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 目が覚めると体が軽かった。

 そして私がいたのはどこかのお屋敷だった。豪奢ではあるが品がよく、館の主のセンスを反映しているかのようだ。窓から見える空はどこまでも美しい夕焼け。見ているだけで心の中に何かが込み上げてくる。


「ご愁傷様……とりあえずそれだけは言っておくわ」


 私の前でその人は優雅に紅茶を飲んでいた。真っ黒なドレスに腰ぐらいまでの長さの真っ黒な髪、そして血のように真っ赤な瞳。年齢は自分と同じぐらいだが浮ついたところがなく、むしろ老獪な雰囲気さえ纏っている。一目見たら一生忘れられないほどに美しいその人はふぅ、と溜息をつく。


「貴女は処刑によって死亡した。ここにあるのは黄泉へと向かう貴女の魂。肉体は……察して。だから体も何も痛くないでしょ?」


 自分の体を見下ろす。いつも執務で着ていた装飾の少ない質素なドレスにサラサラとした美しい銀髪。その手足は毒で爛れておらず、かつてのそれと同じ白さだった。痛くない、汚くない。それがこんなに幸せな事だなんて思ってもいなかった。


「舌も戻っているはずよ。もっとも思うだけで伝わるからどちらでもいいけれど」

「あい……ありがとうございます」


 久しぶりに話すことが出来たから舌が縺れた。そんな私に彼女は慈愛に満ちた眼差しを向けていた。


「あの……貴女は?」

「そうね……【暁と黄昏の魔神】ネロとでも名乗っておきましょうか。人間の価値観からすれば邪悪なるもの。かつて邪神と呼ばれたこともあったかしら。けれど今は罪なき魂が無為に散るのを救う仕事をしているわ」


 人間では無い。そう言われてすんなり納得してしまうのは彼女の持つ隔絶した美と存在感のせいか。ルーナも目の前に置かれている紅茶を飲もうとし、そしてその水面が揺れた。


「あれ……?」

「……泣いていいのよ。心が壊れしまっていても、あれは到底人間が耐えられるような仕打ちでは無いのだから」


 泣いてはいけないと叱られ続け、ついには枯れたと思っていた雫は次々と溢れだしてくる。


「辛かったでしょう。痛かったでしょう。苦しかったでしょう。何より全てが報われずに悔しかったでしょう」


 その声は次第に熱を帯びていく。それを聞くうちにこの乙女が邪神と呼ばれた理由がわかっていく。


「だからこそ貴女は許される。怒ることを。恨むことを。憎むことを。さぁ、報いを、罪深き咎人に断罪を」


 あまりに苛烈すぎるのだ。悪意なき激情。美しいのにどこか禍々しい笑みを前に私は気圧される。それでも。


「……もう、どうだっていいんです」


 私が抜けた穴を今更誰かが埋められるとは思えない。それほどに一人で全てを抱えざるをえなかった。何度も一人に全てを集約させる危険性は訴えてきた。でも誰も聞いてくれなかった。そのうちあの国は少しずつ衰退するのだろう。それこそ私よりずっとずっと頭がよくて聞き分けがいい天才が現れない限り。でもそんな人がいたら馬鹿な私と違ってすぐ逃げ出してるはずだから。


「全てに疲れました。知ってますか? 私の魔法は自己治癒能力を高めるもの。でも、とうの昔にとっくに限度なんて超えてしまって、魔法も使えなくなってたんです。もう痛くない。それならこのまま消えてしまいたい、って」


 それで取り繕えなくなっても誰も助けてくれなかった。と、その時だった。ガチャン、と目の前のティーセットが砕ける音がする。それでもネロは微笑んでいた。否、その笑みは我慢しようかとしているかの如く痙攣している。


「ひえっ……」

「あら、ごめんなさい。ちょっと手元が狂ったわ。それにしても追い詰められた馬鹿ってどうして皆そう投げやりになるのかしら」


 もっとも私みたいに怒って八つ当たりで世界一つ消し飛ばすよりはマシかしら、と聞こえたのは気のせいだと思いたい。


「はぁ……トトリ、そっちで聞いているでしょう? 早く支度をすませなさい」


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