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トウキョウ・モラトリアム 1

シンジュクに落ちたあの人の話。


本編最終話までのネタバレを含みます。

 セバスチャン。その人物のことを思い出し、彼は震える。

 あれはある冬の寒い日のことだった。降り積もる雪は一面を白く染めあげているのに、何故かその男の周りだけまとわりつくような脂っぽい赤い霧が立ち込めているのだ。


「天誅……天誅ぅ……」


 かつて理知的と褒め称えられた瞳は濁り、澱んだ昏らき光を放つ。血赤に染まった髪が乱れ舞う度に滴る血飛沫が雪を赤く汚す。


「天、誅っ……!」


 いくら体を切り刻まれても、いくら他の護衛達を肉片に変えても彼は止まらない。一歩、二歩、残り一歩。だが、その暗器は男に届くことは無かった。


「セバスチャン、もういい。いくら憎くてもここまで堕ちたらあの人が悲しむ」


 王都を震撼させた悪鬼を最後の一太刀で斬り捨てたのはかつての腹心だった。どこか悲しげな顔で雪の上に崩れ落ちた亡骸を前に目を細めていたかつての腹心は、すぐに険しい顔を彼に向ける。


「……これで分かっただろう。貴方が、何も見ないようにした結果、何が起きたのか。貴方を守るのは仕事だからだ。だが、貴方のことは一生許すつもりは無い」


 そこにあるのはただ鬱屈とした憎しみの炎。


「簡単に、死なせてなんてやるものか。惨めに生きのびて、酷たらしく死ね」



 ◆ ◆ ◆


 嫌な夢を見た。源氏名荒木三太ことアレクサンダーは事務所兼社宅のワンルームで冷たい水で顔を洗いながら深く溜息をついた。


「もう……セバスチャンなんて子兎ちゃんが言うからよ……胃の中の物が戻ってきちゃいそう」


 数日前から突然、彼の脳裏にかつていた世界の映像がチラつくようになっていた。きっかけは分からない。だが、新入りの使用人を虐めようとする、まだ歳若い頃のルーナに本心から出た感想を漏らすと何故か彼女にはそれが聞こえたらしく驚かれた。冗談じゃない、驚きたいのはこちらだ。口に出してきた訳では無いようで、そうとなれば昔のように魔法で伝達していたとなるわけで。

 混乱の中、なんとかハッタリをかまして話を続けてみれば、自分が知る彼女と比べて口下手ではあるがちゃんとした令嬢であることが伝わってくる。だから、少しばかり悪ふざけをしつつも、彼女に迫る未来を伝えてみた。すると彼女は前向きに変わろうとしてくれた。罪悪感が込み上げてきた。


「あー、酷い顔。パック残ってたかしら」


 この顔は今のアレクサンダーにとっては商売道具なのだから。こんな窶れてげっそりした顔で出勤したらオーナーに怒られてしまう。せめて触り心地がいいようにモチモチにしなくちゃ、と鏡を見れば、あの時よりずっと生きている実感のある草臥れた男がそこにはいた。


◆ ◆ ◆


 異世界送りになったアレクサンダーが落ちてきたのは新宿。身分証明書も何もない状態の彼が警察に連れていかれなかったのはたまたまそこに居合わせたオネエもまた遠い昔に異世界送りになった政治犯だったから。ズタボロの彼を見て、彼の状況を即時に判断したオネエはすぐに近くにある自分が経営している店の一つに連れ込み、周囲を歩いていても違和感がない服を貸してくれた。誤算だったのはそこがオネエのためのお店だったこと、そしてアレクサンダーを見た何も知らないオネエ達が新しい従業員だと勘違いしてしまったこと。あれよあれよという間にアレクサンダーもまたオネエに仕立てあげられてしまった。


「ふわぁ……眠い……」


 出勤前の買い物のために昼の繁華街を欠伸をしながら歩く。そこはかつての整然とした王都と違って、賑やかで猥雑で、だからこそ人の活気に満ち溢れている。この国では珍しい、素性が知れない者も素性を隠す者もそういう場所だから、で受け入れてくれる懐が広い都市。予想外の展開にはなったが、もう何年もこの街で暮らしてきて、それでも最初に落ちてきたのがここでよかった、とアレクサンダーは思っている。

 巨大な半裸のメンズのポスターが貼られている壁を横目で見つつ、アレクサンダーは今日の日替わりメニューを考える。この街に来たばかりの時にはどうして街中にこんなものが、と驚いて顔を真っ赤にしたりしていたがまぁこの街にはこういうものがあるものなのだ、と納得してしまえば、まぁ慣れるものである。少なくとも何年も過ごしていればこの街に染まる。この世界に来てからの日々はあまりに目まぐるしく濃密で、昔のことは朧気な心の痛みになりつつある。それなのに、あの頃の幻影は彼に忘却を許さないらしい。


「……湿っぽい気分を吹っ飛ばすにはあれが一番ね」


 この世界に来てから一番最初に食べたそれは彼にとって衝撃的で。ふふ、と笑って、安売りをしているお店へと駆け出した。


 ◆ ◆ ◆


 アレクサンダーが出勤すると早番に入っていた雇われ店長のリリーが待ち構えていた。


「サンタちゃん、まーたあの子来てるのよぉ。マスコミとか大丈夫かしら?」


 なお、リリーはアレクサンダーより年上の身長百八十センチの漢女な大先輩である。ジョリジョリする顎をくいっとした先には一人の気まずそうな青年がいた。


「あらぁ。本当にあの子、また来てるのね。ノンケは来るな、ってだいぶ脅かしておいたのに」

「それはいいけど、なんかあった時うちじゃ責任取れないじゃない? とりあえず外からじゃ分かりにくい席に案内したけど……マスコミ大丈夫そう?」


 二丁目という場所は特殊な場所だ。芸能人となれば世間体を気にして別の街で遊んだり呑んだりすることが多いのだが、問題の人物はその辺の意識がガバガバらしい。


「……仕方ないわね、副店長としてアタシがちょいと懲らしめるわ」


 アレクサンダーはニッコリ微笑んでその青年の元へと向かう。そして。


「渋川瞳さん、最近のお仕事はいかがかしらァ?」


 大っぴらにしていない裏名義を突然呼ばれ、その青年は落ち着かない様子でくぴくぴと飲んでいたお茶を噴き出した。うわ汚っ、と思いつつ、台拭き片手にアレクサンダーは一緒の席に着く。


「それとも白樫殻斗さんでお呼びした方がいいかしら? 東京スカイレイカー、面白かったわよ。彼氏面チョロインさん、本当にネット情報通り攻略がちょろかったわね」


 続けざまに言葉のボディーブロー。オネエは容赦ないのである。流石に耐えきれなくなったのか、目の前の人物は目線避けのフードを下ろして潤んだ瞳でアレクサンダーを睨みつけた。


「う、うるさい……! 千代ロインは、千代は、デバッグをちゃんとして仲間入りのフラグさえミスってなければ最高のラスボス兼ライバルになる予定だったんだ……!」


 人気男性声優白樫殻斗、裏名義は渋川瞳。最近の有名な出演作はストーリーモード以外は神ゲーと呼ばれるスタイリッシュアクションゲームの東京スカイレイカーのライバルキャラ千代ロイン。儚げな見た目と透明感のある声で人気の彼が何故この店にわざわざ来ているのか。その理由を知る者は誰もいない。

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