第6話 あなたと繋がる 1.携帯電話
「岬ちゃーん!」
渚の明るい声が聞こえて、岬は読んでいた本から顔を上げた。
夕食後にお風呂に入ろうと思ったのだが先に聖が入っていたので、岬はリビングで本を読みながら彼があがるのを待っていた。風呂を出て部屋へ戻るのに必ずリビングを通るので、そこにいればすぐに分かるからだ。
「はい。なんですか?」
「岬ちゃんはさぁ、何色が好き?」
そう言いながら、渚は岬の隣に腰を下ろした。岬より体の大きい渚が隣に座ると、皮のソファが少しそちらに沈む。
「え、えーと・・・。どうしたんですか、急に?」
「えー、だってぇ、岬ちゃんのこと色々知りたいじゃん?」
「は、はぁ・・。」
岬が歯切れの悪い返事をすると、にこっと笑って渚は岬の肩に手を回した。
「なんだったら、岬ちゃんの体の隅々まで・・ぃたっ!!」
「あぁ。すまん。」
拳を握ったまま、聖が冷ややかな目で後頭部を押さえてうずくまる渚を見下ろしている。いつの間にか風呂から上がったようで、肩にはタオルがかけられ、その髪はまだ濡れていた。
慌てて岬は渚の顔をのぞき込んだ。
「渚さん!大丈夫ですか?」
「うん・・・・。なんとか・・」
涙目で顔を上げると、渚は岬の手を握る。
「で?」
「へ?」
「何色が好き?」
この状況で再び同じ問いを繰り返す渚に呆気にとられながらも、岬はなんとか口を開いた。
「えーと、じゃあ、白で・・。」
「白ね。オッケー!」
何がオッケーなのか分からないが、渚はそれで満足したのかソファから立ち上がるとリビングを出ていってしまった。渚が居なくなると、聖も何も言わずに部屋へ戻る。
何がなんだか分からないまま、岬は一人リビングに残されてしまった。
* * *
岬は高校入学と同時に初めてから8ヶ月になる本屋のアルバイトに来ていた。その頃になれば、お店の常連客の顔も段々と覚えてくる。
新刊の本を棚に並べていると、突然「あっ。」と声がして岬は視線をそちらに向けた。すると1メートル程先で岬の顔を見たまま固まっていたのは、そんな常連客の一人だった。
そこに立っていたのは自分と同い年ぐらいの高校。制服を見れば自分と同じ高校だと分かる。けれど岬の知り合いではなかった。
「あの・・。」
不思議に思いつつ思い切って声をかけてみると、彼は弾かれたように顔を赤くした。
「あ、えと・・・。」
明らかに動揺して視線を彷徨わせる。だが岬が言葉を待っているのが分かったのか、彼は控えめに口を開いた。
「・・髪、切っちゃったんですね。」
「え、・・はい。」
まさかお客さんからそんなことを言われるとは思っていなかったので、彼の言葉に少なからず驚いたがとりあえず素直に頷く。すると、「あ、じゃあ、失礼します。」と言って、彼は慌てた様子で店を出ていってしまった。
常連のお客さんならそれだけ店員の姿を見ることが多い。ならば自分の顔を知っていてもおかしくはないのだろう。
彼の後ろ姿を見ながら頭を巡らせてみると、彼はよくスポーツ雑誌を買いに来るお客さんだった。そんな事を思い出しながら、岬は作業を再開した。
バイトから帰ると時間はすでに十時半を過ぎていた。バイトのある日はいつも夕食を温めて食べれるよう、渚が用意してくれている。家に帰ると夕食が用意されているなんて、以前なら考えられないことだった。
ラップをかけてあるお皿をレンジで温め、鍋に入った味噌汁を火にかける。この時間には大と夕はもう寝ているため、大抵リビングには誰もいない。
けれど一人ではない。準備を終えてダイニングの席につく岬の隣には雪が居てくれるし、ソファの上にはイーグルがいる。
夕食を終えて食器を洗っていると、階段側のドアが開いた。
「岬ちゃん、おかえりー。」
「あ、はい。帰りました。」
少し堅苦しい挨拶を返すと、渚はにこっと笑ってソファに座る。食器をすべて片づけ終えるのを見ると、岬を手招きした。
「こっちおいで。」
「はい。」
