序
いつもと違う鐘の音が聞こえる。
それはとある令嬢の処刑の時が来たのを伝えるもので。普段より重く濁った音に聞こえる、と思いながら彼は溜息をつく。とある人物の最期を見届けるために。
公開処刑をされるのは悪女ルーナ。元公爵令嬢にして王太子アレクサンダーの婚約者だった娘だ。極悪非道を人の形にしたともされる娘も流石に虜囚生活が堪えたのか、憔悴した表情を浮かべながら処刑台の上に連れていかれる。月光になぞらえられるほどに美しかった透明感のある銀の髪は乱雑に切り取られてくすみ、しなやかな手足は食事に混ぜられていたという毒で変色し脱力していた。顔や体には様々な暴行を受けたであろう跡。明らかにまともな扱いを受けていなかったことが一目で分かる。非人道的な、と彼は頬の内側を噛み締める。虚ろな瞳の痩せ細った少女は誰がどう見ても悪女からはかけ離れた様相だったのに愚かな群衆は殺せ、と怒号を飛ばす。
「平民ルーナ。貴様は王太子殿下の元婚約者にありながら嫉妬と欲望のままに数々の犯罪行為に手を染めた。その中でも王太子殿下および男爵令嬢ミア・ベネットの殺害未遂により極刑に処す。さぁ、断頭台に頭をのせよ」
処刑人が淡々と告げる。ルーナは青い顔で何かを言おうと口を開いた。だがそれが言葉になることはない。よく見れば舌があるべき場所は何も無かった。物理的に言葉を奪われたのだ。細い体は力づくで処刑台の上に移される。頭上に見える鈍く光る刃にルーナは怯えたように顔を歪め、そして。
赤い花が、散った。
◇ ◇ ◇
男はその鮮烈な赤を病の縁で思い出す。
確かに彼女は悪であった。だが、死んで罪を思い出してからもその人生を汚された。真偽も定かでない醜聞を纏わされ、誰も彼女が何故悪を成したのかを知ろうともせず。
それは彼女が心から王太子を愛していたからだった。だが王太子は彼女の献身に報いることなく、それどころか手酷く裏切った。
「ルーナ……すまない」
体はもうろくに動かない。だが、その懺悔の言葉はすんなりと口をついた。
「わたしを、きみを、すくいたかった」
目を閉じる。次の朝はもう来ないかもしれない。されど今の男にはもしそうなったとしてもそれは報いだとしか思えなかった。