第28話 腕に閉じ込める 2.瀧田修(1)
「なんつー顔してんだ、お前。」
待ち合わせ場所であるファーストフード店。その端のテーブル席に座っていた八代は、遅れてやってきた学校の後輩である春彦に向かってそう言った。会っていきなり失礼な言葉だが、それも仕方が無い。いつも愛想の良い春彦が辛気臭いとしか言いようの無い表情で立っているのだ。せっかくの夏休みだというのに、それを台無しにするような空気を背負っている。
「はぁ・・・」
「おいおい、溜息かよ。」
「八代サンはいつも楽しそうでイイデスネ。」
「どういう意味だコラ!俺が能天気だとでも言いたいのか!!」
「・・ちょっとこんな所で喧嘩しないでよ。」
二人を窘めたのは八代と同じテーブルで向かいに座っていた修。その隣にはまだ一言も言葉を発していない巽も居る。
「春くん、とりあえず座ったら?」
「はい・・・」
実に覇気の無い返事だ。空いていた八代の隣に座るなり、春彦はテーブルに顔を突っ伏した。ファーストフード店に来たというのに、何かを注文する気にもならないらしい。
「お前、此処にいて何も食わない気か。お店のお姉さんに謝れ。」
「・・・代わりに八代さんが謝っといてくださいよ。ついでにナンパしてきたらいいでしょう。」
「・・・・・。お前、ホントにどうした?」
春彦が嫌味とは珍しい。相当心が荒んでいるようだ。テーブルに額を預けたまま、春彦は口を開く。
「実は姉ちゃんが・・・・」
死んだのか?と茶々を入れる八代。だが、修にジロリと睨まれ口を閉じる。黙って次の言葉を待つ三人に告げられたのは、
「昨日、彼氏を家に連れて行きて・・・」
「・・・はぁ?」
それを聞いた八代は気の抜けた声を上げた。
「春のねぇちゃんって、あれか?超絶美人って噂のあの姉ちゃん?」
「ウチに姉ちゃんは一人しかいません。」
「へー。女子高生だろ?しかもそんだけ美人なら彼氏の一人や二人いるだろ、フツーに。」
だがそんな言葉は春彦にとって何の慰めにもならないらしい。それどころかガバッと顔を上げたかと思うと八代の首元を掴んで揺さぶった。
「男が二人もいてたまるか!!」
「うげっ!お前ってめちゃシスコンだったんだな。」
「俺は姉ちゃんの心配をしているだけです!」
「それを世間じゃシスコンっつーんだよ。お前腹の中じゃ、ねーちゃんが一生結婚しないで実家にいたら良いと思ってるだろ。」
「思ってますが、何か?」
「うわっ、開き直りやがった!キモッ!!つーかなんでさっきから俺がコイツの相手しなきゃなんないワケ!?お前らちょっとは協力しろよ!」
だが八代の訴えなんてどこ吹く風。修はにこにこ傍観しているだけ。巽にいたっては目すら合わせようとしない。
「修はともかく、巽はなんなの?なんで完全無視?これお前の後輩でしょ?」
「・・・・・。」
「おおぃ!!!俺も無視かい!!」
「そっとしといてあげなよ。巽も傷心なんだからさ。」
「テメツ!修!!」
サラッと暴露する修。途端に顔色を変えた巽。そんな二人を向かいの席の八代と春彦がポカーンと見ている。先に口を動かしたのは八代だ。
「傷心って・・、何?お前ミサキちゃんにフラれたワケ?」
「え?マジっすか?だってこの前の夏祭り、結構イイカンジだったじゃ・・・」
「黙れ。」
「はい。」
地を這うような巽の声で瞬時に口を閉じる春彦。一方、八代の表情が嬉しそうに緩む。
「うわーマジかよ!!やっぱり俺を差し置いて先に彼女作ろうとしたのが悪かったんだな!!」
「死ね!!」
テーブル越しに拳を突きつけられてもそれを片手で受け止める八代は楽しげだ。だがそろそろ騒ぎすぎで店員からクレームが来るかもしれない。修がそんなことを考えていると、足元に置かれたドラムバックに気づいた春彦が首を傾げた。
「そう言えば、修さんは随分デカイ荷物ですけど、これからどっか行くんスか?」
「うん。明日から寮が休業になるからね。巽の知り合いの所に移動するんだ。」
