七月十日 日曜日
「おっ。時間通り」
二時ちょうどに千冬がふざけた口調で言った。千冬は午前中とは服が違い、ノースリーブの白色のワンピースを着ていた。マンガのヒロインのような恰好。
「公園で考えよう。このまま、ここにいたら溶けちゃいそう」
午前中よりも強い日差しに、アスファルトの上が鉄板のようになっているのが分かった。遠くの道路を見ると、地面から熱波のようなものが見える。柊人はニュースでは何か騒いでいたな、と思い出した。
二人は坂を下り、公園の東屋にあるベンチに座った。日向よりいくらかは涼しいが、肌に纏わりつく暑さは変わらない。
砂場では小学生くらいの男子二人組が水鉄砲で遊んでいる。二人とも、ゆでたこのように顔が真っ赤だ。水鉄砲は柊人が小さいときに使っていたものよりも大きく、強そうだ。
「いいなぁ。私もあそこに交じりたい」
木でできたテーブルに頬杖を突きながら千冬が呟いた。少しだけ持ち上がった頬は白くてマシュマロのように見える。
「千冬だったらあの中にいても不思議じゃないよ」
揶揄いながら言うと、千冬はムッと眉間に皺を寄せた。
「うるさいな。柊人だって違和感ないよ」
千冬は子どもの頃に戻りたいな、と言いながらテーブルにルーズリーフとボールペンを置いた。遺書作りを始めるらしい。
「私、未来について書きたいって言ったじゃない?だから、それに合う、タイトルを考えようってわけ」
柊人はペットボトルの水を口に含んだ。冷蔵庫で冷やしていたから、まだ中身は冷たい。ペットボトルをテーブルの上に置くと、周りについていた水滴がスーッとテーブルに垂れた。既にペットボトルの下は水たまり状態だ。
「俺はあくまでサポート的なことで遺書に直接関わらない方が……」
「知ってるんだからね。柊人が去年、人権作文と読書感想文、その他諸々の作文で賞を獲ったこと。その文章力を使って助けてほしいの。内容を考えてほしいわけじゃないよ」
まっすぐ千冬に見つめられ、柊人は視線を逸らした。乾いた土の上でアリが何かを運んでいる。よく見ると、アリよりも二回り近い大きい幼虫だった。
「分かったよ」
千冬はガッツポーズをしてボールペンを手に取った。どうやら自分は千冬の、あの瞳に見つめられるのが苦手らしい。
「私の案はね、『未来予想バイ板垣千冬』なの。かっこいいと思わない?」
本気で言っているのかと疑うと、彼女は真面目な顔をして本気だと言い張った。柊人は思わず、声を上げて笑った。
「ダサすぎるだろ」
柊人の言葉に千冬はあり得ない、といった様子で首を振った。
「私、お昼食べながら考えてたんだよ」
「もうちょっとマシなのは無いの?」
「じゃあ、シンキングフューチャー?」
千冬の言葉選びに引きつつも、柊人は再び笑った。その笑いに千冬は怒りながらも、タイトルを考え続けた。
「タイトルから未来予想だと書いたら読んでも驚かないだろ。だから、タイトルはもっと無難に」
柊人なりのアドバイスをしたが、その後も彼女はおかしなタイトルばかりを提案した。最初こそ疑ったが、彼女の提案を聞いている限り、どれも本気で考えた末の案らしい。
千冬の提案するタイトルを却下し続け、一時間ほど経った。
「まずさ、どうしてそんなに遺書に力を入れるの? 残り時間は少ないんだから、自分が死んだ後のことなんか考えなくていいじゃん」
冷酷な考えだと思われるかもしれないが、柊人は正しいと思っていた。自分が死んだ後のことなんか、どうでもいい。しょっちゅう家で言って、姉に嫌な顔をされる。
「ダメだよ。遺書は、私が最後に贈れるものなの。だから、大事にしなくちゃ」
「千冬がそんなことまで考えてるとは思わなかった」
失礼だなぁ、と頬をむくれさせて千冬が目を細める。柊人は頬杖をつきながら砂場で遊ぶ子供たちを眺めた。彼らの水鉄砲から出る水が砂場に線を描く。
「プシュンプシュン」
謎の効果音を声で出し、水をかけあう二人には彼らにしか見えない世界が広がっているようだ。懐かしいなぁ、と感傷に浸っていると、手で顔回りを扇いでいた千冬が、突然叫んだ。欠伸をした柊人の口は、だらしなく開いたままだった。
「遺書のプレゼント」
彼女の叫びに、水鉄砲で遊んでいた子どもは不思議そうに動きを止めて千冬を見ている。木の幹に止まっていた一匹のセミが、変な鳴き声を聞かせながら飛び立った。
「それは、今まででは一番いいと思う」
千冬は嬉しそうに両手を上げた。ワンピースからのびる白い腕は細い。今にも折れてしまいそうなほど。
ベンチに座り、真っ白のルーズリーフに「遣書のプレゼント」とお世辞にも上手いとは言えない字で書いた。
「それじゃあ、遣書のプレゼントだよ。遺書のイは、これ」
柊人は千冬からボールペンを借り、ルーズリーフに正しい漢字を書いた。
「本当だ。ありがとう、死んでから恥ずかしい思いをするところだった」
顔を真っ赤にしながら、千冬は新しいルーズリーフを取り出し、正しい漢字を書いた。
「それもそれで千冬らしくて良かったかもな」
「私、書いておくからね。校閲、白瀬柊人って」
「やめろよ。俺まで馬鹿みたいじゃん」
柊人はペットボトルのキャップを回し、水を流し込んだ。すっかり温くなってしまった水でも、体は蘇る。
「受験勉強は捗ってる?」
千冬が訊いた。
「まあ、少しずつは。先生もうるさいし」
「大変だね。私はやってないの。高校受験まで生きてないし。羨ましいでしょ」
いたずらをする子どものように八重歯を見せて千冬は笑った。
「もう帰ろうぜ」
水鉄砲を持った子供が公園から出て行った。これで、公園には千冬と柊人の二人だけになった。
「だから、勉強も本気でやらなかった。どうせ無駄になるって」
真っ白のルーズリーフに書かれた自分の文字をなぞりながら千冬は目を細めた。
「何かに本気になったの? 勉強の代わりに」
「自分の好きなように行動すること。私の人生は義務教育で終わっちゃうから」
かける言葉が分からずにいると千冬が柊人の肩を叩いた。
「変な顔しないでよ。私が死ぬことなんてさっきから言ってたじゃない」
彼女の笑顔はひどく空っぽに見えた。無理して作られているような顔。
「無理して笑うなよ」
柊人の言葉に、千冬は一度表情を固めた後、再び笑顔になって
「無理してないよ」
と言った。そう言われてしまうと何も言えない。
「今日は、解散しよっか」
千冬がルーズリーフをファイルの中に入れ、立ち上がった。柊人も重い腰を上げた。日陰から出るだけで汗ばんだ。
「私はお遣い頼まれてるから、バイバイ」
「うん」
柊人が歩き始めると、待って、と千冬が大声で言った。
「明日は、学校終わりに、この公園で」
柊人は頷いて家に向かった。