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16:涙の街レヴィネと、心の扉

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それは、どこか懐かしくて、どこか遠い匂いだった。



王都を旅立って数日、俺とティアは“レヴィネ”と呼ばれる街にたどり着いた。


街の外壁には、色あせた蔦と古い碑文が刻まれている。入口の門は朽ちかけていて、でもその隙間から洩れる光だけがやけに澄んでいた。


 


「……なんか、不思議なとこだね」


「“涙の街”って呼ばれてるくらいだからな」


「泣ける人が多いってこと?」


「……いや、逆。泣けなくなった人が集まる街、だって」


 


ティアが立ち止まる。


「……え?」


「昔、泣きすぎて、感情を枯らした人たちが最後に流れついた場所って、言われてる」


「そんなの……悲しすぎるよ」


「だからこそ、“涙”を思い出すための神殿があるらしい。俺たちの次の目的地は、そこだ」


 


「じゃあ、まずは……散策しよう!」


無邪気に手を振るティアの後ろ姿を見ながら、俺は少しだけ胸の奥がざわついていた。


この街の空気が静かすぎる。


人の気配はあるのに、どこか“無音”なのだ。


まるで、みんなが“感情”を持たずに暮らしているかのような——


 


レヴィネの街は、想像以上に静かだった。


市場はある。店もある。通りを歩く人もいる。


でも、笑い声がない。


喧騒がない。


感情の起伏が、極端に薄いのだ。


 


「ナッキー……あの子、ひとりじゃない?」


ティアが指差した先に、小さな男の子がぽつんと座っていた。


まだ五歳くらいだろうか。ボロボロのぬいぐるみを抱きしめ、足元には割れた陶器の破片が散らばっている。


 


「ねぇ、君……大丈夫?」


ティアがしゃがみこみ、優しく声をかける。


男の子は顔を上げた。


その瞳は、驚くほど無表情だった。


 


「……おなか、すいた」


「わ、わかった!ナッキー、パン買ってくる!」


「任せろ」


すぐ近くの露店でパンを買い、戻ってきた俺たちは、その場で小さな食卓を作った。


ティアが膝に布を敷き、俺はパンを小さくちぎって渡す。


男の子は黙って食べ続けた。


 


「……ねぇ、君の名前は?」


「……シェリル」


「シェリルくん。君、パパとママは?」


「しらない」


ティアの手が止まる。


「知らないって……いないの?」


「いたけど、いまは……なにもない」


「……なにもって」


 


「……ここではね、誰も泣かないの」


 


静かに言われたその言葉に、俺もティアも、何も返せなかった。


 


午後、街のはずれにある“涙の神殿”の場所を探していたとき、ティアがぽつりとつぶやいた。


「……なんか、やだな」


「ん?」


「この街、ぜんぶが諦めてるみたい。人も、空気も、建物も、全部、感情をしまっちゃってる感じ……」


「泣いたら、苦しいからかもな」


「でも、泣かない方が苦しいよ。私、泣けないからわかるもん」


 


俺はふと、ティアの横顔を見た。


笑っているけど、どこか張りつめてる。


街の無表情さと、彼女の笑顔が、逆に重なって見えた。


 


「……さっきの子にさ、ブローチの話、したんだ」


「え?」


「ティアがくれた、お守り。『これは特別な人にもらったんだよ』って、ちょっと自慢しちゃった」


 


ティアは、ぽかんとして——それから急に真っ赤になった。


「な、な、なんでそんなこと言うの!?意味わかんないでしょ!?!?!?」


「いや、なんとなく……言いたくなったから」


「はぁぁあああ!?バカなの!?ナッキーってほんと、そういうとこずるい!!」


 


怒ってる。


怒ってるけど。


その目尻には、少し潤んだ光があった。





夕暮れが、街全体を淡い朱に染めていた。


ティアの手を引いて、俺たちは街の北端へと歩いていく。そこには、石畳が途切れる先に、小高い丘があった。丘の上には、ひっそりと佇む神殿が見える。


 


「……ここが、“涙の神殿”か」


「すっご……空気が全然ちがう」


 


神殿は崩れかけていたが、どこか威厳があった。柱には古代文字が刻まれ、扉には両手を広げた“涙の女神”の像が浮かび上がっている。


その像の目元には、小さな窪みがあった。まるで、実際に“涙”を流した痕のように。


 


「入ってみよう」


 


中は、しんと静まり返っていた。


ただし、外の街とは違って——静かだけど、怖くない。


むしろ、“誰かが待っている”ような気配さえした。


 


ティアが壁の模様に指をなぞる。


「……ここ、昔は祈りの場だったのかな」


「泣くことを許されてた時代の、最後の聖域だったらしい」


 


奥へ進むと、中心に石造りの“涙の杯”があった。丸く掘られたその中心に、わずかに水が溜まっていて、光がゆらゆらと反射していた。


 


「ナッキー……この水……」


「……これは、涙かもしれないな。誰かの、すごく深い感情が流れ着いたもの」


 


ティアが、杯の前にしゃがみこみ、そっと手を伸ばす。


だが、そのとき。


 


「——その水に、触れちゃダメだよ」


 


また、声がした。


振り返ると、昼間の少年“シェリル”が立っていた。


だけど、彼の後ろには、もうひとりの人物がいた。


長い髪を編み込んだ少女。白いローブに身を包み、手には古びた鍵を握っていた。


 


「……あんたたち、よそ者だね?」


 


「……そうだ。あんたは?」


 


「レイア。ここの“最後の語り部”だよ」


 


少女はゆっくりと近づいてきて、杯のそばに立った。


「この水は、レヴィネの人々が流した最後の涙。……これ以上は、誰にも触れさせちゃいけないの」


 


「どうして?」


 


「涙ってね、祈りと絶望の間にあるの。……この街の人は、それをもう失ってる。だから、触れたら“昔の痛み”が一気に戻って、壊れちゃうの」


 


「……でも、俺たちは知りたい」


 


「知って、どうするの?」


 


その言葉に、ティアが立ち上がった。


「……泣けないから。私は、泣きたいのに泣けない。だからこそ、人の涙の重みを、ちゃんと知りたいんだ」


 


少女はしばらく黙っていたが、やがて、静かに頷いた。


「だったら……“夜の鐘”を聞きなよ」


「……夜の鐘?」


「レヴィネには、夜中だけ鳴る鐘があるの。それを聞いた人は、なぜか涙を流すって言われてるの」


 


「泣ける、ってこと?」


 


「……“感情の記憶”が心に触れるんだよ。見たくないものも、思い出す。でも、それでも向き合いたいなら——案内してあげる」


 

俺とティアは顔を見合わせて、そして、うなずいた。



「その鐘の音で、ティアが涙を流せたら……きっと、何かが変わる」


 

そう思った。

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