第11話:近(ちか)くにいても、心(こころ)は遠(とお)く
Kawaii Cafeはいつもより静かだった。
雨が続き、ジェー・プロイは「売上が落ちた」とぼやいていたが、店内の空気を変えたのは天気ではなかった。
それは──カナとティーの間に流れる、目に見えない“距離”。
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カナの側:広がる新しい世界
雨の日の出来事の後、カナはピムの誘いを受け、スクンビットのスタジオで初のファッション撮影を行った。
それをティーには話していなかったが、SNSに載った写真で、ジェー・プロイとモクは気づいた。
やがて、カナはタイにある日本のオンラインマガジンの表紙に登場し、インタビュー番組にも呼ばれるようになった。
彼女は店に来る回数が減り、来ても静かにラテアートの練習をして、すぐに帰る日が増えた。
「カナさん、明日も練習に来ますか?」モクが尋ねる。
「ごめんなさい… 明日はまた別の広告撮影があります」
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勉強の側:卒業目前の忙しさ
同時に、カナは大学4年生の最後の学期を迎えていた。
卒業論文の提出も迫り、彼女は夜、図書館や静かなカフェで勉強していた。
ティーは彼女の忙しさを理解していた。
邪魔したくなかった。でも心の奥では──
彼女の世界から、少しずつ遠ざかっていく気がしていた。
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セイヤ・メタ:追えば、逃げる光
メタはカフェに現れる回数が増えた。
ジェー・プロイやモクへの贈り物を口実にして、実際はカナに会いに来ていた。
「カナちゃん、明日は撮影あるの? 送っていこうか?」
「大丈夫です。自分で行ったほうが気楽ですから」
「疲れてるなら、僕のオフィスで勉強してもいいよ。トンローに静かな部屋があるんだ」
カナはいつものように、丁寧に微笑みながらも、やんわりと断った。
彼女は決して冷たくない。でも誰に対しても、必要以上に心を開くことはなかった。
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ティー:どこか遠くなっていく君
ある日、ティーはアソークの高級コンドミニアムにコーヒーを配達していた。
そこで偶然、撮影チームの車から降りてくるカナの姿を見かける。
ノースリーブのトップス、ロングスカート、濃いメイク。
彼女はいつもと違う。
ティーは声をかけなかった。
ただ、遠くから見ているしかなかった。
その日の夕方、カフェに戻ったティーは、いつもより静かだった。
モクが尋ねる。
「カナちゃん…見たの?」
ティーはうなずく。
「でも… 僕が知ってるカナじゃなかった」
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その夜 カナの部屋にて
カナは撮影から帰ってきた後、ベッドに座って論文を開いたが、目が文字を追えなかった。
スマホを取り、Kawaii Cafeでティーと一緒に撮った写真を見る。
ミルクの泡が頬について笑い合った、あの日の一枚。
そこへ通知が入る。
「日本のメディアに載ったよ! ダイミョウ王家の姫が、タイでモデルに!? 有名になってきたね!」
その文字を見つめたカナは、表情を曇らせる。
そしてつぶやいた。
「…もし王室に知ら(し)れたら… どう思うのかな」
スマホを静かに置き、目を閉じる。
ほほに、一粒の涙が落ちた。
「どうか…明日は、“好き”と“あるべき姿”を選ばなくていい日でありますように…」
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一ヶ月後 言えなかった想い
カフェのドアベルが鳴る。
試験も終わり、カナが店に現れた。微笑んでいるが、どこか切ない目をしていた。
「試験、終わったのかい? うちの姫さま」
ジェー・プロイの声に、カナは小さくうなずき、静かに口を開いた。
「ジェー・プロイさん… 話したいことがあります」
「どうしたの?」
「実は…家族から連絡が来て、急に国に戻らなければならなくなりました」
モクが驚いて、手を取る。
「また会えるよね?」
「うん、絶対に。また会おうね。モクは、私にとって初めての友達なんです」
ジェー・プロイは、静かにピンク色の封筒を差し出す。
「これはラテ無料券… 一生分よ。戻ってきたら使ってね」
── そして、別れの夕方
カナはチュラ大の校舎前を歩き、散った花の下でティーと再会する。
「試験終わったんだね?」
「はい…」
「忙しいの終わって、嬉しい…でも、少し寂しいかも」
「どうしてですか?」
「だって…まだ伝えてないこと、たくさんあるから」
カナは静かに言った。
「私… 帰国が早まったんです」
ティーは驚いた顔を見せたが、理由は聞かず、ただ静かに言った。
「そうなんだ… 急なんだね」
「はい… すみません」
しばしの沈黙のあと、ティーが言う。
「空港まで送ろうか?」
「いいえ、大丈夫です。お忙しいでしょうし… ご迷惑かけたくありません」
「そっか… じゃあ、気をつけてね」
本当は、言いたいことが山ほどあった。
でも、ティーが言えたのはそれだけ。
「ありがとう… ティーさんは、本当に優しい人です」
「君と過ごせて、幸せだった」
── その翌日、文学部の屋上
メタがカナを待っていた。
カナが近づくと、静かに微笑みながら言う。
「また…会えるかな?」
「メタさん、ありがとう。でも私は…国に帰って、自分の道を歩まなきゃいけません」
メタは少し黙ってから、うなずいた。
「分かった。ありがとう、素直に話してくれて」
カナは最後に軽く頭を下げて言った。
「出会えてよかったです、メタさん」
「…忘れないでね」
つづく




