オネエの耳はデビルイヤー!
放課後。
ルーナは指定された談話室へと歩いていた。ミアとブレイクは説明のために先に向かったので一人だ。
〈さて、あの腐れピーマンがどう動くか……言っておくけど何を言われてもあの馬鹿に同情しない方がいいわよ子兎ちゃん。あいつ自身がどうであろうと、あいつとくっつけば、もれなくろくでなしロイヤルファミリーと縁続きになるんだからねっ〉
「とはいえまだ婚約者なのですわ……犯罪行為をせず、穏便な婚約破棄……難しそうですわ」
ルーナはうーん、と唸る。先程のルーナはなかなかなことを言った自覚はある。だがアレクサンダーは激昂して婚約破棄だ、とは言わなかった。王太子なだけあって慎重なのである。
〈あらやだ子兎ちゃん。さっきはきつい言葉だけど別に暴言じゃないわよ。暴言っていうのはもっと聞くに耐えないお下品な言葉だから。それこそオネエがいつも言ってるような! 子兎ちゃん、やっぱりお嬢様ねぇ〉
「……まさか、赤ちゃんプレイを上回るはしたない言葉があるというのですか?」
信じられない、とルーナが呟くとサンがふふんと笑うのが聞こえた。
〈赤ちゃんプレイなんてまだ序の口よぉ。うーん、迷っちゃうわぁ。純粋無垢な子を汚しちゃいけないと思う天使なオネエとイケないことを吹き込むの楽しい悪魔なオネエ。どっちも捨て難……子兎ちゃん、止まって〉
「え?」
突然ふざけていたオネエが真面目な声になったので反射的に足を止めていた。
〈声は出しちゃダメよ。あそこの教室で女子生徒同士が揉めている声が聞こえるわ。どれどれ……あんたはその泥水をあの高飛車銀髪女にかければいいのよっ。そんなことできません! やらないと実家がどうなるかわかってるの? ……どうやらあんたを狙っての嫌がらせの打ち合わせって感じかしら?〉
声色を真似て迫真の演技をするオネエにルーナは感心をする。まるで舞台役者のようだ。それにしてもそれなりに距離があるのによく聞こえるものである。
〈オネエの耳はデビルイヤー! 御近所さんの不倫から晩御飯のメニュー、はたまたヤーさんとポリ公の密談もヌルッと聞いちゃうわよぉ! で、あんたはどうするつもりよ〉
このままだと通りすがりに事故を装って泥水をかけられてしまう。心配そうなサンに対し、ルーナは首を傾げた。
「通りますよ? ここ通らないと談話室に行けませんし。それに泥水程度でしょう? 薬品や酸じゃなければ床や壁も痛みませんし」
〈は?……まって、待ちなさい子兎ちゃん。それは!ちょっと!待ってって言ってるでしょうがぁ!! 〉
オネエの制止も聞かず、彼女は歩き出す。それもカツカツとあえて踵を鳴らしてだ。まさに狙えと言わんばかりに。
〈あー、もう知らない!〉
ちょうど真横のドアが開く。それとほぼ同時にバケツからかけられたと思しき泥水が視界を覆う。だがルーナは平然とそれを眺めていた。
バシャッ、と泥水が床に落ちる。雑巾を絞った水も混ぜたのか異臭がしたが、それはルーナを汚すことは無かった。
そう、ルーナが直前に魔力で身体中を覆ったからだ。
「嘘っ、なんで」
「知っていれば事前に準備しておけるものです。さて」
教室の中を見る。イザベラの取り巻きが三人と空のバケツを持っている泣きそうな顔の中立派に属する令嬢が一人。ルーナは頭を振りながら扇子を取出す。そして社交の時のように目元だけを見せながら意味深に微笑む。
「こんな稚拙な嫌がらせをするなんて、よほど談話室に行かれるのが不都合なのかしら?」
汚れた服で王太子に会うわけにいかない。普通の令嬢なら泥水をかけられたら泣きながら部屋に戻るだろう。だが、ここにいるのはオネエに見守られている鉄壁令嬢である。未だに失敗を受け入れられず答えがない令嬢達にルーナは告げる。
「貴女方、口はついていないのかしら? ……そう、いいこと思いつきましたわ。そこの御三方、乙女パワーの練習台になってくださいませんか?」
ニコリ。
目元だけ笑うが扇子で隠されている口元は一切笑っていない。今日のルーナは縦ロールでないとはいえ、それ以外は何も変わらない。そう、つまりはそこにいるのは。
凄みのある悪役令嬢顔である。
「ひぃ……お許しを!」
「逃げるわよ!」
「死にたくないっ」
彼女達の脳裏を過ぎるのは砕け散った石畳の残骸。石畳ですらあんなに容易く粉砕されたのだ。それが自らに降りかかるとしたら。それが意味するのは物理的な死。なりふり構わず逃げ出す三人に対し、脅されていた女子生徒は歯をガタガタ鳴らしながら座り込んでしまっていた。ルーナは扇子をしまい、ゆっくりと女子生徒へ歩み寄る。
「災難でしたわね。お名前は?」
「り、リズ・グリニッジです。ど、どうか実家だけは……!」
どうやら勘違いされているらしい。ルーナははて、と首を傾げた。
「私は汚れておりませんので何のことか? グリニッジといえば名誉男爵になったグリニッジ商会ですわね。先程の方々との取引の割合は合計でどれほどですか?」
「……多分二割ぐらいです」
どうしてそんなことを聞くのかと思いつつ、商家の生まれで頭の回転が早いリズはルーナの考えは自分が思ってた方向と違っていることに気付いたらしい。怯えるのをやめて落ち着いた様子で答える。二割、という言葉にルーナは思わず鼻で笑った。
「たった、たったの二割であの威張りようだなんて滑稽ですわね。では、こうしましょう。四割、取引の四割をこちらで引き取るのであの御三方の実家と手を切って、セレスティア家側につきなさい。余計な手出しをされないように庇護します」
沈んでいた目の前の少女の目が光を取り戻すのを見て、初めてルーナは唇も綻ばせた。