人斬りセバスチャン血風録 2
だからこんな日が来るなんて考えてもいなかった。
ザラとの任務が終わって帰参すると神殿が燃えていた。
「……え?」
ザラが錫杖を取り落とし、金の輪が石畳に当たって耳障りな音を立てる。だが、それは見間違えではなく、確かに飛び散る火の粉が風で舞い上がることによって押し寄せてくる熱や漂う焦げ臭さは現実だった。それもよくない方のリアルだ。そして幕末を駆け抜けてきた自分にはこの嫌な匂いには覚えがある。
「……ザラ、逃げよう」
「えっ?」
「血や肉が焦げる臭いが強い。それに……ほら、あそこ」
火事なのに人気がない。誰も様子を見に来たり消化を試みる様子もない。早くに倒壊したと思しい飾り屋根の残骸の下の亡骸。見えにくいからきっと気付かず隠しそびれたに違いない。首を鋭利な刃物で絶たれたがために綺麗すぎる断面が示すそれの死因はどう考えても火事ではなく。
「罠だ。火がつく前に神殿の中の人が殺されてる」
「……どうして、私達が、何故」
その問いに僕は答えられない。僕には分からないから。何も考えずただ我武者羅に狂奔してきたせいで中身がないから。今も昔も。俯く僕を見て、ザラは目を見開き、そして涙を零した。彼女は変わり者の僕と違って、神殿の中の他の信者との交流も盛んだった。だからまだ生き残っている者がいるかもしれないと思い、見捨てることが出来ないのだろう。いくら既に中の者の尽くが殺されていたとしても。墓すら作らずこんな風に燃けるがままにしておくなんて。力が抜けて座り込んでしまいそうなザラを無理矢理立たせる。
「姉上の所に隠れよう……このままでは僕らも殺される」
「でも、皆を置いていけません……!」
悲痛な表情で訴えかけるザラ。だが、僕はあえて慈悲を捨てた。
「じゃあ、そのまま皆を殺した犯人を野放しにするのかっ!」
自分だって好きで見捨てるわけじゃない。特にわざわざ仲良くしないだけで、神殿の人々は悪い人達じゃなかった。時々おまけをつけてくれた食事担当の神官やこっそり一緒に晩酌をした同期、物覚えが悪い自分にも根気よく付き合ってくれた先輩。脳裏を過ぎる彼等の笑顔は今も脳裏から消えてくれないだから。
「天誅……天誅だっ……だから、そのためには、生き恥を晒してでも、生き残らないと……!」
これだけ徹底した殲滅なのだ、きっと自分達のような任務帰りの者に対して打つ手も用意されている。今の自分達にできるのは追手をかわし、逃げ切ること、ただそれだけ。
◆ ◆ ◆
素直に姉の所に向かっても行動を読まれていると判断し、まずほとぼりが冷めるまで僕達は潜伏を選んだ。僕は髪を剃り落とし、ザラもまた僕の黒髪で作った鬘を被るために自慢の金髪をばっさりと切った。前世の記憶がある僕は久しぶりの坊主頭だな、と思うだけだったが、神官になる前は貴族のご令嬢だったザラが切り落とした金髪の残骸を見て泣いたのがやけに印象に残った。残った髪は売り飛ばして服を買った。神官服は獣の血をつけた上で近くの獣の巣のところに捨ててきた。
そして旅の苦行僧に成りすました僕達は検問を難なく抜け、街道を歩く。時に農民の荷馬車に相乗りさせてもらったりしながら。そのうちに分かったのが、国主導でルルティナ神官狩りが行われているということ。かつて姉を謀った高位貴族が先頭に立っているらしい。理由は王権を揺るがしかねないから。新しく王になった王子は婚約破棄をして一人の罪なき令嬢を修道院に送ったばかりだった。つまりは保身の為の虐殺。
「みんな……ごめんなさい……」
焚き火の横で眠るザラは泣いていた。悪夢を見ているらしい。ぱちぱちと爆ぜる薪を眺めていた僕は、目を閉じ、そして天啓を受けた。
〈セバスチャン、ザラ、よく生き残りましたね……!〉
妙齢の女性のそれと思しき声。誰かがいるのか、と警戒するもザラ以外には誰もおらず、そしてその声が脳裏から聞こえてくることで相手がただの人間でないことを悟る。
「……もしや、ルルティナ様ですか?」
