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ファーストキスは違うけど  作者: Mee Cook
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七月十日 日曜日

 家に帰ると洗濯物を取り込んだ。今にも一雨来そうな雲だ。生温い風が吹き、洗濯物を揺らす。窓を閉め、ため息をついた。

家の大きさに対して少なすぎる洗濯物。あんなに晴れるなら、シーツも洗濯すればよかった、と後悔した。

「ただいま」

一階から大声が聞こえ、柊人は階段を下りた。ショートカットの金髪をぐしゃぐしゃと掻きながら姉の白瀬菜奈が帰ってきた。

「おかえり。今日は結構早いね」

菜奈は荷物を投げ捨て、ソファに倒れこんだ。

「あんな仕事続けてたら精神がおかしくなる」

「じゃあ、転職すれば?」

冷蔵庫から天然水を取り出し、コップに注いだ。テーブルの上に置くと菜奈はむくりと体を起こし、コップの水を一気に飲み干す。

「そうはいかないのが人生なんですー」

まるでビールを飲み終えたように、プハー、と言ってコップをテーブルに戻した。

「早く結婚すれば仕事、辞められるんじゃない?」

柊人の言葉に菜奈は表情を険しくした。

「私にいい相手がいないことなんて分かってるでしょ? 嫌がらせかよ」

「その性格じゃ、無理だね」

菜奈はサバサバしていて友達としては人気になるような人だった。しかし、彼女の恋人いない歴は年齢とイコールで、二十九年だった。柊人としては、菜奈に恋人ができないのは自分の存在も関係しているのではないかと思っていた。そう言うたびに、菜奈は結婚願望が無いことが理由だというが、周りの友人が結婚し始め、彼女が結婚願望を強めているのは柊人の目から見ても明らかだった。

「それに、私が結婚したら、柊人は寂しくて泣いちゃうでしょ?」

揶揄うように菜奈は柊人の頭を小突いた。じわじわと痛み、柊人は頭を押さえた。

「地味に痛いんだけど」

柊人の様子を見て菜奈は首を竦めた。

「今日の夜ご飯はカレーうどんにしますっ」

菜奈は宣言すると勢い良く立ち上がった。

「辛口で」

柊人が言うと菜奈は呆れたような表情をした。

「ここは激辛でしょ」

菜奈は長い前髪を揺らした。柊人より少し小さいが、女性の平均身長よりは数センチメートル高い。スーツを着たまま、菜奈はキッチンに立った。

「俺は二階で勉強してるから食べるときに教えて」

そう言い残し、自分の部屋に入った。

カーテンを閉め、電気を点けた。雲の描かれたカーテンは六歳のときから変えていないため、所々色が落ちている。

椅子に座り、数学の問題集を開いた。志望校は家から一番近い男子高校。特に校風に感銘を受けたわけでもなければ、卒業後の進路が希望通りだったわけでもない。ただ、家から一番近いということが、唯一の魅力だった。

