」
帰ってきたのは聖だった。ほっと胸を撫で下ろし挨拶を返すと、坊主頭がそちらを振り返る。
「なんや、お前か。」
「巽・・。何やってんだお前。」
(あ、やっぱり旭川くんだったんだ・・)
聖が怪訝そうな目で巽を見ると、巽は更に不機嫌そうな顔をした。
「ここにおったら悪いんか。」
「別に。」
そっけなく言い放つと、聖はそのままリビングを出ていってしまった。
(仲、悪いのかな・・・)
「で。」
「え?」
声をかけられ巽を見る。すると巽が座ったまま岬を見上げた。その目は、やはり睨んでいるようだった。
「誰や、言うとるやろ。」
「あ、ごめんなさい。葉陰岬です。最近、ここに引っ越して来たんだけど・・」
「あぁ。お前か。」
「知ってるの?」
「あぁ。渚からそないな名前の奴が来よったってメールがあったわ。」
(渚さん。わざわざ知らせてくれたんだ。)
すると、巽が腕の中の雪を見る。雪が少し身を堅くしたのが伝わってきた。
「あ、この子は雪です。」
「あ、そ。」
それだけ言うと、巽は目線を外してしまった。その手はまだ眠っている蛍の背を撫でている。
テーブルの上には何も無かった。お客さんがくれば渚が必ず何か淹れてくれるから、まだ渚にも会っていないのかもしれない。
「お茶、飲む?」
緊張しながらもそう声をかけると、巽はそっぽを向いたまま「飲む。」と小さく答えた。
仕事を終えてリビングに入ってきた渚は、岬と一緒にお茶を飲んでいる巽を見ると、「あれー?来てたんなら声かけてくれればいいのに~。」と嬉しそうに話していた。
だが、夕食時に彼がここに来た理由を聞くと表情が一変した。
「停学!!?」
「せや。」
現在通っている中学で、巽が一週間の停学処分になってしまった事を聞かされ、岬は驚きで言葉を失った。
だが、渚は別の意味で驚いたようだった。
「また!?今度は何したの?」
(また、って・・・)
これが初めてではない、という事実に更に驚かされる。けれど驚く二人を尻目に、巽は淡々と答える。
「4・5人殴っただけやって。」
「はぁ?なんで?」
「そんな気分やった。」
「気分って・・・。」
「ごっそさん。風呂借りるで。」
それだけ言うと、巽はリビングを出て行ってしまった。大と夕、そして聖は黙々と夕食を食べ続けている。
渚は巽が出ていったドアから目を外すと、心配そうに呟いた。
「理由も無しに、そんなことするとは思えないけど・・・。」
すると、それまで黙って話を聞いていた聖が、箸を置いた。
「慶中の、二年のトップが上級生に病院送りにされたらしい。学校の奴等が噂してた。」
「二年って・・、巽くんの学年か。その子友達だったのかな。」
「かもな。」
はぁ、と溜息をついて渚は箸を動かす。物騒な話に固まっている岬を見ると、聖が声をかけた。
「どうした?」
「あ・・・、うん。旭川君は、怪我とか大丈夫なのかな?」
「見た感じじゃ、大丈夫だと思うけど。蛍も機嫌いいし。」
「あ、そっか。良かった。」
喧嘩の話に怖がっているのかと思ったが、そうではなかったらしい。病院送りにされた、という言葉を聞いて巽自身の体を心配していたようだ。
漬け物をかじりながら渚が微笑むのが、聖の視界に入っていた。
* * *
皆が学校や保育園に行っている間、巽は当然やることがない。本来なら学校から出された課題をやらなくてはならないが、頭のいい友人にでもやらせようとそれは寮に置いてきている。朝から蛍と共にリビングでゴロゴロしていると、それを見た渚が溜息をついた。
「巽く~ん。暇なんだったらお使いにでも行ってきてよ。」
「アホか。こないな時間に外ウロウロしとったら、補導されんのがオチや。」
「えー。じゃあ、掃除。やって。」
「・・・・。」
あくまで動こうとしない巽に、渚はムッと口元を曲げる。
「ご飯作ってあげないよー!」
「しゃーないなぁ・・。」
流石にその一言は効いたのか、腰に蛍をぶら下げたまま渋々立ち上がる。それを見届けた渚は満足げに頷くと一階のオフィスへ戻った。
巽は掃除機を取り出し、リビングに入る。コンセントを入れると、窓の近くでひなたぼっこしていたイーグルを「邪魔や」と言って追い出した。
ダイニングの椅子をテーブルの上に上げて掃除機をかける。蛍はいつの間にかおぶさるように背中へ移動していた。普段一緒に居てやれない分、蛍は始終べったり巽にくっついている。それも気にならないのかそのまま掃除を続けていると、掃除機の先が木製の棚にぶつかった。すると棚の上から何かが飛び出した。
「おわっ。」
突然目の前を横切ったものに驚くと、それはさっとソファの上に移動する。巽が目を向けると、それは雪だった。棚の上で寝ていた所で掃除機がぶつかる音がして驚いたのだろう。
「なんや。こんなトコにおったんかいな。邪魔やさかい、さっさと・・・、って、オイ!」
興奮状態の雪は捕まえようとした巽をシャーッと威嚇した後ひらりとソファから降り、今度はテレビ台の上に移動した。
「上等じゃ。このクソチビ・・・」
その態度がしゃくに障ったのか、巽は青筋を立てて雪を追いかけた。けれど小さな子猫が本気で逃げれば人間が簡単に捕まえられるものではない。
リビングではバタバタと二人の攻防が繰り広げられていた。
その頃、授業中だった岬は、訳もなく胸がムカムカしている自分に驚いていた。
(な、なんで?)
理由もないのに何故だか、苛々して落ち着かない。胸やけとか胃もたれとか、そういう体調不良だろうか。そう思ったが、朝食はヘルシーなメニューだった筈だ。
休憩時間に入ると、岬は気分転換の為に一人で教室を出た。その先は校舎の花壇の前。あまり人が通らないその場所で、しゃがんで手入れされた花を眺めているとそこに声がかけられた。
「何やってんだ?」
「あ、橘くん・・。」
顔を合わせれば必ず笑顔を向けてくる岬が、何だがすっきりしない顔をしている。「どうした?」と訊くと、岬は「上手く説明出来ないんだけど・・」と口を開いた。
「な、なんか・・・・。訳もなく苛々するの。」
正直、目の前の人物が苛々している所なんて見た事がない。珍しい出来事に聖は首を傾げた。しかもその原因を本人が分からないとなれば、考えられる事は一つしかない。
「雪か?」
「私も、雪に何かあったんじゃないかと思って、さっきから話しかけてるんだけど。ちっとも返事がなくて。でも、なんだか、何かから逃げてるみたい・・。」
雪を心配して不安げな表情を見せる岬に、「ちょっと待ってろ」と言って、聖は携帯をポケットから出した。電話帳の中から『渚』と表示された番号を見つけて通話ボタンを押す。聖の耳にコール音が響いた。