首を傾げつつ渚の隣に座る。後ろからついてきた雪が岬の膝の上に乗ると、渚は背中に回していた右手を岬に差し出した。
「はい。これ。」
「え?」
渚の手には文庫本ほどの大きさの箱がのっている。それを受け取ると、見た目よりも軽かった。
「なんですか?」
「開けてみて。」
若草色のきれいな包装紙を取り、中を見ると、箱の表面には商品の写真がプリントされている。
岬は驚いて渚の顔を見た。
「携帯・・ですか?」
「そ。岬ちゃん、携帯持ってないでしょ?」
渚は岬から箱を受け取ると、中から携帯電話の本体を取り出した。「ジャーン!」と自分の口で効果音を出すと、それを岬の手に握らせる。それは軽量型、パールホワイトの最新機種だった。
「これ、可愛いでしょ?岬ちゃんに似合いそうなの探しちゃった。」
嬉しそうに携帯を指して渚は言うが、岬は慌てて口を挟んだ。
「え!これ、戴いちゃっていいんですか?」
「勿論。岬ちゃんのために買ってきたんだもん。」
「でも、値段のするものだし・・。」
困惑した表情で言う岬の顔を見て、渚は「あはははっ。」と笑った。
「あの・・」
「ごめんごめん。岬ちゃんなら絶対遠慮するだろうなぁ、と思ってたから。つい。」
「はぁ・・。」
「でもね。迷惑じゃなければ持ってて欲しいんだ。岬ちゃんバイトしてるから、夜遅く帰ってくる時は心配だし。連絡がつけられないと困ることもあるからね。」
「あ、はい・・・。」
「そ、れ、に。」
渚は岬に向かってバチッとウィンクする。
「今の中高生の恋愛に携帯電話はマストアイテムでしょ?」
「・・・・。」
呆気にとられていると、再び渚は声を出して笑う。
「まぁまぁ、そんな顔しないでよ。あ、未成年は保証人がいないと契約できないから、俺が保証人になってるからね。」
「はい。」
「後、必要な番号はもう登録してあるから。バイト先なんかには携帯の番号教えておいた方が良いよ。あ、こっちの紙袋には説明書とか充電器とか入っているからね。」
「えと、はい。分かりました。」
紙袋を受け取ると、渚は時計を見上げた。
「あぁ。もうこんな時間だ。岬ちゃんお風呂まだでしょ?引き留めちゃってごめんね。おやすみ~。」
笑顔で手を振ると、渚はそのまま立ち上がる。携帯を握ったままだった岬は、膝から雪をどけると慌ててソファから立ち上がった。
「あの!」
「ん?」
「渚さん。ありがとうございました。」
そう言って頭を下げると、にこっと渚が笑う。
「うん。どういたしまして~。」
携帯と紙袋を持ってリビングのドアを開けると、渚が再び声をかける。
「あっ!岬ちゃん。」
「はい。」
「寂しい時はいつでも僕に電話かけてきていいからね。」
「あ、・・・はぁ。」
「あはははっ。おやすみ~。」
「・・おやすみなさい。」
渚の笑顔がドアの向こうに消える。雪と共に部屋に戻りながら、携帯を手に岬はくすぐったい気分を味わっていた。
* * *
その日、桐生圭吾は朝から溜息をついていた。それを見て、一緒に登校していた友人が怪訝そうな顔をする。
「珍しいな。どうした?」
桐生の落ち込んでいる姿など高校入学してから見たことなど無い。彼は周囲を巻き込む持ち前の明るさと人懐っこい性格から、同級生のみならず上級生にも顔が知られている。皆一様に「明るい奴」として認識しているに違いない。こんな姿を見たら、彼を知る人達は皆驚くだろう。
「あぁ。俺、近所の本屋の話、したことあったよな?」
「笑顔の可愛い癒し系の店員がいるんだろ?」
桐生は昨日の出来事を思い出し、恥ずかしさと後悔で顔を歪めながら口を開いた。
「昨日さ、本屋行ったらその人がいたんだよ。」
「それで?ナンパしてフラれたのか?」
「ちげぇよ!・・なんかさ、その人、長かった髪をばっさり切ってて・・。」
「へぇ。」
「びっくりしてさ、その人の前で思わず声に出ちゃったんだよ。」
「で?」