〈我が愛しき信者よ、正解です。もう残っている子は貴方達二人だけとなってしまいました〉
つまりは他の者は死んだ、ということだ。ザラには聞かせられない話だった。セバスチャンは眉を顰めながら続きを待つ。
〈書は焼かれ、教えを諳んじる声は潰されました。貴方達二人にこの流れを変えることはもはや出来ない。だけれど、だからこそ貴方達二人だけは生き残って欲しいのです。最後の信者として〉
「……ザラはともかく、僕は別に」
復讐の手段として入信し、そして天誅のための言い訳にしているだけ。神官でありながら信仰心はほぼない。八百万の神の文化の前世だ、一応神だから敬うか、それぐらい。
そんな無いに等しい信仰心でもこの神様はいいらしい。咎めたりすることなく、優しい声は告げる。
〈セバスチャン、貴方の姉の所に向かう時です。裏切りは苦く、思い出は甘く、されどそこに唯一の活路があります。いきなさい〉
セバスチャンは瞑目し、そして頷いた。
◆ ◆ ◆
「あら、セバスちゃん。やっぱりまだ生きてたの。そうよね、幕末志士だものね」
姉は僕を見て笑っていた。冷酷に。その周囲には沢山の兵士。私兵の中には見慣れない顔もそれなりに混ざっている。
「困ったわね。貴方が死んでくれないとこちらにも累が及ぶの。せっかく手に入れた生活を邪魔されたくないわ」
かつての優しい姉はもういない。否、とうの昔にいなかったのだ。前世の記憶を取り戻したその時から。だって。
「飼い犬のままなら可愛がってあげたのに。狂犬はいらないわ。死になさい」
あの時から僕を見る目は愛玩動物を愛でるそれでしかなかったから。そして僕もまた姉と彼女を慕いながらも内心少しばかり辟易していた。かつての姉と違い打算的な嫌な人だったから。
「セバスチャン……!」
身内の裏切りに僕が傷ついてないかと縋り付いてくるザラを振り払い、僕はルルティナ様に与えられた刀を抜く。
「……二度も裏切りによって首を晒す趣味は無い。斬り捨て御免」
走り出す足は迷いなく。いつものようにやるだけ。抜刀。顔に返り生温かい血が降りかかる。ザラの悲鳴がどこか遠くに聞こえる。結局敵対した以上相手はただの人間だ。血が繋がっていようと。ましては互いに前世は他人。ならば人斬りの心が痛むはずもなく。
それなのに。
「……それでいいの、セバスちゃん。貴方は逃げなさい。逃げ続けなさい」
袈裟懸けに切られた姉だった人はどうしてそんなに綺麗に笑うのだろう。笑えるはずもないほど痛いはずなのに。間違いなく致命傷なのに。
確かにその慈愛の笑みは昔のままで。
本当は気付いていた。見慣れない顔の私兵達が姉をいつでも撃ち抜けるよう、ボウガンを構えていたことも。いくら打算的だろうと結局は僕には甘かったことも。あの人の愛し方はずっと不器用だったことも。
刀についた血糊を振り払う。涙はこぼさない。その資格は僕にない。動かなくなった肉体はただの死体でしかない。
「……さて、僕はこうやって身内を殺してもなんとも思わない畜生なわけだ」
成すべきことは分かる。ルルティナ様が示したからだ。
殺戮。人斬りの狂犬に出来ることなどただそれだけだ。
◆ ◆ ◆
目につく兵士を全て斬り捨てた時には空はすっかり暗くなっていた。戦い続けた時間があまりに長く、流石にもう手足は動きそうにない。ザラも生きてはいるが満身創痍だ。
「ーーこれは驚いた」
それでも意識を失わなかったのはこの声のせいだ。忘れるはずもない。冤罪によって姉を壊した男の声だ。彼はずっと最初から背後の私兵に紛れ、姉が裏切らないか監視していた。乱戦になってからは一人離れ、僕が力尽きるのを待っていた。
「奇特なコードネームを使っていると思ったが真の【人斬り】だったか」
この男だけでも殺さなくては。
さもなくば神殿の仲間達が、姉が、ザラが救われない。それなのにどうしてこの手足は動かないのか。あの高位貴族が近付いてくるのが分かる。その手には銃。こんなに私欲で人死を出しておきながら自分の手を汚したくないらしい。腐れきったやつだ。
