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PARTNER  作者: 橘。
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第4話 光を失う 4.蛍

 

(いいのかな・・・)


 聖と一緒に学校を出た岬は、何も言わずに聖について歩いていた。学校をサボるなんて初めてのことだ。けれど、聖の話では朋恵が先生に体調が悪くなったから早退すると言ってくれたらしい。


(橘君までサボらせちゃった・・。)


 そう思って、聖の背中を見つめていると、彼は足を止めた。


「ここでいいか?」

「え?」


 聖が足を止めたのは美容室の前だった。岬の返事を聞かずに、聖は中へ入っていく。


「ちょっと・・、橘君?」


 慌てて後についていくと、「いらっしゃいませ」という挨拶と共に店員さんに店内へ案内されてしまった。


「カットですね?こちらへどうぞ。」

「いえ、あの・・・。」


 振り返ると聖は何やら店員と話をしている。しばらくして彼は待合所のソファに座って雑誌を読み始めた。

 岬の為にここまで連れてきてくれたのだろう。その優しさに胸が温かくなる。それに彼女達に切られた髪のままでこの後バイトに行くわけにもいかなかった。岬は素直に聖の厚意に甘える事にして、店内の席に着いた。






「御代は戴いております。」

「え?」


 カット代を払おうとした時、店員にそう言われて岬は目を見開いた。後ろを振り返ると、聖が店のドアに手をかけ店内から出ようとしている。

 岬は店員に軽く頭を下げると、聖の後を追いかけ慌てて店を出た。


「橘君!」


 その声に聖が振り返る。岬が彼のもとまで行くと、何も言わずに聖は岬の髪に再び触れた。背中の中程まで伸ばされていたロングヘアーは今、ボブの長さにまで短くなっていた。


「あ、あの・・・。カット代・・」

「いいから。」

「でも。」

「・・・・似合ってる。」


 それだけ言うと、聖は再び歩き出してしまう。多分、もうこうなったら彼はお金を受け取ってはくれないだろう。

 岬は聖の隣に追いつくと、小さくお礼を言った。


「ありがとう。」

「ん。」


 しばらく並んで歩いていると、見覚えのある道に出た。岬が以前聖と共にホームへ行った時の道だ。聖はこのまま家に帰るのだろう。岬は自分のアパートへの分かれ道まで来ると、足を止めた。


「聖君。私ここで・・・」

「ホームに来いよ。」

「え?」

「どうせバイトまで時間あるんだろ?」


 確かに今日は午後の授業をサボって学校を出てきてしまったから、時間に余裕はある。岬が頷くと、聖は「雪が心配してる。」と言った。


「雪が?」


 どうしてそんなこと聖に分かるのだろう。パートナーの心はそのパートナーである岬にしか分からない筈なのに。

 岬の考えが分かったのか、聖は言葉を続けた。


「あんたの心は雪にも伝わる。・・泣いてただろ。」

「あ・・・。」


 岬が感じた悲しみや喪失感。それは雪にも伝わってしまうのだろう。それに、昨日は雪が自分の為に来てくれた。なら、今度は自分が雪の元に行ってあげたい。

 聖の提案に、岬は黙って頷いた。






 ホームの住居部分は一階と二階に分かれている。二階が客室と共有スペース。一階は半分が渚のオフィス。もう半分が木登親子の生活スペースだ。二階リビングの奥のドアを開けると、水場と一階へ続く階段がある。


 聖は岬をリビングに通すと、自分は一階へと降りた。リビングでは岬と雪、そしてイーグルが遊んでいる。いつも帰ってくるとイーグルが出迎えに来てくれるのだが、雪は岬が来ることを分かっていたのだろう。今日はイーグルと共に玄関で二人を待っていた。

 階段を降り、廊下を抜けてオフィスと住居スペースを分けているドアを開ける。そこにはデスクに座って仕事をしている渚がいた。

 ドアが開く音で聖に気付いた渚は、大きなオフィスチェアごとくるりと振り返る。そして柔和な笑顔を見せた。


「今日は早いね。お帰り~。」

「ただいま。今、葉陰が来てる。」

「岬ちゃんが?」


 聖が頷くと、渚はパッと満面の笑顔で立ち上がる。


「じゃ、お茶淹れてあげるね~。」

「仕事は?」

「ヘーキ、ヘーキ、今お客さんもいないし。」


 あっという間に聖を追い越し、渚は二階へ上がっていった。簡単に仕事を放り出して行く渚の姿に溜息をつくと、それに続こうとドアを閉める。すると、がしっと何かが腰にしがみついてきた。


「蛍・・・。」


 聖の腰に巻きついているもの。それはニホンザルだった。蛍、という名前のそのメス猿は聖のことをとても気に入っていて、大抵彼の姿を見つけるとこうしてしがみついてくる。

 蛍はもそもそと聖の背中を登り、首に両腕を巻きつけ、まるでおんぶされているような格好で落ち着いた。こうなると、蛍は簡単に離してくれない。仕方なく、そのままの格好で聖もリビングへ戻った。


 リビングのドアを開けると、雪とイーグルが一つのボールを追いかけているのが見えた。軽い足音が何度もフローリングの床を行き来する。イーグルがボールを捕まえれば、それを銜えて岬に戻す。雪が捕まえれば、コロコロと前足で突付きながら、岬の足元へ転がした。

