メルキュールと子猫
冷たい雨の日だった。一年中行商をしていれば、雨の日に隊を進めることだってある。防水加工のシートに更に魔具で補強をし、荷を守る。
その日予定していた分の道のりをのりきり、少し早めの夜営となった。
天幕をはり、在庫の確認や品質管理チェックを行い、商品保管用の天幕を後にする。
ここは山岳地帯の中でも岩場の多いイエローゾーン。木々の隙間から切り立った崖や岩肌が覗いている。
「落石などないといいのですが……」
どしゃ降りの中、頭上の崖を見上げながらメルキュールは呟いた。
どしゃ降りの中でも松明は煌々と輝いていた。水松明を使っているのだろう。いつもより本数は少ない。
時折松明の他に闇夜に光る2対の点が見えドキッとする。今夜の不寝番は夜目が利くものが集められているようだ。
いくつかの確認事項を部下に告げ自分の天幕へ戻る。天幕までの道のりは非常に暗く感じた。月は雨雲に隠れてしまい足元を照らしてはくれない。点々と灯る松明は道標にはなれど、足元を照らしてくれる程ではなかった。
「ランプでも持ってくるべきでした。」
先程までは、まだ少し日が残っており、ここまでは暗くなかったから油断した。先程といっても在庫管理や品質管理等のルーティンを始める前の話だ。数時間はたっているだろう。
後悔したって仕方ない。ないものはないのだ。足を滑らせぬよう、慎重に足を運ぶ。すると、ぐにっと何か柔らかいものを踏んだ。
何を踏んだのか慌てて確認するもよくわからなかった。
踏んだ感触から、石や枝などではないことは明らかだった。ひとまず踏んだものを手探りで探す。すると、何か暖かいものに手が触れた。
「おいおい、どっから獲ってきたんだよ……。その辺に落ちてるようなもんじゃねぇぞ?」
暖かく、柔らかいそいつをつれていったのは、生物管理部隊隊長のもとだった。
真っ黒いそれは、掌に納まる程の子猫だった。耳はまだ横についており、目も開いていない。ぐったりと動かないそれを見て咥えタバコの男は言った。
「足元が見えず踏んでしまったのです……。どうにか助けていただけませんか?」
「そりゃ……構わねぇがな、こんだけ小さけりゃ近くに親がいるんじゃねぇの?下手に手を出さない方がいい。」
「それは……気が付きませんでした。しかし……これだけ衰弱している子を、また、あの雨の中に置いてくるのは……」
「そうは言ってもなぁ……」
ドクターは指先でちょいちょいと、子猫の身体をつつくと、ちょいと待ってなと、奥へ消えていった。
数刻後、ドクターは子猫をタオルに包み戻ってきた。
「診察はしてやった。怪我もたいしたこたぁない。元いたところに返してきな。」
タオルと箱と傘を渡されたメルキュールは子猫を踏んだ辺りへと戻ってきた。
「本来ならそのまま返すのがベストなんだがな。一応人間の匂いが着いていないやつを選んだ。羊臭いかも知れんが人間臭いよりかはマシだろう。」
ほれ、行った行ったと天幕を追い出されてしまったのだ。
「元居た場所に返してきなさい。ですか……。よもや、私があんなことを言われるとは……。これでは部下に示しがつきませんね。」
メルキュールは子猫の入った箱に傘を立て掛けると、君の親御さんによろしくお伝えください。と微笑んだ。
翌日も翌々日もどしゃ降りの雨だった。
昨日よりもひどい雨に前が見えない。
山越えをするこの時期にこうも雨が続くのは珍しいことだった。
「隊員の皆さんにお知らせです。この雨の中での、無理な進行は危険と判断したため、本日はこのままこちらに滞在します。天幕が流されないよう、また、浸水しないよう各自対応をお願いします。」
脳内に直接カパーの声が響く。魔法による一斉送信だ。
昨夜のうちに積み荷用の天幕は防水対策を施しているが一応見ておいた方がいいだろう。
雨具を身に付け積み荷用の天幕へ急ぐ。万が一のことがあってもいいように背中には防水用の天幕を予備として背負っていた。
外は昼間の時間帯にも関わらず夜のように薄暗かった。岩肌は雨に濡れかなり滑る。薄暗いながらも、夜間とは違い足元が見えるのが救いだ。
積み荷用の天幕に向かう途中、ミーミーと、弱々しい声が聞こえた気がした。
『そんだけ小さけりゃ近くに親がいるんじゃねぇの?下手に手を出さない方がいい。』
昨夜のドクターの声がよみがえる。
黒い子猫の姿が脳裏にちらついた。
柔らかく暖かな身体が小刻みに震えていた。目も開いておらず、あれではエサも獲れないだろう。
「お腹を空かせてはいないでしょうか……。」
メルキュールは後ろ髪をひかれる思いでその場を後にした。
隊の進行は2日程停滞していた。
ようやく晴れた4日目の朝。昨日までの雨が嘘のように気持ちのよい青空が広がっていた。くもひとつなく、空が高い。
護衛部隊から何人か偵察部隊を放ち、進路を確定すると、カパーから遅れを取り戻しますよと、魔法による一斉送信が入った。
隊員はチャキチャキと効率よく働いている。皆よく休んだからか、動きにキレがあり、無駄がない。
順調に支度も進み、ゆっくりと隊が前進していく。
すると、またどこからかニーニーと、か細い声が聞こえた気がした。
一昨日よりも小さなその声は今にも消え入りそうな程だった。嫌な予感がして、以前置いた箱を覗くと中にはびしょ濡れの黒い塊が入っていた。
箱は裂けており、中に水溜まりはあれど、かろうじて水没はしていなかった。
最初に見掛けてからもう4日はたっている。親がいるならとっくに連れていっているのではないか……?
いや、親がいようがいまいがこんな状況になるくらいなら私が育てる。
そう決心し、メルキュールは子猫に話しかける。
「ひもじい思いをさせてしまいましたね。寒かったでしょう……?辛かったでしょう。」
ずぶ濡れの黒い塊はくったりと大人しくメルキュールの手の中に収まっていた。
「よく頑張りましたね。もう、大丈夫です。私と一緒にいらっしゃい。不自由させませんよ。」
彼を優しく懐にいれると、メルキュールは青い天幕へと足を向けた。