「ルルティナ信仰は終わる。婚約破棄の何が悪い。飽きた女を捨てるのにを何故窘められなくてはならない」
「……違う」
ルルティナ様の教えはそういうことではない。天啓を受けてから真面目にザラが持っていた経典を読みといた。そしてその普遍性に驚いた。
「約束、誠実、慈愛。ルルティナ様が咎めたのはそういう人として忘れてはいけないものを捨てた者だ」
難解ではなく、当たり前のことを説く。それが最後の二人になってしまった教え。だが、現実は非情で。引き金の音と発砲音。されどそれが僕に届くことはなかった。
〈セバスチャン、ザラ、天誅です〉
僕達の前には女神がいた。だからこそ、僕は再び刀を握り直す。
「ええーー天誅」
意識を失う瞬間、手に感じた肉の感触は、他の人間と変わらなかった。
◆ ◆ ◆
「セバスチャン、まだ寝ているのですか」
目を開けたくないほど穏やかな気分だ。それでも私はゆっくりと瞼を持ち上げる。そこは長年住んできたセレスティア家の敷地の一角にある使用人用の屋敷の一室。春が近いのか、暖炉の燃える部屋は湯に浸かっているかのような感覚だった。どうやら自分は安楽椅子で眠ってしまっていたらしい。いくら随分前に現役を退いたとはいえ、普通の老人になってしまったようでつい笑ってしまう。
そういえばこの世界に二人で飛ばされてきた時も彼女が声をかけてくれたのだ。
あの貴族を殺した後目が覚めると自分とザラはこの世界の草原で倒れていた。しかし、そこは何の天災の後なのか、同じように倒れている人々や怪我をしている人々ばかり。訳が分からないなりに少しだけ回復した体力を振り絞ってザラや周りの人々の怪我を手当した。
駆けつけた当主のサイモンによって自分達が異世界人達だと教えられたのはネズ熱病が広がってからだった。高熱を出して力尽きる者の中の一人でありながら、二人はなんとか近くにある放棄された畑から野菜を取ってきて病人達に与え続けた。正直なところ、自分達も長らく高熱を出していたせいでその時期の記憶が朧気だ。
それでもそれは永遠では無い。やがてネズ熱病がおさまった頃には異邦人である自分達に助力し続けてくれたサイモンに恩義を感じたし、ザラの逞しさに自分は夢中になっていた。だから、サイモンの屋敷の使用人にならないかと誘われた時はすぐに頷いた。
「ザラ、とても、眠いんだ」
「……ええ、そうでしょう」
彼女の声がどこか泣きそうなのは気のせいだろうか。
そういえば、あの後生まれたサイモンのお嬢様の名前が姉と同じだったのには驚いた。サイモンには姉のことは話していないはずなのに。だが、その美しさを見て、確かに月の名前を付けたくなると納得した。罪滅ぼしではないが、彼女は献身的に仕えるに値する素晴らしい令嬢だった。赤毛の小僧にかっさらわれた時は旦那様共々シバキ倒したが好青年だった。彼と出逢ってからのお嬢様は幸せそうだった。
「ガイアは……ガイアはいるか」
ぼやける視界で近くにいるはずの息子を探す。ザラの見目のよさを引き継いだ息子は難儀な人生を約束されていたが、それでも気の合う令嬢と結ばれた。小さい頃は色々と心配したが、今なら彼は大丈夫だと胸を張って誇れる。
「……ここに」
触れた手は鍛錬を怠っていないことを示すように胝がある。一人前の戦士の手だ。
「幸せだ……身に余るほど」
薄れゆく意識の中、何となく分かる。沢山の命を奪ってきた自分がこんな風に穏やかに死んでいいのだろうか。
〈いいのです、セバスチャン。貴方は精一杯走り抜きました。それに……〉
最期に聞こえた神の声はどこか憐れむようで。
〈貴方に与えられるのは死の安寧ではなく、ただ一時の微睡み。貴方の業は深すぎて、選ばれてしまったのだから〉
不穏な響きを伴っていた。
本話にて「天の声オネエと悪役令嬢の明るい未来改革」は番外編含めとりあえず完結となります!(※番外編は不定期更新をする可能性がございます)
応援ありがとうございました!!




