七月十二日 火曜日
七月十二日 火曜日
朝から降り続く雨のせいでリュックや制服は濡れてしまった。教室の前の方にはいくつかの靴下が干されている。靴下が原因なのか、教室の中は臭かった。
千冬の様子を窺うと彼女はいつも通りで、笑顔で友だちと話していた。
「千冬っ。昨日のLINEはどういうことだよ」
教室のドアがものすごい音を立てて開き、谷原智也が姿を現した。隣のクラスの彼は、教室の外から千冬を呼んだ。その声に、教室は静まり返った。
「何が?」
冷たい声で千冬が言った。
「しっかり話し合って結論を出そう。千冬だけで決めるなんて」
「大きな声を出さないで」
教室の外にいる谷原智也は舌打ちをした。そんな彼の手を千冬は掴んでどこかへ連れ出した。
「今の、何?」
「別れたってこと?」
二人がいなくなった教室は騒がしくなった。
「おい、柊人。チャンス到来なんじゃ」
まだ柊人が千冬に思いを寄せていると思っている大輝が興奮気味に言った。
「チャンスも何も無いよ」
「恥ずかしがる必要はない。正直に」
大輝の口を塞いだ。
「千冬、あんな顔してどうしたのかね」
千冬と話していた生徒が呟いた。
チャイムが鳴り、大輝は自分の席に戻った。担任の教師は持っていたファイルで顔回りを仰ぎながら教室に入ってくる。
「おはようございます」
読書の時間が始まっても、千冬は戻ってこなかった。読書の時間とは名ばかりで多くの生徒は終わらなかった課題を進める。シャーペンの音が教室中に溢れた。
「先生、板垣さんがいません」
一人の生徒の言葉に担任は千冬の席を見た。
「誰か朝見たりしたか」
「朝はいました。でも、谷原さんとどこかに行っちゃいました」
その言葉で、再び教室の中はうわさ話で盛り上がった。
「またさぼりか」
担任は白髪の混じった髪の毛を掻いた。千冬がさぼることなんて、日常茶飯事だった。だから、担任も珍しがるそぶりも見せない。ただ、谷原と一緒にサボる、そのことが珍しいからか、
「じゃあ、探しに行ってくるからお前らは読書な」
と担任は教室を出た。大人のいなくなった教室が静かなわけがなく、休み時間のような空気になった。
そんな教室で柊人は数学の課題を解いた。
担任が戻ってきたのは五分ほど経ってからだった。しかし、担任の後ろに千冬の姿はなく、代わりに養護教諭がいた。養護教諭は千冬のリュックを持って、そそくさと出て行った。
「先生。板垣さんは?」
好奇心を含んだ声で誰かが訊くと担任はそんなことはいいから、と朝の会を始めた。
「千冬、早退したらしいよ。谷原君も」
一人の生徒の呟きからその噂は一瞬で広がった。帰りの会というにも関わらず、その会話はかなり大きな声だったため、周りも騒めき始めた。
「私聞いたんだけど、千冬が口の端から血を流してたって」
「じゃあ、谷原君、警察?」
「それだけじゃ警察じゃないでしょ」
柊人は自然と千冬の席を見つめていた。生徒が千冬について質問しても、担任は何も言わなかった。
「そのことについては俺から伝えられることは無い」
担任は呆れたような表情を浮かべた。柊人は小さく息をつき、外を眺めた。雨は止んで校庭には大きな水たまりができている。この様子じゃ、明日の体育は体育館だろう。
「ほら、静かに。今日から二者面談が始まる。時間は黒板に貼ったから各自確認するように」
教師が黒板を指で叩いた音で柊人は視線を黒板に移した。柊人は今日の三番目だ。家に帰っても仕方が無いから、学校で待つことになるだろう。
「じゃあ、さようなら。早く帰れよな。待つ人は隣の教室で」
流れに乗って柊人は隣の部屋に移った。多くの生徒は友だちと話している。特にやることも無い柊人は文庫本を取り出し、読み始めた。