第12話:別れの風(最終話)
さよならの日
スワンナプーム国際空港の出発ロビーに、アナウンスの声が響く。
「NH848便、東京行きのご搭乗を開始いたします…」
カナは白いコートの下にシンプルで上品なドレスを着て、静かな表情を浮かべていた。だが、その目は赤く潤んでいる。
そばにはプローイ姐さんとモクが立っていて、二人とも涙を堪えていた。
「体に気をつけるんだよ。またこっちに来る機会があったら、お店に寄ってね」
「カナさん… 私、もっともっとミルクフォームの練習頑張るから…」
カナは美しく合掌して、丁寧にお辞儀した。
「皆さんに出会えて、本当に幸せでした。こんなに優しい人たちがいるなんて…」
そう言って彼女は振り返り、ゆっくりと出国審査のゲートへと歩いていった。
そのとき――
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ティーが空港の出入口まで駆け込んできた。顔には汗と雨の跡が滲んでいる。
「カナさん!!」
その大きな声に、周囲の人々が一斉に振り返る。カナは立ち止まり、すぐに振り返った。
ティーは息を切らしながら早足で近づき、手に持ったものを差し出す。
「僕… 君に渡したいものがあるんだ」
それはKawaii Cafeで自ら淹れた、最後の一杯のホットコーヒー。蓋には小さなハートのラテアートが描かれていた。
「高価なものじゃないし、特別な価値があるわけじゃない。でも、君のためだけに心を込めて作ったんだ」
カナは無意識に涙を流し、そのカップをぎゅっと抱きしめた。
「…ごめんなさい、ティーさん…」
「謝らなくていいよ。君に出会えただけで… 僕はもう十分幸せだったから」
カナは涙を堪えきれず、そのままティーの胸に飛び込んで、強く抱きしめた。空港の大勢の人々が見つめる中で。
「私は… あなたのコーヒー、一生忘れません…」
「僕も… 君を見るたびに心が高鳴った、その気持ちをずっと忘れないよ」
空港の最終アナウンスが響く。
「行かなくちゃ… さようなら」
カナはティーに深く一礼して、搭乗ゲートへと向かった。
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空港のテレビニュース
カナがゲートを通過した後も、ティーはロビーに立ち尽くしていた。人の流れは次第に少なくなる。
ふと、大きな柱の上にあるテレビに目をやる。そこには、着物姿のカナとダイミョウ王家の人々の写真が映し出されていた。
「ダイミョウ王国の宮内庁より発表がありました。タイで留学中だった“カナ王女”は、来る春にアキタ王家のソラ王子との婚約が内定しました――」
ティーはその画面を見つめたまま、時が止まったように動けなかった。
続く報道:
「王女が国外で芸能界に関わっていたとの報道があり、王室のイメージを守るためにも即時帰国が決定されたとのことです…」
ティーは唇を噛みしめ、目を潤ませたまま、じっとニュースが終わるまで動かなかった。
――カナは、本当に“王女”だったのか。
驚きと共に、どこか裏切られたような気持ちがよぎる。自分のような貧しい配達員と、王女との間には、越えられない壁があったのだ。
そのとき、ズボンのポケットから通知音が鳴る。
《新しい注文:キャラメルマキアート x2、ホットチョコレート x1 配達先:パーククローン通り》
ティーは深く息を吸い、ゆっくりと空港を後にした。
いつものバイクにまたがり、雨の中を走り出す。
空は涙のように静かに降り続けていた。
――「あなたを愛せたこと、それだけで僕の誇りです、僕の“お姫様”」
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✿ 飛行機の中
カナは窓の外を見つめていた。白い雲が飛行機の下にゆっくりと流れている。
彼女はまだ、あのコーヒーカップを胸に抱いていた。
「普通の男の人からもらったラテ… でも、それは私の心を動かした奇跡だった」
そっと涙がカップの縁を濡らす。
彼女は、「個人の幸せ」か「王家の名誉」か――
その選択で、後者を選ぶしかなかった。
飛行機は朝日の中を進んでいく。
「さようなら、愛しい人」
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エンドクレジットシーン
いつものイサーン料理屋で、ティーとモクが一緒に座っていた。
ティーはうつむきながら、ぼんやりとスマホを見つめていた。
「モク… もし僕がカナ以外の誰かと… やり直したら、嫌かな?」
モクは微笑みながら、ティーの皿にラープをよそってあげた。
「まあ、検討しておきますよ。お客さん♪」
そのとき、店主のスマホから
タックテン・チョルダーの『รอเป็นคนถัดไป次の人を待ってる』が静かに流れ始める。
「ぴったりの選曲ね」モクが笑いながら言った。
二人は同時に笑って、グラスを軽くぶつけた。
カメラが少しずつ遠ざかる――
ティーがモクの手を優しく握る。
「長い間待たせてごめんね、モク…」
モクは涙を浮かべながら笑った。
「大丈夫よ… 私、ずっとあなたを愛してたんだから」
彼女の心の中には、ティーの母に伝えたい一言だけがあった。
――お母さん、約束通り、私が彼を支えていきます
やさしく歌が流れる中…
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(ブラックアウト)
ゆっくりと文字が浮かび上がる。
「人は生まれを選べない…」
「でも、“心から愛する”ことは、自分で選べる」
Kawaii Cafeは、
次の恋を信じるあなたを、いつでも迎えてくれます。
― 完 ―