「へー。それって巽さんが時々泊まりに行ってるトコっスか?」
「らしいよ。僕は初めて行くんだ。そこにミサキさんもいるみたい。」
「マジっすか!!?」
だが、その情報に食いついたのは春彦だけではなかった。何故か八代が顔を輝かせる。
「マジか!!んじゃ、今から皆で顔拝みに行こーぜ!!」
ウキウキとした様子で八代が立ち上がる。水を得た魚とはこの事だ。
そんな八代に巽が放ったのは、ドスの効いた一言。
「・・・・・来たら殺す。」
あらら。こりゃマジだわ、と八代が言ったとか言わないとか。
「反抗期かしら・・。」
真面目な顔で呟いた朋恵に、岬は悪いと思いつつも笑ってしまった。
二人は今、ショッピングビルの中にあるパンケーキの専門店の席にいる。先日風邪を引いたせいで行けなかった買い物に来ている所だ。夏のセール真っ只中の今は買い物客が多く、特に十代後半から二十代の女性に人気のこのお店は女性客で賑わっている。
二人も入店までに十五分程待ったのだが、美味しいと評判だった為一度は入ってみたかった。買い物の後で少々疲れていたけれど、せっかく此処まで来たのだからと並んだのだ。席に着いて早速パンケーキとお茶をオーダーし、それがテーブルに並べられるのを待っている所で、先程の朋恵の呟きがあったのである。
「岬。私結構真面目に悩んでるんだけど。」
「ごめん。でも、反抗期は無いよ。」
「そうかしら。」
朋恵とその弟春彦が仲良いのは岬も知ってる。よく朋恵は彼の話をしてくれるし、実際岬も本人に会ったことがある。春彦はまだ中学生だが気遣いの出来る子で、性格はしっかり者の朋恵に良く似ていた。そんな彼が今更反抗期だとは考えにくい。
「でも、急に口きいてくれなくなったのよ。」
「急っていつから?」
「昨日。」
「ホントに急だね・・・。」
それなら尚更反抗期はないだろう。普通は喧嘩かと思う所だけれど。
「喧嘩じゃないんだよね?」
「今まで春彦と喧嘩した事はないわね。」
岬に兄はいても、短い間しか一緒に過ごせなかったので普通の兄弟関係は良く分からない。けれど周囲の友人達の話を聞く限りは、一度も喧嘩をしたことが無いというのはかなり仲が良いか、互いに無関心かのどちらかだと思う。そして、恐らくこの姉弟の場合は前者だ。
「昨日、いつもの違うことなかった?」
「昨日は・・・・」
そこで朋恵の言葉が途切れる。どうしたのかと顔を見れば、ほんの少し顔が赤い。もしかして、照れてる?
「どうしたの?」
「・・草薙先輩が、家に来たの。」
「・・・・それって、まさか挨拶しに?」
初めて彼氏が実家に来るなんて両親への挨拶ぐらいしか思いつかない。草薙は明るい性格だが真面目だから、そうだとしてもおかしくはない。
「んーと、それが目的じゃなくて、単に私を迎えにきてくれただけなんだけど・・・、まぁ、結果的にはそうなのかな。」
応対の為に玄関口に出たのは母親で、そこで挨拶をしたら母親に押し切られて家の中にまで上がってしまい、お茶やお菓子が出る始末。朋恵を迎えに来ただけのつもりが母親に気に入られ、すっかり長居してしまったのだという。
「春くんもいたの?」
「居たわよ。顔だけ合わせてすぐに出かけちゃったけど。」
話を聞きながら、岬は自分の兄を思い出していた。彼氏がいるのか心配していた兄。兄弟というのは、自分の妹や姉に恋人が出来たら嫌な思いをするものなのかもしれない。
「春くんは、朋に彼氏が出来たのが嫌だったんじゃない?」
「え?春彦が?」
岬の言葉を受けてその可能性を考える朋恵だが、しばらくして「ないない」と手を振った。
「そうなの?」
「彼氏が出来たら教えろって言ってたぐらいだし。」
(それって・・・やっぱりそういう事なんじゃ・・・)
ちっとも真意が伝わっていない春彦には気の毒だが、これ以上言った所で信じてもらえそうに無い。
そうこうしている内にオーダーしていたパンケーキが運ばれてきて、二人は美味しそうなそちらに話題を切り替えた。