「・・なんかしゃべんなきゃ、と思って『髪切ったんですか?』って訊いたら、『はい。』って。」
「・・・。」
「それだけ言って、店から出てきちゃった・・・。」
肩を落とす桐生に、友人は容赦なく呆れた声を出した。
「はぁ?完全に挙動不振の怪しい客じゃん。何やってんの?」
「だよなぁ。あぁー、どうしよう!もうあの店行けないかも!!!」
「もう開き直ってまた声かけてみれば?」
「・・・・・。上手くいくと思う?」
「思わない。」
どんなお客さんに対してもかけられる優しい声や、控えめに微笑む彼女の笑顔が好きだった。以前はコンピニや駅前の本屋を利用していたのだが、彼女に気づいてからはその店に足を運ぶようになったのだ。ハードな部活で疲れた後の密かな自分の癒しだったのに。
いくら考えても怪しかった昨日の自分に激しく後悔しながら、桐生は高校の校舎に入っていった。
教室に入ると、早速岬は朋恵に携帯を見せた。
「へぇー。携帯買ったんだ。」
「うん。実は下宿先の人が保証人になってくれて。」
「そっか。優しい人で良かったね。」
「うん。」
「でも引っ越し先も結構すぐ見つかったよね?元々知り合いだったの?」
「ううん。橘くんが紹介してくれたの。」
「橘が?」
聖の名前を聞くと、朋恵は何かを考えているようだった。
「どうかした?」
「もしかして、橘と同じ下宿先?」
「あ、うん。」
話すべきがどうか迷ったが、岬は素直に頷いた。朋恵と聖の関係なら話しても問題ないだろうし、何より朋恵は信用できる。
すると朋恵は渋い顔を見せた。
「それ、他の人には言わない方がいいよ。」
「・・やっぱ、そうかな?」
「うん。橘は悪い奴じゃないけど、周りがね・・」
聖のファンが多いことは身を持って岬も分かっている。やはり同じ屋根の下に住んでいる、というのは彼女達からすれば印象が悪いのだろう。
「うん。分かった。」
元々聖はベタベタした人付き合いはしないし、一緒に峠校することもない。黙っていれば分からないだろう。
岬が頷くと、朋恵は岬の携帯に目を向けた
「そのデザイン可愛いね。」
「うん。まだ全然使い方が分からないんだけど。」
「説明書読んだ?」
「パラパラ見たんだけど、分厚くてどこから読んでいいのか・・・。」
「まぁ、そうよね。私いっつも読まないよ。」
朋恵に携帯を見せながら話していると、それを見た友達が集まって来た。岡崎がまっ先に声をかける。
「お!岬とうとう携帯買ったの!?」
「あ、うん。」
「番号交換しようよー。」
「えーと、・・どうすればいいの?」
「赤外線知らないの?」
「まだ、携帯自体の使い方も良く分かんなくて・・・。」
「じゃ、貸して。やったげる。」
「あ、ありがとう。」
すると次々とクラスの子達が交換したいと集まってきた。慌てる岬に、岡崎が「じゃ、私が皆にメールするよ。」と引き受けてくれた。
彼女がメールを終えると、あっと言う間にクラスのほとんどの生徒から岬の携帯にメールが届く。
「・・なんか、すごいね。」
デコメや写メの画像に驚く岬が新鮮なのか、皆あれこれ携帯の知識をレクチャーし始める。普段あまり話したことの無かった生徒までもが加わって、それだけで休み時間が終わってしまった。
ホームまでの帰り道。悪戦苦闘しながらも、朋恵達に教わりながら登録した電話帳を眺める。すると、その中に渚や聖、巽の名前を見つけた。
(最初から渚さんが登録しておいてくれたのかな?)
すると、中には知らない名前が二件登録されている。
(神楽梓・・。学校の人じゃないよね?あれ、クリス=フォード??)
外国人らしき人の名前まであって、岬は目を瞬かせた。この二人も渚が登録してくれたのだとしたら、仲間の可能性が高い。
(いつか会えるのかな?)
まだ見ぬ仲間を想像していると、胸が弾んだ。知らない人と会うことを楽しみに思えるなんて、人見知りの自分には今までなかったことだ。
いつまでも携帯の画面を眺めながら、岬はホームへと歩いていった。