第5話 瞳怯える 2.双子
岬の勉強机。その一番上の引き出しには赤いお守りが入っている。大分古い物で、生地の端はほつれている部分もある。それは孤児院を出るときにお世話になった先生から貰ったものだ。先生自身も大切な人から譲り受けたものだから、自分にも大切にして欲しいと言っていた。
岬はふと気付いた時に、引き出しを開けてそのお守りを眺めた。手には取らずに引き出しの中を眺めるだけ。孤児院に戻りたいわけじゃない。けれど時折、そのお守りが見ないと不安になる時があった。特に、人に拒絶された時には。
ホームに引っ越した日から気付いていた。その日に初めてあの双子と顔を合わせたのだが、大にも夕にも、自分は好かれていないらしかった。夕は岬と目が合うと不機嫌そうな顔をする。自分とは関わり合いにならないようにしているようだった。大は岬と顔を合わせると、おどおどして、逃げられてしまう。
以前ここは「孤児院みたいですね。」と渚に言った事を思い出す。自分が居た施設でもそうだった。岬はそれほど初対面が得意ではない。最初は中々子供達と仲良くなれずに苦労した。お守りを見たくなるのは、そんな日々を思い出すからかもしれない。ホームで暮らし始めて約二週間。未だ岬はこのお守りを眺めている。
コンコンッ、とドアをノックされて、岬はそっと引き出しを閉じた。
「はい。」
ゆっくりとドアが開かれる。少し背伸びをしてドアノブを掴んでいたのは大だった。大はドアを半分だけ開けて、そこから顔を覗かせる。
「あ・・・、あの。」
「うん。どうしたの?」
岬が笑顔を向けると、驚いたように大は顔を少し引っ込めた。
「・・ごはん。」
「呼びに来てくれたんだ。ありがとう。」
するとそのままパタンとドアが閉まって、リビングへ駆けていく大の足音が聞こえてくる。
(逃げられちゃった・・・。)
大は人見知りなのかと思ったが、そうではない。最近分かったのだが、むしろ大は人好きするタイプだった。歳相応の無邪気さで、いつも明るく駆け回っている。けれど、岬を前にすると先程のように縮こまってしまうのだ。これには渚も首を傾げていた。
双子と岬が距離を取っているせいか、雪もあまり二人には近づこうとはしなかった。きっと岬の感情が伝わるからだろう。
つきそうになった溜息を我慢して、岬も部屋を出た。
リビングに入ると、大がロボット型のおもちゃを片手にイーグルを追い回していた。「ドーン」とか「バーン」とか言葉にならない擬音を叫びながら、ぐるぐると走り回っている。ソファでは夕が黙々と本を読んでいた。5歳が読むにしては文字が多い本のようだ。テレビを見ながらその隣に座る聖の膝の上には雪が丸くなっている。蛍の姿は見えないから、恐らくいつものお気に入りの場所に居るのだろう。一階と二階を繋ぐ内階段の出窓は蛍のお気に入りで、蛍用のクッションも置いてある。蛍は聖にくっついていない時は大抵そこに居た。
雪は最近聖にくっついていることが多い。聖を気に入っているのは以前からだが、どうやら彼の膝の上は居心地が良いらしく、時折蛍とその場所を争っている。
岬はキッチンへ行くと、食事の支度をしている渚に声をかけた。
「運ぶの手伝います。」
「ありがとう。じゃあ、盛り付けてあるものからどんどん持ってっちゃって。」
「はい。」
空いた時間を彼らと一緒に過ごす気になれず、岬は夕食の準備を手伝うのが常だった。
ダイニングテーブルに食器を並べていると、足元に何かがぶつかって、思わず声を上げてしまった。
「きゃっ。」
驚いて下を見ると、大が握っていたロボットが転がっている。どうやら走り回っている内に放り投げてしまったらしい。岬がそれを拾って顔を上げると、先程まではしゃいでいた大がびくっと体を竦ませた。
「はい。」
しゃがんでおもちゃを手渡そうとすると、バッとそれを奪うようにして掴み、大は部屋の隅に駆けていってしまった。その視線はちらちらと夕の方を見ている。ソファで本を読んでいた夕もちらりと大を見ると、再び本に目を落とした。
その様子に岬は表情を変えずに立ち上がる。するとタタタタッと軽い足音がして、何かが背中に飛びついた。
「え?!」
そのまま細い腕が自分の胴体に絡みつく。しかもその手は岬の胸をがっちり掴んだまま、もぞもぞと動き始めた。
「きゃ!ちょ・・・、え?」
訳が分からず、混乱したまま思わずしゃがみこむ。すると悲鳴に気付いた渚が菜箸を落す音がした。
「えぇ!!ちょっと蛍何やってんの!?聖君!止めて止めて!!」
ソファから飛んできた聖が岬の背中から蛍を引き剥がす。蛍の腕から開放された岬は、はーっ、と息を吐いて座り込んでしまった。その顔は真っ赤になっている。
「・・大丈夫か?」
「う、うん。・・・ありがとう。」
「大丈夫岬ちゃん!!?」
渚がエプロン姿のまま慌てて岬に駆け寄ってくる。
「あ、大丈夫です。すいません。大きな声出しちゃって。」
「いいよ、いいよ。今度会ったら巽君をきっちり叱っとくからね!」
「え?」
思わず聞き返すと、蛍を抱いたまま聖も眉根を寄せた。
「何で巽?」
「今のは立派なセクハラだよ!きっと巽君が蛍に教えたに違いない!」
「そんな・・・。」
「岬ちゃんの胸を揉むなんて許せーなーいー!!」
とんでもないことを叫ぶ渚の言葉に、再び岬の顔が赤くなる。
「渚さん。そう言う事、大きな声で言わないで下さい・・・。」
すると、小さく笑う声が聞こえて、岬はそちらに目を向けた。そこではソファの影から大が顔を出し、無邪気に笑っている。大は岬の視線に気付くと慌てて隠れた。
(大くん・・?)
それが、岬が初めて見た大の笑顔だった。