偏差値は今の柊人よりも少し低いが、念のため、受験勉強は欠かさずにしていた。

何度も使った問題集は破れかかっていて、ページを捲るのも慎重だ。

「柊人、玉ねぎ買ってきてくれない?」

いつの間にかドアを開けて部屋にいた菜奈が声をかけた。

「玉ねぎ無しでカレーを作ろうとしてたの?」

目を細めて訊くと菜奈は苦笑いをした。

「いいよ。行ってくる」

ベッドの上にあるバッグを持った。キーホルダー同士がぶつかった。

「これが、玉ねぎ代で、こっちは、問題集のお金」

菜奈は三千五百円を柊人に渡した。

「玉ねぎ代だけでいいよ」

三千円を返そうとすると菜奈は柊人が使っていた数学の問題集を持ち上げた。

「もうボロボロじゃん。買い直しなよ」

見るからにボロボロの数学の問題集。

「俺にこれ以上勉強しろって言うの?それは酷だね」

ふざけた口調で言うと菜奈は口を噤んだ。

「我慢しているんじゃないの?お金を使うことを」

言いづらそうに俯いた。長い前髪に隠れて目は見えない。大体この話になると、いつもは強気の菜奈が弱気になる。

「違うよ。勉強が嫌いなだけ」

菜奈を部屋に残したまま、柊人は家を出た。

空の雲は先程よりも分厚くなり、暗くなっていた。




 近くのスーパーは夕食時なのに人が疎らだった。五年くらい前からこのスーパーが潰れてゲームセンターになるといううわさが立っていたが、潰れる気配はなかった。

五個入りの玉ねぎを手に取った。袋の中の一つ一つの玉ねぎをじっくりと見つめて、商品棚に戻し、他の袋を手に取る。ここのスーパーの玉ねぎは腐っていることが多いらしく、しょっちゅう菜奈が文句を零していた。

 結局、二、三分、悩んで玉ねぎをかごに入れた。レジでレシートとお釣りをしっかり受け取ってスーパーを出た。

坂道の多いこの市内でも柊人の家の付近は坂が多かった。転入生は口を揃えて、坂の多い場所だね、と言う程だ。しかし、柊人には坂が多いとも感じなければ、少ないとも感じなかった。これが普通だと。遠くで雷が鳴り、生温い風がビニール袋を鳴らした。




 「玉ねぎ忘れの奥さん、買ってきましたよ」

買ってきた玉ねぎをキッチンにいる菜奈に渡した。お釣りは柊人のお小遣いになった。七十円と少しが柊人の財布に増えた。柊人はカウンターに肘をつき、菜奈の料理する姿を眺めていた。

「なんか、緊張する」

包丁でニンジンを切りながら菜奈が呟いた。

「質問があるんだけどさ、一週間後に死ぬって知って、遺書を書こうと思う人っているの?」

「よくいるよ。特に、財産がたくさんある人。よくカウンセリングに来るの。何日前から書き始めたほうがいいか、みたいな感じで」

菜奈は「死亡日宣告センター」で働いている。主な仕事は、生まれたばかりの子どもの死亡日を親に宣告すること、死亡日に関するカウンセリングをすることだ。

「俺、今日相談されたんだよ。面白い遺書を書きたいって。そんな遺書、今まで見たことある?」

面白い遺書か、と菜奈はニンジンを切る包丁の手を止めて顔を少し上に向けた。

「私は遺書の内容についてはあんまり知らないからなぁ。でも、面白い遺書、読んでみたいかも」

白い歯を見せて菜奈は笑った。

「姉ちゃんが読むことは無いと思う」

分かってるわ、と菜奈が突っ込んだ。

ぽつぽつと窓に雨の当たる音が鳴り始めた。

「柊人、全部の窓を閉めてきて」

菜奈に言われ、柊人は次々に窓を閉めた。

 菜奈の部屋のドアを開けると、部屋の中にかなり雨が入っていた。

「久しぶりだ」

部屋の中央で思わず呟いた。小学校低学年以来かもしれない。菜奈の部屋は、記憶の中の部屋とは変わっていた。

ピンク色だったカーテンは淡い黄色に。机に並んでいるのは数学や国語の参考書ではなく、死亡日宣告に関する参考書。

机の上に飾られている写真を手に取った。柊人が六歳の頃だ。まだ新しいランドセルを背負って、桜の下で両親と柊人で写っている。

「柊人、まだ?」

菜奈の声が聞こえ、慌てて写真を戻した。

「今終わった」

二階に下りると既にカレーうどんは出来上がっていた。

「柊人のリクエストに応えて辛口です」

カレーうどんを啜ると辛口ではなく激辛だった。咳き込むと菜奈はにやけながら水を渡した。一気に口の中に含んだが、辛さは消えない。額には汗が浮かび上がった。

「これ、激辛じゃんか」

「サプライズだよ」

菜奈は平気な顔でうどんを啜った。柊人はジンジンと痛い舌を冷ましながら、そんな様子の菜奈を見た。


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