17:こぼれ落ちる一筋の光
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夜の帳が、街をゆっくりと覆い始めた。
灯りの少ないレヴィネの街は、暗闇の中でもどこか美しかった。家々の窓にともる小さなランプの光が、まるで星のように瞬き、静かに沈んでゆく街の時間を照らしている。
レイアの案内で、俺とティアは“鐘楼”と呼ばれる建物へと向かっていた。
「この塔の上に、“記憶の鐘”がある」
レイアがそう言って、ゆっくりと螺旋階段を上がっていく。
「この鐘はね……昔、この街が“涙を流すことを許されていた”最後の夜に、鳴らされたものなの」
「……最後の夜?」
「うん。王国から“感情統制”の命令が届いた日。街の人たちは、最後にこの鐘の音を聞いて、涙を流して……それっきり、泣かなくなった」
ティアは、無言でその話を聞いていた。
でも、拳を握りしめているその指先が、少し震えていた。
「じゃあ……今も鳴るのか?」
俺が聞くと、レイアは少し微笑んだ。
「ほんの一瞬だけ、夜の真ん中に。しかも、鐘を鳴らすのは誰でもできるわけじゃない。“涙を持つ者”だけが、鐘を鳴らすことができるの」
「涙を……持つ者」
俺は、少しだけ手のひらを見つめた。
かつて、“パンの耳”に感動して泣いた手。
あのときの涙が、なぜか今も心の奥に残っているような気がしていた。
やがて、階段の終わりにたどり着いた。
そこには、古びた鐘が吊るされていた。
風に揺れて、金属のきしむ音が小さく鳴る。
でも、鐘そのものは——まるで、何かを“待っている”ようだった。
「さあ、ナッキー……やってみて」
ティアが、小さく頷いた。
俺は、鐘の綱に手をかける。
冷たい鉄の感触が、指に伝わってくる。
そして——
「……いくぞ」
ぐっと力を入れて、鐘の綱を引いた。
……ゴォォォォン……
重く、深く、空気を震わせるような音が、夜の街に響いた。
その瞬間。
ティアが、目を見開いた。
「……な、に……これ……」
街のあちこちで、淡い光が灯る。
家々の中から、広場の片隅から、そして神殿の杯から——
まるで、“記憶”が揺り起こされたかのように、光が立ち上る。
その光は、音と共に流れ出し、人々の心の奥に触れていく。
ティアの足元にも、光が流れ込んできた。
彼女の胸元にある、小さな布のお守りがふわりと揺れる。
「やだ……なにこれ……」
彼女の声が震えていた。
「……心が、ぐちゃぐちゃになってく……」
「ティア……!」
俺が駆け寄ろうとしたその瞬間。
ティアの頬に——
一筋の、涙が流れた。
それは、ゆっくりと、けれど確かに。
今まで流せなかった全ての想いをのせて、光の中を滑り落ちた。
「……やっと……泣けた……」
その声に、俺は言葉を失った。
ただ、そっとその肩に手を置くことしかできなかった。
彼女の涙が地面に落ちた瞬間——
鐘の音が、もう一度だけ鳴った。
──その音は、誰かの心を、そっと開く音だった。
夜が、深い沈黙をまといはじめた。
鐘の音は止み、街の光もひとつ、またひとつと落ちてゆく。
でも——俺たちの胸の中では、何かがずっと、鳴り響いていた。
ティアはまだ、俯いたままだった。
涙の跡が頬を伝い、光の粒となって宙に溶けていく。
それは、彼女の“最初の涙”だった。
「……ありがとう、ナッキー」
やがて、ぽつりとティアが口を開いた。
「……この街に来てよかった。鐘の音を聞けてよかった……でも、それより——」
そこで、彼女は言葉を飲み込んだ。
少しだけ目を伏せて、そして、微笑んだ。
「……私、やっと……泣ける人になれた気がするの」
「ティア……」
「今までは、怖かった。泣くことも、感情を出すことも。
“ナケネーナの従姉妹”って枠に、縛られてた。
誰かと比べられるのも、自分が選ばれないんじゃないかって思うのも——全部、怖かった」
俺は、そっと彼女の肩に手を置いた。
それ以上、何も言わずに。
「でも……ナッキーと旅して、いろんなもの見て、いろんな人と出会って、今日こうして……泣けて」
ティアは顔を上げた。
その目は、もう涙ではなく——光を宿していた。
「……私、ようやく“私”になれた気がするの」
彼女の言葉は、まるで祈りのようだった。
ひとつの願いが、ようやく叶った音だった。
「ありがとう。これからも、ナッキーと一緒にいたい」
そう言った瞬間、彼女の表情に、ふっと不安の影が差した。
「……でも、それって……ナケ姉にも言えるかな……?」
その問いに、俺は何も返せなかった。
いや、答えを持っていなかったのだ。
ティアと過ごした時間。
ナケネーナと交わした誓い。
それぞれが、本物で、嘘なんかじゃない。
でも、“どちらか”を選ぶ日が来るのなら——
「……まだ、今は選べない」
俺は正直に、そう答えた。
ティアは、ほんの一瞬だけ目を見開き——そして、笑った。
いつもの、無邪気な笑顔とはちがう。
静かで、優しい、少しだけ切ない笑顔だった。
「うん。知ってる。……それでいいの。今は、それで」
その夜。
俺たちは、鐘楼のてっぺんに座って、街を見下ろしていた。
風が優しく吹き抜ける。
静かな街に、眠るような息遣いが流れている。
レイアが、少し離れた場所に佇んでいた。
彼女は手の中に、小さな鈴のような石を持っていた。
それが、レヴィネの“記憶の石”だと教えてくれた。
「その石はね、ここで流れた涙の“記憶”を少しだけ宿すの。……よかったら、持っていって」
レイアが差し出したその石は、ほんのりと暖かかった。
俺とティアは、それぞれ一つずつ受け取った。
「ありがとう」
「ううん。こっちこそ……あなたたちのおかげで、また誰かが“涙”を思い出せた」
別れ際、ティアがレイアにそっと近づいて、何かを耳打ちした。
レイアは驚いたように目を見開いたが、やがて小さく、うなずいた。
神殿を後にして、街の外れの宿へと戻る道すがら、ティアが俺に言った。
「ねぇナッキー……次の街でも、またいろんな涙に出会えるといいね」
「……ああ。俺たちの旅は、まだ続くからな」
その背中に、確かな“光”が宿っているのを、俺は見逃さなかった。
——そして、俺の胸の奥にも。
ほんの少しだけ、“答え”に近づいた気がした。
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