 キッチンでは渚がお茶とお菓子を用意していて、手を動かしながらも髪を切った岬のヘアスタイルが可愛いとかなんとか褒めている。


 岬の座っているソファの向かいに聖が腰を下ろすと、彼女が視線をそちらに向ける。すると呆けた顔で口を開いた。


「・・た、橘君。何か背中にくっついてるけど・・・・。」


 岬は聖の胴に巻きついている毛むくじゃらの手足に驚いているようだった。それを聞いて、笑いながら渚がティーカップの載ったトレイを持ってソファにやってくる。


「岬ちゃん。その子はね、ニホンザルの蛍っていうんだ。女の子だよ。」

「・・ニホンザル?」


 すると緩慢な動きで聖の背中から蛍が顔を覗かせた。真ん丸い目がじっと岬を見つめる。


「可愛い!」


 思わずそう言うと、蛍はさっと聖の背中に引っ込んでしまった。


「あ、・・・驚かせちゃいましたかね?」

「あはははっ。気にしないで。蛍は元々人見知りなんだ。でも聖君が大好きでね。いつもこんな風にべったりなんだ。パートナーより聖君にくっついてる時間の方が長いんだよ。」

「え・・・・。」


 渚の言葉に、再度聖の方を見る。


「あの子も、その、パートナーがいるんですか?」


 テーブルの上にティーカップを並べ終えると、渚は聖の隣に腰を下ろした。


「そ。相手は中学生の男の子なんだけど、学校の寮に下宿している子なんだ。さすがに蛍も一緒って訳にはいかないからね。ここで預かってるんだよ。」

「へぇ・・。」

「時々ホームにも顔を出すから、その内彼とも会うかもね。聖君のはす向かいの部屋は、彼がここに来た時に使ってるんだよ。」

「・・そうなんですか。」


 まだ会った事のない仲間。どんな人なんだろう。岬は蛍を見ながら、姿の見えない相手を思い浮かべた。


「そういえば、岬ちゃん達の学校に近いんじゃなかったっけ?たつみ君の中学って。」


 渚の言葉に、聖が「あぁ。」と短く答える。


慶徳けいとくだろ?確か・・。」

「そうそう。慶徳大学付属中学校・・だっけ?岬ちゃん知ってる?」


 慶徳大学付属中学校と言えば、確かに岬達の通う月島高校の近くにある。両校とも川沿いに建てられているのだが、自転車なら10分ほどの距離だった筈だ。岬の親友、朋恵の弟が通っていると聞いている。


「はい。友達の弟さんが通っているので、名前だけ聞いたことがあります。」

「へー。そうなんだ。巽くんも休日とか連休には蛍に会いにここに来るから、岬ちゃんも休みの日には遊びにおいでよ。会えるかもよ。」

「たつみ、君?」

「そ。その子、旭川あさひかわたつみ君って言うの。覚えてあげてね。」

「はい・・。」


 渚は世間話をしながら、お茶を勧めてくる。

 岬はまだ、ここに移り住むかどうかの返事をしていなかった。けれど、渚も聖もその答えを催促してこない。正直に言えば、今は以前ほどここに住む事に抵抗はない。岬自身が拒んでいた最大の理由が今日無くなってしまったからだ。

 ティーカップに口を付ける。ほんのり紅茶の香りが広がって温かい。自分が淹れるお茶よりも数倍美味しかった。


「あっと、そろそろ時間だ。」


 渚は真っ白な壁掛け時計を見上げて立ち上がった。


「今日は俺が行くよ。」

「えっ?ホント?」

「あぁ。」


 それだけ言うと、聖はリビングを出て行ってしまう。その背中には蛍がしがみついたままだ。


「あの・・。」

「あぁ。保育園のお迎えの時間なんだ。手が空いてる時は、ああして聖君が行ってくれる時もあるんだよ。」

「あ、渚さんのお子さん、でしたっけ?」

「そう。良かったら岬ちゃんも会っていく?」

「あ、いえ。すいません。バイトがあるので、今日はこれで失礼します。」

「そっか。残念。また来てね。」

「はい。お邪魔しました。」


 渚達に見送られて、岬は聖と共にホームを出た。まだバイトの時間には早かったが、岬は未だ知らない人に会うのには抵抗があった。自分でもその理由は分からないが、あまりこの場所に馴染んでしまうのが少し怖かった。


 岬は聖との別れ道に来ると、軽く頭を下げた。


「橘君。ありがとう。」

「・・・・別に。じゃあ。」

「うん。さようなら。」


 アパートまでの道を歩く。一人の道。一人ではないことを望んでいた筈なのに、それが変わってしまったのはいつだったんだろう。いつの間にか、人と関わることが怖くなっていた。


 ずっと待っていた。待つ為に、見つけてもらう為に、無駄だと分かっていても髪を伸ばし続けてきた。でも、それも今日でお終い。


 自分の髪に触れる。これ程まで短くしたのは初めてだった。美容院で鏡を見た時、まるで知らない人物を見ているようだった。


 いつまでも昔の思い出にすがるのは止めよう。来る筈のない人を待つのは止めよう。だって、今の自分には雪がいる。それに、親切にしてくれる仲間もいる。一人暮らしを始めたのだって、本当は自立する為だった。先生達から、そして・・・。


 無意識の内に力が入っていた拳を緩める。じっとりと汗が滲んでいた。


(私には雪がいる。それで十分。)


 岬は顔を上げ、真っ直ぐに帰り道を歩いた。

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